第6話:再びのカルレイヴ(後編)――侵食する精神


「マーティ。体調は大丈夫か?」


 不意に、隣の部屋のバルコニーからスフェルとネイロンが現れた。

 ふたりは襟元を緩めて、休息を意識した格好をしている。


 ――そういえば、巻き戻る前の夜も、ふたりはここにいたんだった。

 マーティはぎこちなく笑顔を作った。


「兄さん。俺はもうなんともないよ。心配しすぎだって」

「そうか。食事の席では、無理をしているように見えたからな」


 内心、ぎくりとする。無理をしていたように見えたのは、きっと緊張していたからだ。

 マーティは話題を逸らすように、カルレイヴの町並みへ視線を向けた。


「ま、街を見ていたんだ。触媒探しに最適な店は無いかと思って……」

「そうだったんだね。……カルレイヴの装飾品は特産品として有名だから、触媒にうってつけだろう」


 ネイロンも会話に入り、話は自然と巻き戻り前の夜のようにカルレイヴの宝飾品と、それを求める貴族の話になった。


 聞き覚えのある会話に、運命は変えられないのかもしれないと、マーティの脳裏に不安がよぎる。

 何気ない話題であったものの、一度生まれた懸念を拭うこともできず、マーティはネイロンの話を自然と右から左へ流してしまっていた。


「私自身、貴族からカルレイヴの品の仕入れを頼まれることが何度かあってね……。私が仕えているのは彼らではないし、カルレイヴは特殊な場所だから、相手を苛立たせないように断るのは苦労するものだよ」

「困りごとがあれば俺を頼ればいい。俺の顔は、他人から見てどうやら威圧的に感じるようだからな」


 スフェルの言葉に、ネイロンが笑う。

 巻き戻り前に見聞きした流れに、マーティは、すっかり黙りこんでしまっていた。


「おや、見くびられたものだな、スフェリウス。私は魔術師だよ。その気になれば、指一本動かさずに牽制出来るさ」

「貴族相手に魔法を使えば、それこそ問題だろう……」

「後ろ暗いことを考える貴族の口は、案外固いものだ。……それに、お前の顔が威圧的だって?」


 ネイロンが、言葉を区切る。

 彼はスフェルに身体を近付けると、そっと耳打ちした。


「お前の顔は可愛いよ」


 それは囁きのような声だったが、はっきりと聞きとることのできるものだった。


 ネイロンの口説き文句に、マーティは目を点にしながら二人に視線を向ける。

 スフェルは、自身の特徴に合致しない言葉を理解できないとでも言うように沈黙していた。


「……なにを言う」


 スフェルが、やんわりと身を引く。

 彼は表情を崩しはしなかったが、身内だからこそ分かる当惑の気配をマーティは感じとれた。


 これは、巻き戻り前に見ることはなかったやり取りだ。

 些細なことかもしれないが、運命はそういった積み重ねで変えられるのかもしれない。


 ネイロンの穏やかな眼差しを受けて、スフェルは、まんざらでもない様子だ。


 穏やかな雰囲気に、二人を同室にして良かったと安堵する。

 しかし、それと同時に親密さを隠そうともしないネイロンに、マーティは少なからず驚いていた。

 同室を促したせいだろうか。ネイロンはマーティから見て、とても大胆だった。


「……お邪魔虫は退散するとしようかな」

「マ、マーティ」


 珍しく、困惑した視線をスフェルから向けられたが、マーティは手を振って部屋に戻った。


「ネイロン、弟の前で、あんな冗談はやめてくれ」

「冗談を言っていると思ったのか? それは心外だな……」


 外から微かに、スフェルとネイロンのやりとりが聞こえる。

 なんだか聞いてはいけない気がして、マーティは、そっとカーテンを閉めた。


 しんと静まり返った室内で、マーティはベッドに座り込む。

 こうして過ごしていると、一気に孤独感と重圧が押し寄せてくる。それを振り払うように、明日の予定を考えた。


(情報を集めよう。……まずは町長さんに話を聞いて、それから、触媒探しと、魔法の訓練も……。それから本屋とか、図書館に行って、魔王に関する情報も集めれるものは集めて……)


 やらなければならないことは山積している。


 ――魔王は、まだ繭の段階だ。

 もたもたしているうちに、繭は第二の魔王として覚醒し、この世界に再び混沌をもたらす結果になるかもしれない。


 想像して、ぞっと背筋に悪寒が走る。

 考えがまとまらなくなって、マーティは自然と体育座りのような姿勢をとると、膝に自身の顔を埋めた。


(ダメだ、ダメだ。……大丈夫……ヒナタ、いや、マーティ。まだ、時間はある。……そういえば、この後は、なにがあったんだっけ……たしか、俺は廊下に出て……)


 ――そうだ、オーグストと会ったんだった。

 となると今、彼は巻き戻り前と同じように、廊下で過ごしているのかもしれない。



 巻き戻り前の宿での出来事を思い出す。オーグストの意味深な視線と、彼の手の熱さ。

 マーティは鮮明に思い出すことができたが、オーグスト本人はそのことを知らない。


 それが、酷くむなしく感じた。



 突然、ガチャリとドアの開く音がして、マーティは顔を上げる。

 そこにはオーグストがいた。一瞬だけ目が合い、気まずくなって顔を背ける。


 オーグストの顔を見た瞬間、マーティは何故だか――彼にもう一度だけ、名前を呼んでもらいたい気持ちになった。

 彼から名前を呼ばれたのは、あの魔王城のときだけだ。


「……ノックくらいしろよ」

「ここは俺の部屋でもある。お前がそれを望んだんだろう」


 マーティは、オーグストの言動に片眉を吊り上げた。

 ――まるで自分がオーグストと同じ部屋になりたかったような言い方だ。


(そんなこと、思ってもいないくせに)


「別に、お前と相部屋を望んだわけじゃない。兄さんが心配するから、気遣っただけだ」

「勇者様は、世話係を俺に押しつけようと思ったわけか」

「はあ? 誰もお前に――」


 ――俺の世話をしろなんて言ってない。と、言いたかったが、今まで戦闘面では、さんざん世話になりっぱなしだったので、言い返せない。


 どうせ自分は世話をかけてばかりの足手まといだ。マーティは自虐的なことを考えながら、オーグストを受け流す。


 巻き戻ってからというもの、マーティはどもりがちだったが、オーグストの前では不思議と自然に話すことができた。

 しかし、口から出るのはぶっきらぼうで、そっけない言葉ばかりだ。


(――だって、仕方ないじゃないか。オーグストに、優しくしてもらったことなんて……)


 マーティは、思い出して口を閉ざす。


 オーグストが名前を呼んでくれたことを。自分を守ってくれた、最期のときを。

 

 彼は、きっと自分を友だと思ってくれていたのだろう。

 オーグストのことは、今のうちに冷たく突き放しておかなければならない気がした。


 もし、今回も魔王城で失敗したとしても――。


(俺を守るために、あんな風に自分を犠牲にしてほしくはない)


 マーティは、自分が足を組んでいたことを思い出す。

 なんて子どもっぽい格好でやり取りをしていたのだろう。


 即座に姿勢を崩すと、マーティは、ツンと顎を反らしてオーグストを見た。


「――ふふん。偉そうにするのも今のうちだぞ、オーグスト。俺はようやく勇者としての力に目覚めたんだ。魔王相手に、お前が活躍する暇もないくらい、あっという間に倒しちまうかもな~?」

「手間がかからないに越したことはないだろう。しかし、やすやすと魔力酔いを起こしていた人間の口から出る言葉とは思えないな」


 オーグストの言うことは、もっともだ。

 ちっぽけな自分と稚拙な語彙が嫌になる。しかし、マーティは得意げにふんぞり返って、尊大な態度をとり続けた。


「俺は晩熟型なんだよ。伸びしろはこの先にある……ってやつだ」

「物は言いようだな。勇者様」


 ――勇者様って言うな。名前で呼べよ!

 くだらない言い争いの流れで、ついくだらないことに苛ついてしまい、マーティは顔を背ける。


「ったく、お前ってホントに……」


 ――俺のことが好きで仕方ないみたいだな。

 マーティは皮肉っぽく、そう言いかけて言葉を詰まらせる。


 オーグストは不自然に区切った言葉の先を待つようにマーティを横目で見ている。

 しかし、言葉は出てこず、マーティは代わりにため息を零した。


「……なんでもない。もういい。……俺は、疲れたから寝る」


 眠るには少し早い時間だったが、気まずくなってベッドに潜り込む。

 背後のオーグストが気になって眠れないと思っていたが、色々なことが重なったせいか、頭がぼうっとしてくる。


 眠ることは容易く思えたが、横になった瞬間から、低い耳鳴りが頭の中を占める。

 その雑音が、次第にマーティの思考をじわりと蝕んだ。



 ――オーグストが、俺のことを、好きだって?

 マーティは内心、鼻で笑った。



 かつてのマーティならば、冗談でそんな言っていたが、ヒナタの精神が大きく影響した今では、とてもそんなことを考えられなかった。



 よくも、そんな偉そうなことが言えたものだ。

 馬鹿で、能天気で、人に頼ってばかりのダメ人間。みんながお前のせいで割を食ったんだ。


 雑音が、次第に自分を罵る声になる。それは聞き覚えのある人間の声のようなものにも、まったく知らない人間の声のようにも感じた。



 ――俺みたいな人間を、好きになる人なんていない。



 柔らかい上掛けに包まっているはずなのに、まるで硬いものに押しこめられている気持ちの中でマーティは眠りに就いた。

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