第3話 黒き影と夢の殻

 風が止まり、世界が静止した。


 空気が光に変わるような錯覚を覚えた。

 ミリィがリオの前に立ち、両手を広げる。彼女の周囲に、「淡く揺らめく光子」が浮かんでいた。


 まるで星のしずくが夜にこぼれたような、美しく、異様な光景。


 「……お願い。消えて」


 ミリィが囁く。


 その声と同時に、彼女の掌から銀白の風が放たれた。


 それは風というよりも、記憶の残響に似たなにかだった。音もなく、けれど確かに──黒い影を包み込んでいく。

 影は異形の叫びを上げ、もがいた。形を変え、膨れ、収縮し、しかしその存在はみるみるほどけていく。


 数瞬後、影は光の中で砕け、消えた。


 リオはしばらく言葉を失っていた。

 やがて、ようやく声を絞り出す。


 「……今の、何だったんだ……ミリィ、君は──」


 ミリィは力なくその場に膝をついた。

 肩が震えている。


 「……わたし、わかんない。身体が勝手に……気づいたら、出てたの」


 「でも、おかげで助かった。ありがとう」


 ミリィは小さく息を呑んだ。


 「……怖かった。あの力も、わたしも」


 その小さな声に、リオはそっと寄り添った。

 何も知らない。でも、だからこそ彼女の不安が伝わってくる。


 ふたりはしばらく黙って森の奥を見つめていた。

 そして、ミリィが小さく指をさす。


 「……あそこ。夢の中で、見たの。あの構造(かたち)」


 見れば、巨木の根元に、半ば崩れた遺構のような建物があった。

 背の低い弧状の門柱封構石が立ち、奥に小さな円蓋の石室が覗いている。


 リオはそれを見てつぶやく。


 「……これは、“祈りの殻”?」


 「うん。昔の夢守たちが使ってた、想念を封じる場所だって……誰かが言ってた気がする」


 「誰かって?」


 「……わかんない。思い出せないの」


 ミリィは眉をひそめて微笑んだ。

 その笑みが、なぜかリオにはとても切なく見えた。


 ふたりは“殻”の中へ入る。

 そこは静かで、石壁には古びた紋様が刻まれていた。

 中央の石碑には、浮き上がるようにたった一つの印が輝いていた。


 ──《夢》


 リオは息を呑む。

 森の入り口でも見た言葉。彼の中で、何かがつながりかけていた。


 「夢を忘れた世界に、夢の残響が残っている……これは、どういうことなんだ?」


 ミリィはその問いに答えず、ただ遠くを見ていた。

 その瞳の奥には、深い夜のような光が宿っていた。



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