第33話 「お料理ノート」


「卯月先輩。すみませんでした」

「ええっ! どうしたんですか急に」


 マンションに戻ると、俺はすぐに謝った。


「さっきのスーパーでの事です」


 俺がついていながら先輩を危険にさらしたのだから当然のことだ。しかも助けられたうえに、危うく怪我までさせるところだった。

 本当に俺は男らしいところが一つもないな……。


「俺が最初からキッパリ断っていればあんな事には」

「大丈夫ですよ! ほら、この通り問題なしです!」


 先輩がひらひらと手を見せる。本当に無理している様子はない。

 だが、俺はどうにも納得できない。


「男の俺がしっかりしなくちゃいけなかったのに、情けないです……」

「そんなことないです。綾瀬くんは私のために怒ってくれたじゃないですか」

「でも、怒るだけじゃ何の解決にも」

「綾瀬くん!」


 先輩が俺の両手をきゅっと掴んだ。

 柔らかい感触に心臓が跳ねる。危ない、意識が飛びそうだ。


「せ、先輩?」

「もし綾瀬くんが自分を責めるなら、原因は私にあります! 買い物に行こうと言い出したのは私なんです! だったら私を責めてください。さあっ!」

「いや、そんな――」

「そんなことあります! それ以上引きずるなら、私が有罪なんです! ギルティです!」

「有罪って、大げさな……」

「それよりも綾瀬くん!」

「は、はい!」


 ビシッと指を突きつけられる。


「今日は楽しいお料理教室のはずです! それも包丁やコンロを使うのに、気が散っていたら逆に危ないですよ!」

「……!」


 先輩の言葉で本来の目的を思い出す。


「だから」


 彼女の小さな手が俺の頭を優しく撫でた。


「卯月、先輩……?」


 なんだこれ……。すごく、落ち着く。

 ずっと撫でられていたいなんて、妙なことまで考えてしまう。


「さっきの事は忘れて楽しくいきましょう」

「っ……は、はい」


 その笑顔に思わず見惚れてしまった。


「綾瀬くんは偉い。偉いです」

「…………」


 子供扱いされるのも悪くない……かも。


「って、私の方が無理言ってお願いしているのに、偉そうなこと言ってすみません!」

「……ふっ」


 焦る先輩を見て、つい笑ってしまう。真面目そうなのに、そういうとこ見せるのはずるい。


「あっ! ようやく笑ってくれましたね」

「えっ」

「綾瀬くん、さっきまでこの世の終わりみたいな顔してたので」

「そ、そんな顔してましたか……」


 俺にとってはそれぐらい大事だったから、なんて言えない。


「綾瀬くんは綾瀬くんです。無理に変わろうとしなくたって、私はいいと思います」

「先輩……」

「私みたいに料理がダメダメなのは、むしろ変わらなきゃですけどね……あはは」


 目が笑ってない。

 でも、先輩の言うことも正しい。俺は俺なりにできることで先輩を助ければいい。


 たまには俺も、良いところを見せないとな。


「それじゃあ、料理に入る前にまずはお昼にしましょう」

「はい!」

「わーい!」

「ひなたいつの間に起きたんだ」


 ようやく起きたひなたも一緒に、お昼の準備に加わる。

 リビングのテーブルには、スーパーで買った三つの惣菜パン。カレーパンが仲良く並んでいる。


綾瀬あやせくんが言っていたアレンジレシピですよね!」

「そうですけど、レシピなんて胸を張って言えるものじゃないですよ」

「そうなんですか?」


 手を洗った俺は、カレーパンに手を伸ばす。


「先輩の分もまとめてやっちゃいますけど、いいですか?」

「はい!見て覚えます!!」


 先輩はノートを取り出した。どうやら書き込むつもりらしい。


「何ですかそれ?」

「お料理ノートです!」

「お料理、ノート?」


 ピンク色の表紙には太字で「お料理ノート」と書かれている。

 料理の前に「お」をつけて上品にしてあるのが先輩らしい。


「勉強用に用意していたんですか?」

「はい!習ったことを家で復習するのに、あった方がいいと思って」


 俺は大雑把な感覚派。先輩は紙と鉛筆から入る理論派だ。


「さっそくノートの一ページ目が埋まりそうですね」


 先輩は最初のページに「カレーパンのアレンジ」と書き込む。

 アレンジといっても、本当に一手間程度のものだけど。


「たいそうなことはしないんです。ただ一手間加えるだけで」

「でも、今後他の事にも応用できそうじゃないですか。参考になりそうなことは、一つでも多く吸収したいです!」


 先輩の真面目な姿勢を見て、否定などできない。

 俺のアレンジが先輩の真面目さに値するのかは少し不安だが……。


「分かりました。じゃあ、さっそく始めますね」

「はい!」

「でも一瞬で終わりますから、あまり期待はしないで下さい」


 俺と先輩はキッチンへ。


「ひなた」

「う?」

「カレーパンはすぐにできるから。リビングで座ってテレビ見ててもいいぞ」

「うん!」


 ひなたは椅子から降りて、てててっ、とテレビの前へ。

 先輩に教えながらだと、待ち時間はひなたにとって退屈だろうからな。


 俺と先輩は電子レンジの前に立つ。


「わぁ!大きな電子レンジですね」

「多機能モデルなので大きいんですよ。場所は取りますが便利です」


 先輩は家電に興味津々。

 これ一台あれば、現代の三種の神器として生活に欠かせないくらいだ。


「温めるんですか?」

「はい。まぁ、そうですね」


 危うく意識が逸れそうになり、慌てて説明する。


「温めるのは合ってます。でも機能的にはこちらを使います」


 レンジのボタンを指し示す。


「オーブンですか?」

「その通りです」


 このレンジはオーブンレンジ。オーブンとしても使える。


「だからこんなに大きいんですねー」


 オーブンレンジは大きく、値段もそこそこする。うちのはかなり高めだ。


「先輩の家のレンジにはオーブン機能、付いてますか?」

「いえ、小さなオーブントースターならあります」

「なら安心ですね。今からやるのは、最低でもトースターがないとできないですから」


「大きいレンジは便利そうですね。一台で色々できますし」

「ただ、オーブンを使った後すぐに電子レンジとして使えないのが唯一の不満です」

「へぇ、なるほど」

「慣れれば問題ないです。最初は順番に苦労しましたが」


 先輩は真面目にノートにメモする。ちょっとしたことまで書き込むのはさすがだ。

 これだけ真面目に取り組むなら、料理の上達も早いだろう。


 俺はカレーパン三つをお皿に乗せて、そのままレンジへ。


「お皿に乗せたままでいいんですか?」

「フラット型なので大丈夫です」


 ワット数とタイマーを設定。


「1200ワット、2分強でいきます」


 三つ同時なので、少し強めに設定。

 スタートボタンを押す。


「卯月先輩のオーブントースターは何ワットまでですか?」

「確か1000です」

「なら家では1000ワットで2〜3分、焦げないよう様子を見てください」


 先輩は真剣にメモを取りながら、スラスラと綺麗な字を並べていく。


 ……今やってることは本当に料理と言えるのか微妙だけどな。

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