第6話:金曜日。あたしは周防金穂のご褒美に……(前編)

 金曜日。


 すっかり歩き慣れた坂道を、だけど今日は一人で歩いている。


 お、これ、何かの歌詞みたいだな? ……だなんて胸中きょうちゅうでおどけてみるが、実のところそう穏やかではない。


 一人だろうとなんだろうと、行き先は昨日までと変わらず、代々木よよぎ上原うえはら駅から徒歩10分の周防すおうていだからだ。


 今日の生徒さんは、あたしが今回家庭教師をつとめることになる最後の生徒であり、周防家の五女・周防すおう金穂かなほちゃんだ。


 彼女も周防学院に通う生徒ではあるのだが、通っているのは中等部。中2の末っ子である。


 周防家の五姉妹という有名人なので、芸能人みたいな感じで顔と名前は知ってはいるものの、接点はゼロだ。


 人となりを知っておくのもいいかなと思ったし、これまでの4人はそうだったものだから、てっきり学校から一緒に行くのかなと思って、


『どこで待ち合わせしようか?』


 理事長経由で教わった電話番号にショートメッセージを送ると、


『一緒に帰る必要があるかしら?』


 という返事が返ってきた。


 それで、一人で向かっているというわけだ。


 別に必要はないんだけど、バラバラでいく必要もなくない?と思うし、なんなら先に帰ってると何かの準備(たとえば消臭ビーズをしかけたり、カメラをしかけたり、マイクをセッティングしたり。あと、チーズケーキを用意……してくれたのは嬉しかったけど)をされているのではないかと身構えてしまうし。


 まあ、雇用主が望むんだから仕方ない。


 うーんとうなりながらも周防邸に到着し、5回目にして初めてのインターフォンを鳴らす。


 なんの返答もなく門がものものしく、自動で開く。


 玄関につくと、金穂ちゃんが、外側に開いた扉に腕組みをして寄りかかって待っていた。


 小柄だけど、苛烈かれつな目つき。長い黒髪は少し背伸びをしようとしている風でもあるけど、よく似合っている。


 見上げるその目はあたしを睨んでいるようで。


「いらっしゃい。よく来たわね」


「……どうも」


 ……金曜日にして、これまでとはまったく様子が違うじゃないですか……!


『いらっしゃい、よく来たわね』と、字義的には歓迎してくれてはいるものの、どうにもあたしを警戒している、もしくは試しているように見える。


 金穂ちゃんはあたしを先導して、木之実ちゃんの隣の部屋まで連れて行ってくれる。


「ここがアタシの部屋よ」


 昨日までと同じ間取りの部屋に、今日は、ビーズクッションがたくさん置いてあった。


「なるほど……」


「なるほどって何よ?」


「あ、いや、こっちの話」


 長女妃月さんは味覚。

 次女火凛は嗅覚。

 三女水湊ちゃんは視覚(リンパ節)。

 四女木之実ちゃんは聴覚。

 

 ときたら、当然触覚だろうとは思っていたのだが。


「金穂ちゃんはビーズクッション好きなの?」


「別に」


「これだけあって『別に』ってことある? エリカ様なの?」


 ヨギボーやら、無印良品の人をダメにするソファやら、あたしの知らないブランドのものまで、ビーズクッションがたくさん置いてある。


「あなた、何言ってるの……?」


「ううん、なんでもない、あたしも歴史上の事実としてしか知らない」


 あたしが生まれるちょっと前にね、あったらしいのよ、そういうのが。


「はあ……?」


「でも、そしたらなんでこんなにたくさんビーズクッションがあるの?」


「あなたに関係ないでしょう?」


「そりゃ、別にないけどさ。そんなにいいたくない理由なら別に大丈夫だよ、なんかごめんね」


下衆げすの勘ぐりはやめてちょうだい」


 ゲスって言われたでげす……。


「……姉様たちがプレゼントにくださったのよ。昔ね、家族で伊勢丹に言った時にちょっと揉んでたら、いつの間にか1時間くらい経っていたことがあってね。そしたら『金穂ちゃんはビーズクッション好きだもんね』って勘違いしちゃってね。それが積もり積もってるだけ」


「ああ、なるほど……」


「姉様たちから頂いたものを捨てるわけにもいかないでしょう? 何か文句あるかしら?」


「文句とかはないです」


 1時間も揉んでて好きじゃないって何? どうしてこの子はビーズクッションにツンデレかましているのだろうか。


 他の4人の部屋には椅子と机(もしくはテーブル)があったけど、この部屋の机はローテーブルだった。どうやら地ベタ派らしいところも意外だ。


「で、金穂ちゃんはどの教科が苦手なの? 何を教えたら良いかな?」


「誰に聞いてるわけ? アタシに苦手な教科なんてあるはずがないでしょう?」


「え、そうなんだ?」


「ええ、もちろん。ご覧なさい」


 そう言って金穂ちゃんは成績表と校内模試の結果を見せてくれる。


「おー……」


 成績はオール5で、校内模試は全教科満点。


「すごいね」


「……反応が薄いわね」


「まあ、なんというか……」


 あたしは頬をかく。


 それは、まるで自分あたしの成績表をコピーしたみたいだったから。自分と同じ成績の人を過剰に褒めちぎられるほど、自己評価は高くないのだ。


「でも、じゃあ、どうして家庭教師なんて呼んだの?」


「良い成績を維持するために家庭教師を雇うという考え方もあると思うけれど? むしろ、通常、成績優秀者のほとんどは塾に通ったり家庭教師を雇ったりしてるんじゃないかしら?」


「そりゃそうだ……」


 あたしは家庭教師を雇うお金なんてないからなあ……。


「でも、家庭教師なんて要らないのは事実よ」


「え?」


 あれ、金穂ちゃんはあたしを家庭教師にしてほしいと理事長お父さんに頼んだわけじゃないのか。


 首をかしげるあたしをズビシっと指差して、


綿谷わたや澄香すみか


「は、はい」


 そして、高らかに宣告する。






「アタシは、あなたを最速で家庭教師の任から下ろしてみせるわ」






 そんな傲岸ごうがん不遜ふそんな悪役令嬢じみたセリフを聞いたあたしは、顔をしかめてつぶやく。






「…………え、早くない?」







「……早い?」


「お姉さんたちは一通り授業してからだったけどなあ……」


「ど、どういうことよ? アタシがあなたをクビにさせてやるって言ってるのよ?」


「うん、それはありがとうなんだけど……」


「ありがとうなの!?」


「でも、なんか条件出すんだよね?」


「条件……? どういうことかしら?」


「条件は条件だよ、交換条件。じゃないなら『お願い』とか『ご相談』とか……次はなんだろう。契約、とか? ああ、金穂ちゃん似合うよ、『契約』」


「さっきからよくわからないことばっかり言って……! あなた、アタシをバカにしてるの!?」


「バカにとかはしてないんだけど……」


 せっかくちょっと違うパターンで来てくれるかなって思ったのに一緒っぽいから……。


「じゃあ、あたし金曜は自分の勉強にあてていい?」


「逃げるのかしら?」


「いや、要らないっていうから……。金穂ちゃんはどうしてあたしを家庭教師にしたの? クビにするためにわざわざ家庭教師に指名したってこと?」


「そうよ。正確に言うなら——」


 ふ、と金穂ちゃんは笑う。


「——あなたを学外に追放するため」


「なんでよ!?」


「方法は簡単だわ。アタシほどの成績優秀者が、あなたが家庭教師になった途端に成績を急激に落としたら、どうなると思う? 理事長お父様はあなたが原因だとして、あなたを追放するはずよ」


「今、あたし、方法聞いてないよね!? 理由聞いてるんだけど!?」


「うっ……!」


 したり顔で喋る金穂ちゃんに、あたしの正論パンチを打ち込む。


「答えて。なんでそんなことするの!?」


「あなたが……あなたが、姉様たちをたぶらかして、かどわかしているからに決まっているでしょう?」


「はい……?」


 たぶらかしてかどわかす? あぶらかたぶら?


「こちらこそ質問があるわよ。あなた、姉様たちに何をしたわけ?」


「何って……?」


「体育祭の日よ。あの日以来、近頃じゃ夕食の話題でさえあなたに汚されているのよ」


 ミスチルみたいなこと言ってる金穂ちゃんに、あたしは様々な角度から釈明する。


「あたしは壇上で得点読み上げて円陣組んで出しもののダンス踊っただけです……」


「そんなはずないでしょう? それで姉様たちがあんなに腑抜けになるはずないじゃない!」


「あたしだって知らないよ……」


 ……ん、ていうか。


「あれ、じゃあ、金穂ちゃんはお姉さんたちをあたしに取られたのが嫌で、あたしを学外に追放したくて、あたしを雇ったってこと?」


「そうよ」


 その言葉をきいて、大きなため息が出てくる。


「良かったー……!」


 安堵あんどのため息だ。


「はあ?」


「いや、だって、妃月さんも火凛も水湊ちゃんも木之実も、みんな変なこと言って来るんだよ!? 付き合ってとか、官能小説の朗読とか……」


「それがあなたが仕組んだ結果でしょう?」


「仕組んでないってば。……じゃあ、金穂ちゃんも、あたしが4人の誰かと付き合ったりしないで、成績をあげるのに集中すれば文句はないんだよね?」


「それでも綿谷澄香が姉様たちと二人きりになるために仕組んだと言う疑いは晴れないわ」


 いや、仕組んだのはどう見ても姉様たちの方なんだけど。


「でも、成績今のままで赤点取ったら、いくら理事長の子でも退学か、よくて永遠に留年になっちゃうんじゃない? お姉様の方が学外追放されたら困るくない?」


「ええ、そうだけど……?」


「じゃあ、約束して」


 あたしは小指を差し出す。


「あたしが4人の成績を本当にあげたら、金穂ちゃんのその作戦を発動させないって」


「ふん」


 でも、ご令嬢は腕組みしたままそっぽを向く。


「そんな約束、信用出来ないわ」


 まあ、無理なら無理なんだろう。


 ここで形だけの約束にこだわっても仕方ない、か。


「じゃあ、約束は今度でいいから、とりあえず、授業しようか」


「話聞いてた? アタシに授業は要らないって言ってるでしょ?」


 じろっと睨む金穂ちゃん。


「いやいや、お給料はもらってないけど、それこそ理事長とした契約だもん。なんでもいいから、授業はさせてもらうよ」


「勉強を見られても困るってば……あ」


 あたしの首筋あたりを見て、ごくり、と唾を飲む金穂ちゃん。


「……何?」


「じゃあ、練習台になってもらえるかしら?」


「はい?」



<あとがき>

中編は19時過ぎに公開予定です!

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