第16話:導き

「まったく……あんたたち、ただものじゃないね。聖者様が壁画から飛び出てきたかと思ったよ」


 地面にゴルダーナが、痛そうに頭をさすりながら言う。

 ヘロムアが彼女を起こしつつ、残念そうな声をあげた。


「新しい宝石、欲しかったなぁ」と嘆くヘロムアに「また勝ちゃいいさ」と、ゴルダーナが彼の肩を広い手で叩く。

 彼女はふとオーグストらに視線を向けると、彼に歩み寄った。


「やるじゃないか、ナイトハウンド。次は負けないよ」


 そう言って、ゴルダーナは潔く手を差し出す。

 オーグストは、一拍置いて彼女に握手を返した。


 あのオーグストが、素直に相手に応えているのを見て、マーティは意外に思う。

 彼にとって、それほどゴルダーナは強敵だったのだろうと察せられた。


「なあ、ヒナタ。俺の魔法をかき消すなんて、運命的なものを感じるな。どうだい、これからお茶にでも――」


 懲りない態度のヘロムアに、オーグストが、ぎろりと厳しい視線を向ける。

 仮面の奥に敵意を感じたヘロムアは、一歩後ずさった。


 そのとき、離れた場所にいたロムシドが、拍手をしながらこちらへ向かってくる。


「――いやあ、いい戦いでしたね。思わず私まで熱中してしまいました。こんなに盛り上がったのは久しぶりですよ。ねえ、ゴルダーナ」

「ああ。最近は骨のあるやつがいなかったからね」


 ロムシドは武道会の常連のゴルダーナとも親しい様子だ。彼らは短いやりとりのあと、マーティらに向き直った。


「ヒナタさん、ナイトハウンドさん。優勝おめでとうございます。――さあ、準優勝の方々も、賞品をお渡しするので、みなさんついてきてください」




 長い廊下の先に、ひときわ大きな扉が現れる。


 ロムシドは自身の背丈よりやや高い位置にある真鍮のドアノブに手を伸ばし、扉を開いた。


「ここが、賞品の展示部屋です」


 宝石の原石が並んだ部屋を、マーティは感嘆の声をあげながら見渡した。

 ヘロムアも興奮した様子で宝石を観察している。


「おや、鏡石じゃない。珍しい」

「鏡石?」

「見るのは初めて? 面白いから、手に取ってみなよ」


 ヘロムアに言われて、マーティは手にとってみた。

 手のひらに収まる小さなそれは、名前のとおり、鏡のようにマーティの姿を反射している。


「なにが面白いんだ?」と言いたげなマーティの視線に、ヘロムアはなにかを考える素振りを見せると、何気なく口を開いた。


「なにが面白いのかは……そうだな。きみのことをもっと知りたいんだけど、ひとつ質問に答えてくれないかな? たとえば、きみが惹かれる、理想の相手とか」

「え、なんでそんなこと……」


 ヘロムアの言葉に疑問を抱きながらも、思考の中でそれらの項目を挙げた瞬間だった。


『年上、高身長で顔がいい! こーんなダメ人間でも、い~っぱい甘やかしてくれる優しい人! でも、やっぱり一番は』

「――っだあぁぁぁっ!? なんなんだよこれ!?」


 有り得ない暴露をする、きゃぴきゃぴの自分の声が鏡石から聞こえて、マーティは思わず自分の大声で音をかき消しながら石を取り落とす。


 ヘロムアが見事にそれをキャッチし、元の場所へ戻した。


「なかなか欲張りさんだね。――と、こんな具合で、人の心の声を再生してくれるんだよ。こんなに精度が良く聞こえるなんて、訳ありとは言え、いい品だよ?」

「そういうことは最初に言えよ! というか、こんなこと考えてない!! 考えてないぞ俺は! ――ふざけるな、ヘロムア!」


 ヘロムアは「俺、目一杯甘やかすよ?」とふざけたことを言っているが、マーティは断固無視した。


「まだ鳴ってる。ほんとに精度が良い。よく手に入ったね」


 ゴルダーナが鏡石をつまみあげた途端に、石は「年上、高身長で顔がいい!」とマーティの声を真似て大騒ぎしている。

 マーティは「ああああ」と言いながら耳を塞いだ。


「あの~、いちおう優勝した方のための展示品なので、あんまり触れられるのは困るんですけど……」

「悪かったね」


 ロムシドの困ったような声に、ゴルダーナはしれっとした態度で元の場所へ戻した。


 ヘロムアは問題児だと思っていたが、彼女も大概な気がする。

 ようやくふざけた声が止み、マーティは深い安堵のため息を吐いた。


「……こんな便利なものがあるなら、なんで国は尋問なんかで使わないんだ……」


 マーティは、自分の誇張表現された本音を認める形で嫌だったが、それ以上に疑問だったので口に出す。


「不思議なことに、鏡石は強い緊張感や警戒、恐怖の前では反応しないんだ。一度こうして心の声を読みとったら、しばらく同じ言葉を繰り返す、お遊び程度のものさ。貴重なものだしね」

「はあ……」


 ゴルダーナの説明を聞いて、マーティは前世であった声を録音して高い声でオウム返しをするぬいぐるみを思い出した。


 なんにせよ、もう二度と鏡石には触れたくない。


 冷や汗を拭っていると、ふと、オーグストと目が合う。

 彼は腕を組みながら、じっとマーティを見ていた。


「……年上、高身長で顔が――」

「違う! や、やめろ!」

「お前も名を笑っただろうが」


 マーティは唸った。

 こんなことになるなら、オーグストを笑うんじゃなかった。



 マーティがオーグストから目を逸らしていると、部屋の奥に、ぶ厚い石板が壁に飾られているのが目に入った。


 華美な宝石が展示してある部屋にしては、青い岩肌のその存在は無骨で、マーティは吸い寄せられるようにそこへ近づいていく。


 その石板の四隅には、特徴的な模様が彫られており、中央に文字が記されていた。

 その模様は、どこかで見たような気がするが――思い出せない。


「これは……?」

「ああ、それは始まりの聖者様の仲間の、吟遊詩人が残した言葉だよ。なんでも、署名の部分の文字は、自分の故郷の言葉とか。彼は、この仮面武道会を主催した人なんだ」


 ゴルダーナは「古代語の意味は分からんが、ありがたいお言葉が書いているんだろうよ」と言いつつ、いつの間にかロムシドから手渡された賞金の紙幣を数えて、ヘロムアに分けている。


「言ったでしょ? カルレイヴの歴史を知ることができるって」


 近づいたロムシドがウインクしながら小声でそう言っている。



 マーティは、胸騒ぎがした。


 目の前にある文字の大半部分は、たしかに古代語のようだった。


 しかし、最後の署名の部分は、現代で使われている文字でもなければ、古代語でもない――ヒナタのいた世界で言う、アルファベットに該当するものだ。


「――この言葉を読んでいる、光の資質を持つ未来の者へ」


 マーティは、隣で古代語の翻訳をはじめたオーグストを見る。


「我ら四人は、光を宿す言の葉を持つ者だけが、封じられた洞の奥へ辿り着けるようにした」


 オーグストは言葉を区切ると、再び文字を読み上げる。


「意思ある者の手によってあの場所に遺したものが、いつか希望に変わることを祈る。ローガン……」

「……ローガン・バレンタイン」


 マーティは、署名のアルファベットをつぶやく。

 オーグストは文字に向けていたその視線を、おもむろにマーティへ向けた。


「……お前、なぜ異界文字を読めた? と言い、ふつうは分かるものではないだろう」

「い、異界文化が好きで、少しなら分かるんだよ」


 ――そう。魔王が生み出した自然災害である、次元の亀裂。

 その影響で異界――つまり、地球のものがこの世界に紛れ込むこともある。


 異界に関する文化や言語の解明はいまだ謎が多い。

 だが、名前や道具、一部の言葉がこの世界に持ち込まれ、流行や文化として定着する例もある。

 マーティの言い訳も、嘘としては充分、筋が通っていた。


(――始まりの聖者の仲間だった吟遊詩人は、地球人だった?)


 たしかにゴルダーナは、あの石板の署名の文字を「吟遊詩人の故郷の文字」と言っていた。


 彼も“ヒナタ”と同じ、異界人だったというのだろうか。

 背筋に、ひやりと冷たいものが走る。


 異界から来た者は、特別な魔法や言霊を持つと聞く。

 きっと彼も特別な資質を持っていたからこそ、聖者カルレイヴと旅をしていたのだろう。


 ――しかし、彼が「異界人だった」という話は、これまで一度も聞いたことがなかった。

 王政が古代語の使用を禁止した際、その記録もろとも封印されたのだろうか。


 ……思い返せば、自分の光の力も、異界人の資質に該当するのかもしれない。

 そんなとき――ふと、マーティの中で、ある疑問が浮かんだ。


「オーグスト……お前こそ、最後の署名を読んでたよな? 魔道具で異界語まで分かるのか? ……でも、それって、おかしくないか?」

「……おかしくない」

「いや、おかしいだろ」


 魔道具は、この世界特有のものだ。

 百歩譲って古代語が解読できるのは、まだ分かる。でも、異界の文字なんて読みとりようがないじゃないか。


 “封じられた洞の奥”、“遺したもの”……。

 “光を宿す言の葉”とは、言霊のことだろうか?


 詩で開く扉の仕掛けは幾度となく見てきたが、比喩的な表現ばかりで、どの場所を示しているのかも分からない。



 マーティは目の前の署名を眺め、前世の繋がりを感じて表情を曇らせる。

 オーグストは、そんな彼を物言いたげに見ていた。

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