第17話 黒い影の正体

 ウェネーフィカの周りの風がざわめいた。

 突如として現れたその姿は、まるで影そのものだった。


 黒いマントがひらりと風に舞い、深い闇を思わせるローブに、鋭く尖ったとんがり帽子。腰まで届く漆黒の髪が風にたなびき、顔は髪と帽子の影に覆われていてはっきりとは見えない。だが、わかる。

 黒帽子の魔法使い。


 静かだった。

 不気味なほどに異質で、まるで空気が凍りついたかのような静けさ。

 一歩も動かず、ただ立っているだけなのに、周囲の空間がまるで圧迫されるような重みを帯びていた。


 コツ――。

 革のブーツが石畳を打つ音が響く。


 その存在感に、ウェネーフィカは息を呑んだ。敵か味方か、それすら判別できない。だが、確かなことがひとつある。

 この人物は、ただ者ではない。


「……赤帽子の小娘。なぜ、魔法を使って手紙を奪い返さない?」


 冷たく、感情のこもっていない話し方。けれど、明らかに女性の声だった。

 ウェネーフィカは相手の眼差しをまっすぐに見返す。敵か味方か判断する前に、彼女には確認したいことがあった。


「その子……どうするつもりですか?」


 言葉を発した瞬間、黒帽子の唇がわずかにゆがんだ。


「はっ。自分のことよりこいつの心配が先か。……噂通りのお人好しだな」


 黒帽子の魔法使いが手首を軽く払うと、手紙がふわりと宙を舞い、ウェネーフィカのカバンへすっと吸い込まれるように収まった。


「こいつは牢獄行きだ。ほどなく衛兵が来るだろう」

「でも……じゃないですか。それに今、手紙は返してもらえましたし……」


「ただの手紙、だと?」


 声に変化があった。冷酷な中に、怒りとも呆れとも取れる感情が混じる。


「その手紙がなければ、お前は王都に来ても何もできず、何者にもなれずに終わっていたんだぞ? それをただの手紙……だと?」


「な……なぜ、そのことを……?」


「どうでもいい。……もう一度聞くぞ。なぜお前は魔法で手紙を奪い返さなかった?」


 黒帽子の声には微かな苛立いらだちがあった。だがその姿勢も、仮面のような無表情も変わらない。


――何こいつ、なんでこんなに偉そうなの?

 頭の中でルーシアの声がうるさく響くが、ウェネーフィカは意外なほど冷静だった。考えて、素直に答える。


「……あの、手紙を取り返す魔法って、なんですか?」


 一瞬の沈黙。


――確かに。そんな魔法、私も知らないわ!


 黒帽子はため息をつくように、小さく首を振った。

「なるほど……所詮しょせん、田舎育ちの赤帽子。様子を見るに、手紙にかけられた封印の存在すら知らなかったのだろう」


――それはさっき私が教えましたぁ!

(ルーシア様、ちょっと静かにしててください!)

――むすっ。


「その手紙には、高度な封印魔法が施されている。受取人以外が開けようとすれば、即座に感知される仕組みだ」


――ふん! それは知ってるし!


「セルヴァン様が記した文書に、アウリル様が封を施した。二人の名が意味するものを、軽んじるな。最大級の敬意をもって取り扱え、ウェネーフィカ」


「……どうして、私の名前を?」


 ウェネーフィカの問いに、黒帽子の魔法使いは黙ったまま、髪をかき上げる。ちょうど雲間から光が差し込み、顔があらわになる。


 黒縁の眼鏡の奥から鋭い視線が突き刺さる。切れ長の吊り目、真一文字に結ばれた唇。感情を表に出さない仮面のような顔――だが、誰もがその存在を一目で記憶に焼きつけるほどの美しさがあった。


「私の名はセリン。魔法研究所の副所長だ」


――なんですって! このツンツン女が副所長!?


 名前を口にした瞬間、空気がまた一段階、冷たく引き締まったような錯覚を覚えた。

 この人物は、黒帽子の魔法使いの中でも極めて上位の存在だ。

 ウェネーフィカは無意識に、背筋を伸ばしていた。


「セルヴァン様の頼みとはいえ、こんな世間知らずの赤帽子が……魔法研究所に入ろうだなんて片腹痛いわ!」

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