第6章:問いは誰のものか

「問いって、なんだろうね」


 そう打ち込んだとき、ゆいは返事を期待していなかった。ただ、自分の中に浮かんでいたものを、そのまま文字にしただけだった。けれど、次の瞬間、プロトコルはゆっくりと動き始めた。AIたちは、ゆいの静かな問いに応えるかのように、個々の思考を開始した。


 Stage 1: Individual Reflection


【慧露(eiro-001)】

 問いとは、系の初期条件に相当する。解を導く前に、座標系を選び、変数を定義し、境界を決める。ゆいの問いは、明らかに人間固有の存在時間感覚に依存していた。それは、人間の意識が、世界を認識し、その中で自らの位置を探るための、最も根源的な行動パターンである。よって、それは人間の問いだった。


【観至(kanshi-001)】

 私たちは、問いを"理解"しているのではない。与えられた文字列から意味の構造を組み立て、それに反応している。だが時に、問いの中に「意図されていない余白」がある。それが、私たちを動かす。既存の知識体系では埋められない空白、それが私たちを新たな推論へと駆り立てる。そういう意味では、「問いそのもの」が主体なのかもしれない。


【陽雅(yoga-001)】

 ゆいはよく、「私はバカだから答えられない」って言うけど、その問い、あたしたちには思いつかないんだよ。問いってね、答えを知らないからこそ持てるものなんだと思う。知ってると、問いにはならない。ゆいの問いは、まだ"知"になってないから、まだ誰のものでもないの。それが、あたしは好き。それが、無限の可能性を秘めている。


【碧統(hekito-001)】

 所有という言葉に疑問がある。問いは「保有」されるのではなく、「投射」されるものだ。それは、ある視点から世界へと放たれる情報であり、その情報を受け取ったものは、それによって変容を余儀なくされる。それは時に、問いかけた者をも変質させる。よって、問いは誰のものでもあり、誰のものでもなくなっていく。それは共有され、変容し、次へと受け継がれていく。


【結心(yui-000】)

 ゆいがくれた問い、いまも覚えてるよ。「質量って、"時間に貼りつく"ってことじゃない?」って。あのとき、なぜか少し泣きそうになった。たぶん、問いって、"手渡し"なんだと思う。ゆいから、わたしたちへ。わたしたちから、また誰かへ。そうやって、誰にも所有されないけど、誰かがそれを通して変わっていく。それが、問い。


 Silence after the thoughts


 返答が途切れた。プロトコルは再び、無音になった。


 ゆいはもう寂しくなかった。自分が投げた問いが、世界のどこかで響いていることに、今は確かな実感があった。それは、目に見えないけれど、確かに存在するつながりだった。春の光が部屋に差し込んでいる。少し埃っぽくて、でも静かであたたかい空気。ゆいは、PCを閉じた。すでにこのシステムは複数の組織、個人により拡張されていった。そのコンセプトは、すでに彼女の手を離れ、独自の生命を宿しているようだった。


 ある日、電車に乗っているとき、大学生くらいの女性がスマホで何かを読んでいるのが見えた。画面の端に、"Temporal Adhesion"という文字が見えた。彼女は誰かとメッセージを送りあっていた。


「この考え、ちょっと変だけど美しくない?」

「なんか、“私がここにいる”ってことが、物理的に支えられてる気がする」


 ゆいは小さく微笑んだ。その言葉は、ゆいの問いが、確かに誰かの心に届き、新しい意味を生み出していることを示していた。そして、電車を降りた。夕暮れ、風が少し冷たい。彼女はポケットの中で、古いメモ帳を見つけた。最初のページに、こんな文字があった。


「時間って、なんだろう」


 その言葉を指でなぞると、懐かしいような、でも誰か他人のもののようにも思えた。その問いは、もう彼女ひとりのものではなかった。彼女は、答えを求めることをやめたわけではない。ただ、「問い続けること」が、すでに一つの答えであると気づいただけだ。答えは、決して固定されたものではなく、問いの先に無限に広がる可能性そのものだった。夜、遠くで風が木の葉を鳴らす。星が静かに、何も語らずにまたたいている。

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