第23話:古傷(後編)【✦】


 当時、出稼ぎに出た両親が、突如発生した次元の亀裂から湧き出す瘴気の毒気に巻き込まれた。


 両親が重体の状態で隣町まで担ぎ込まれたと知らせを受け、若いスフェルは急いで駆けつけたのだ。


 瘴気の毒気にやられ、病院に運ばれた患者は大勢いた。

 現場は逼迫ひっぱくしており、医師の手は足りず、とても両親まで手が回らなかった。



 スフェルは医師に泣きながら縋り、懇願した。

 意識のない両親をどうか治療をしてほしい。無理ならば、手立てを自分に教えてほしい、なんでもするから――と。


 医師は根負けし、その手段をスフェルに教えた。



 瘴気の毒気は、些細な手傷であっても、そこから毒気が広がり、身体が傷んでいく。


 その毒気で傷んだ一部を切除すれば――もしかすると、命は助かるかもしれない、と。




 スフェルは、それをひとりで実行した。




「両親は、助からなかった」


 スフェルが、震える自身の両手を見下ろす。


「俺はいたずらに両親の身体を弄んだだけだった。むしろ、死の引き金を引いたんだ」


 次第に彼の息は震えながら乱れ、短い息遣いと、深い呼吸を繰り返しはじめた。

 彼の目は暗く絶望に染まり、絶え間ない涙が静かに溢れている。


「最初に傷んでいたのは手足の指先だけだったのに、お、俺が慣れていなかったせいで、何度も、はは、お、俺は死にかけた両親の身体を、り、両手を、足を」

「――スフェル、もういい。なにも言わなくていい!」


 大きく震えて、我を失うスフェルを、ネイロンは抱き寄せた。

 スフェルの行動に、ようやく納得ができた。


 戦いの場で弟をがむしゃらに守り抜く彼の振る舞いや、彼に対して異常に過保護な点。連日の自暴自棄な彼の行いも。


 彼は、肉親を失うことを――強く恐れている。


「お前のせいではない。瘴気の毒気は外側で顕著に現れるが、見えない部分でも、急速に腐敗は広がる。どうしようもなかったんだ。お前は愛するひとたちを、懸命に助命しようとしただけだ」


 きっと、当時の医師もそう言ったはずだ。

 それでも、スフェルは責任を感じたのだろう。


「だが、マティアスには、言えなかった」


 彼は、ぽつりと呟く。


「両親を、見せることができなかった。誰よりも優しかった両親の、あの無惨な最期の姿を。……俺があんな残酷なことをしたのだと知られるのが怖かったんだ。かわいいあの子には、残酷なことを知らずに、傷つかずに生きてほしかった。俺のように、汚れてほしくなかった……」

「お前は汚れていない」


 スフェルの虚ろな目が、その言葉に反応する。


「お前の手も、その魂すらも。……どれもが美しい。まばゆいほどに」


 ネイロンは、ひとつひとつの言葉を強調させて、スフェルを称えた。


 沈黙の時間が過ぎる。

 スフェルは静かに、ゆっくりと首を振り、ネイロンから離れた。



「俺には、そのどれもが過分な言葉だ」


 低いつぶやきは無感情で、ひどく冷たかった。

 彼の頬には涙の跡が残っていたが、すでに、その瞳は渇いている。


「……俺がお前を好いているのは、きっと、お前が俺に対して、深く踏み込むことがなかったからだろう」


 スフェルは、深く息を吸った。


「俺は、誰かに愛される資格がない。当たり前のことを、なぜ忘れていたんだろうな」


 その言葉は、ネイロンに対する明確な拒絶だった。

 ネイロンは、たしかな失望を感じながらも、スフェルの静かな言葉を受け入れた。


「それでも私は、家族を守ろうとするお前の姿が好きだ。……私は、家族を守れなかった。その機会を、与えられていたのに」


 切なげに零した言葉にスフェルは驚き、悲痛な目をネイロンに向ける。

 ネイロンの家族の話を聞いたのは、これが初めてだ。


 あのとき見た彼のペンダント。

 そこに刻まれた模様は、貴族の家紋だった。


 彼は遠縁だと誤魔化していたが、あれは――きっと自分を含む、家族の絵だったのだろう。


 彼になにがあったのか、どう生きてきたのか。

 スフェルは知りたかったが、彼を拒絶したばかりの口は、ひどく重い。


 ネイロンはスフェルの視線を受けて、気遣うように彼に手を伸ばしかけたが、親密な仕草を控えるように手を引く。


 今後は彼を友人として尊重すべきだと、自らに言い聞かせた。


「……私に、お前の手伝いをさせてほしい」


 ネイロンは、そっと指輪を取りだした。

 彼の弟、マーティが用意してくれた月長石で作った指輪だ。


 美しいながらもシンプルな細工で、戦いの邪魔になることもないだろう。


「これはマーティがお前のために手に入れた素材で作られたお守りだ。お前が、みなを守れるよう魔法が込められている。……深く考えなくていい。友人からの贈り物と思ってくれ」


 ネイロンはスフェルに贈ろうとして、友人にしては親密すぎる動作だと感じ、手が止まる。


 彼は懐から自身の家族の絵が収められたペンダントを取りだすと、そのチェーンを取り去り、代わりに指輪にくぐらせようとした。


 しかし、スフェルが自然とそれを阻み、自身の左手の指にはめ込む。

 それは彼の指に、ぴったりと馴染んでいた。


「……きれいだ」


 宝石に疎いながらも、淡いブルーの輝きを帯びた石に目を奪われた。


 ふと、スフェルが目を上げると、ふたりの視線が交わる。

 その瞬間、傷を負った互いの魂が惹かれる感覚をおぼえた。


 スフェルとネイロンは戸惑い、衝動と、躊躇に挟まれた。

 だが、どちらからともなく引き寄せられるように身体が動いている。



 これは愛情を伴わないもの。

 互いの古傷をいたわる、ほんの触れ合い。



 そんな心持ちで、ゆっくりと互いの顔を近づける。

 スフェルはネイロンの目にかかる銀の髪を指先でそっと払う。ネイロンはそれに応えるようにスフェルの頬に触れ、近づいた。



 唇が触れ合うその瞬間、彼らは友情という名の境界線を、たしかに越えていた。

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