第004話 カオス


「――ん?」


 目が覚めると、体のあちこちに痛みがあった。


「起きたかね、レスター君?」


 あ……


「部長、いらしてた……んです、か」


 慌てて起き、横に立っている部長を見る。

 部長の手元にはフラスコに入った虹色に輝く液体が握られていた。


 かつて、数百年前に一度だけエリクサーが作られたことがある。

 それは虹色に輝く液体だったことは文献にも載っており、この業界の人間ならば誰しもが知っていることだ。


「ああ、先程な。仕事中に居眠りは良くないよ」


 今来たあんたに言われたくない……

 普段なら心の中でそう思っただろう。

 だが、今はそれどころじゃない。


「すみません。あ、あの、部長……」


 マズい、マズい、マズい!


「レスター君、これは?」

「えーっと、何でしょうかね? ポーションだと思うんですけど」


 最悪だ。

 一番見られてはいけない人間に見られてしまった。


「そうか。まあ、これは預かっておこう」


 部長のこの醜悪な笑みは嫌な予感しかしない。


「あ、いや、それはですね……」

「ふむ。レスター君、体調が良くないんじゃないかな?」

「え? そんなことはないですけど」

「少し休みたまえ。追って通達を出す」


 ヤバい。

 これは非常にヤバい。


「あ、あの、部長、それはちょっとしたジョークグッズでして……」

「そうかね? まあ、ちょっと鑑定にでもかけてみるよ。それよりも君は自宅に戻って休んでいなさい」

「いや、部長……」

「何かね?」


 部長の目はこれまでに何度も見てきた有無を言わさない冷酷な貴族な目だった。


「いえ……やはり少し体調が悪いみたいなので今日は帰ります」

「そうしなさい。身体は大事だよ」


 部長がそう言って、俺の肩をポンと叩く。

 脅しにしか聞こえない。


「はい。では、失礼します」

「うむ」


 俺は片付けをもせずにそのまま研究所を出て、自宅のアパートに戻る。

 そして、扉を開け、部屋の中に入ると、箒をもったまま宙に浮き、掃除をしているウェンディがいた。


「おや? おかえりなさい。忘れ物か何かですかね? あ、箒を借りていますよ。寝食の礼に掃除くらいはしましょう」


 律儀な天使だな。


「そうかい」


 宙に浮いているウェンディの頭をポンポンと叩くと、テーブルにつく。

 そして、頭を抱えた。


「あ、あのー……どうしました? 精神がえらく乱れていますし、動悸も激しいですよ?」


 そういうこともわかるらしい。


「エリクサーを作ったぞ」

「あ、そうですか。どうでした?」

「気を失ってな。部長に見られた」

「おー、そうですか。売れそうです? お金持ちになれますよ」


 ウェンディは嬉しそうだ。

 やはりこいつは何もわかっていない。


「ウェンディ、この国のことはどれくらい知っている?」

「全然。私が興味あるのは美味しそうなお料理とかです。人間の生活には感心がありますが、国がどうとかはまったく知りません」


 天に住むこいつらはそうだろうな。

 俺達だってアリの巣の区別はつかない。


「マズいことになった。ウチの国はな、貴族の力が強い。そして、部長はその貴族の中でも出世争いに負けた奴だ。そんな奴にエリクサーを見られてしまった。このままでは復権のための材料にされるだろう。いや、それだけじゃない。他の貴族からも狙われ……あ、いや……」


 貴族じゃない。

 狙ってくるのは王様だ。

 エリクサーを一番欲しがるのはこの国の最高権力者だ。


「あ、あの……良くなかったんですか?」


 ウェンディは箒を置くと、テーブルに着地し、心配そうな顔で覗いてくる。


「とにかく、マズいのは確かだ。エリクサーっていうのは伝説の薬であり、錬金術師の目標でもある。それを庶民の俺が作ったのは非常にマズい」


 どう考えても良い方向にならない。

 この国はそれだけ差別的であり、腐っているんだ。


「…………もしかして、私達って余計なことをしたんですかね? レスターさんの生活がより良くなるためにエリクサーを作れるようにしたんですけど……」


 ウェンディがしょぼーんとなった。


「いや、お前達は悪くない。ミスったのは俺だ。バレたらヤバいとわかっていたのに職場で作ってしまった俺の明らかなミスだ」


 好奇心に負けてしまったのだ。

 トラブルだけは起こさないようにと心に決めていたのにエリクサーという甘美な魅力に負けてしまったのだ。


「あ、あの、どうしますか? たまたま偶然作れたんだって言い張るのはどうでしょう?」

「それが通じる相手ではないんだ……すまん。少し考えさせてくれ」

「わ、わかりました」


 ウェンディが落ち込みながらも黙ってくれたので今後のことを考えていく。

 だが、どう考えても言い訳も浮かばないし、嫌な予想しかできなかった。


「あの、ご飯……」


 時計を見ると、すでに12時を回っていた。


「食べていいぞ」

「はい……」


 ウェンディは落ち込みながらトーストを焼き、冷蔵庫から出したハムを乗せ、パクパクと食べていく。


「あのー、食べた方が頭に糖分が回りますよ……」


 あっという間に平らげたウェンディが手をもじもじさせながら提案してきた。


「そうだな。ちょっと俺の分も作ってくれ」

「お任せください!」


 ウェンディはふよふよと飛びながら冷蔵庫の方に向かった。

 すると、玄関の扉がドンドンと強く叩かれたのでビクッとなる。


「もう、来たのか……」


 早すぎる……


『せんぱーい、開けてー。エルシィでーす』


 ん? エルシィか。


「開いてるから入っていいぞ」


 そう答えると、扉が勢いよく開かれ、焦った顔をしたエルシィが部屋に入ってきた。


「せんぱーい! ヤバいです、ヤバいです、超ヤバい……です……?」


 エルシィの目は俺を見ておらず、俺の右斜めを見ていた。

 そこにはふよふよと浮いているウェンディがおり、首を傾げていた。


「人形が浮いてるー!!」

「レスターさんの彼女さんですかね? 可愛らしい方ですね。このこのー」


 ウェンディが柔らか肘で突いてくる。


「しかも、しゃべったー! 可愛いのは合ってるけどー! ってか、私が作った天使ちゃん人形じゃーん!」


 ああ……これ以上、俺の頭を混乱させるな……

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