六. 来客(2)
(ちくしょう……やっぱ顔はいいな)
扉の隙間から彼の顔を見て思う。これに関しては姉に同意見だ。切れ長の目に透き通った瞳。高く整った鼻に薄い唇。襟足だけ長めのくせっ毛は無造作にハーフアップで結んでいる。その髪型もスッキリとした顔立ちに合っていて、ミステリアスな雰囲気を協調していた。そんな彼に見つめられたらときめいてしてしまうのが女性の性というものだろう。
(けどだからなんだって感じ。イケメンだからってなんでも許される訳じゃないんだわ。舐めんなよ。盗聴魔め)
しかしその顔面も水聖には通用しない。仕事のためなら手段を選ばないその性格や、自分の弱みであるこの本性がバレている時点でトキメキもへったくれもない。何なら恐ろしい悪魔にすら見える。
─────なんて悶々と考えていたその時。
「…………あのぅ、すみません」
扉越しに女性の声が聴こえた。弱々しく小さな声だった。触れたら壊れそうな繊細な声。
隙間から見える東雲が流し目でどこかを眺めている。声の主は思ったよりも近くにいるようだ。
その声の主は東雲と目が合ったのか少しの沈黙の後「水天一碧っていう茶屋はこちらでしょうか?」と呟いた。それとほぼ同時に小さな女の子の「ママー、お腹すいたぁ」と駄々をこねる声も聞こえてくる。どうやら子連れらしい。そこでようやく気付く。
来客だ。”お客様”ではなく”来客”。水聖は思った。自分は多分、この人のことを知っている、と。
水聖は笑顔を貼り付けて一息つく。これから待ち受ける大仕事の予感に気合いを入れて、扉を開けた。もうそこに東雲はおらず扉はすんなり開き、近くには思ったとおり女性が5、6歳くらいの子供の手を引いて立っていた。その二人に向かって「おはようございます」と微笑みかける。
「貴方もしかして、
女性──金堂は驚いたように少し目を見開いてから「……はい」と小さく頷いた。怯えている。小動物のように。カタカタと。
そう思った水聖はチラリと彼女の右下に目線を向けて屈んだ。金堂よりも堂々としている子供と目を合わせて「はじめまして、お名前は?」と微笑みかけると、子供は無邪気に「
「お名前言えて偉いねぇ」
水聖がそう言って優しく微笑むと、金堂は少しだけ警戒心を解いたのか娘の頭を撫でて微笑んだ。その様子を見て水聖は心の中でガッツポーズをする。
「話は聞いてます。安心してください。中へどうぞ」
できるだけ優しい声に聞こえるように。いつも以上に穏やかでゆったりとした話し方で彼女に告げた。扉を抑え手招きをしたが、金堂の足にはまるで鉛がついているようで、優生が「行くよ!」と腕を引っ張るまで全く動こうとしなかった。
- ̗̀𓂃𖠚ᐝ ̖́-
カウンター席に座らせた金堂は相変わらず落ち着かない様子でソワソワとしていた。一方、娘の優生は少し離れたソファ席で楽しそうに東雲と遊んでいる。「子守りは任せろ」と言ってきかない東雲を仕方なく店に入れたが正直助かった。子供にはあまり近くにいてほしくなかったから。
「ご注文はどうされますか?」
カウンター越しににこりと微笑む。すると彼女はビクッと肩を揺らしてから「じゃ、じゃあ、オススメと蜜柑ドリンクを……」と蚊の鳴くような声で呟いた。
「……かしこまりました。少々お待ちくださいね」
まるで死刑囚が死刑執行を待っているような緊張感がピリピリと伝わってきて水聖はそっとため息をつく。
(……そりゃ警戒するか)
金堂にとって水聖はかなり怪しい人物に映っているだろう。得体の知れない人物に何をされるのか、何を言われるのか、皆目見当もつかず狼狽えているのが目に見えて分かる。
彼女がここに来た理由は分かっている。それは水聖にとって嬉しくない事実を示唆していた。彼女さえ来なければ……。そうすれば事実なんて有耶無耶のまま終えられると思っていたのに。知らないまま終えられたのに。なんて、
(……分かってます。分かってますよ、ミツルさん。お約束は守りますよ)
心の中で届くはずのない言葉を吐き、出来上がったドリンクを彼女の元へ差し出す。淡い黄色の紅茶に赤い木の実で飾ったドリンクである。
「どうぞ」
「……これは?」
「ラズベリーリーフティーです」
「らず、べりー?」
「はい。西洋ではかなり人気なんですよ〜。この辺りでは珍しいかもしれませんがリラックス効果なんかもある紅茶なんです。”カフェイン”は入っていないので安心して飲んでくださいね」
そう言ってふんわりと笑うと、金堂は大きく目を見開いてからすぐに俯いた。
「……す、すみません。気を使っていただいて……最初からオススメなんて頼むなって感じですよね……」
「いえいえ〜。うちはオススメ頼んでくださる方多いですから。私としてもお客様にあったものを探すのが楽しいですし、リラックスしてくださいね」
申し訳なさそうに眉を下げる金堂に美しい笑みを浮かべた水聖は優しく答えた。金堂には水聖の背後に花が飛んでいるように見えたことだろう。東雲も同じ様に見えた。
金堂は妊娠している。そう聞いていた。しかし聞いていたよりお腹は大きくなく、見た目では分からなとおもった。
金堂は少しだけ微笑んで「いただきます」と呟き、その透明のグラスに口をつける。
「…………おいしい」
目を少し大きくさせ呟いた後、ゆったりと笑った。よかった。満足してもらえたようだ。
水聖は次に割れないグラスに注いだ蜜柑ドリンクを優生の元へ運ぶ。本当は東雲に”取りに来い”と目線を送っていたのだが彼は全く気付かず優生とお手玉をして遊んでいた。子供に慣れている、というのはどうやら本当らしい。
「優生ちゃん、おまたせ〜」
「うわぁ!美味しそう!」
キャッキャキャッキャと喜ぶ優生は年相応で可愛らしい。二つに結んだ長い髪の毛を激しく揺らして喜ぶ彼女に東雲が「落ち着け」と頭を撫でた。その仕草は慣れている人間のそれで子供でもいるのかしら、と思う。そんなことを考えていると東雲がチラリと水聖の方を見上げ、自然と目が合ってしまう。ギョッとして目を逸らすも東雲は構わず口を開いた。
「俺には?」
「ありませんよ」
「何故だ」
「注文していないじゃないですか」
「注文したら作ってくれるのか」
「作りますよ。後回しですけど」
「じゃあ俺にもオススメを」
「はいはい、後で作りますね」
優生がいる手前、笑顔を絶やすわけにいかない。彼に対して今更だが営業スマイルを浮かべて答える。そもそも客ではない彼に作る必要などないが、ここで喧嘩していてもしょうがないので我慢した。
東雲とのしょうもない会話もそこそこにスイングドアをくぐって、金堂の前に戻る。彼女は両手でカップを掴みチビチビと紅茶を飲んでいた。中身は半分ほどなくなっている。気に入ってくれたのならよかった。表情も柔らかくなっているし、警戒心も少し解けたようだ。
(……まあ、彼女が落ち着くまで待つか)
時間が限られているわけでもない。こちらから聞くより、本人から話し始めた方がいいだろうと思った水聖は特に何も告げずに珈琲豆の計量を始めた。
それから数分後、やっと決心が着いたのか、金堂はカップをソーサーに戻し、改まった様子で「あの、」と呟いた。
「話は聞いてますよね……。
「ええ、ある程度は聞いていますよ」
「それで、その……宮匙さんは……」
言いづらそうに口をゴニョゴニョさせる金堂に先の言葉は嫌でも分かってしまった。一向にその言葉を告げそうにない金堂に変わり、水聖は俯いて呟く。
「────亡くなったんですね、宮匙さん」
震えないよう意識した声に、金堂は目を大きくさせた。それからゆっくりと頷く。
(……ああ、やっぱり)
分かっていたことだけど。なんとなく感じていたことだけど。言葉にするとなんて重たくて残酷な響きなのだろう。
カウンターに隠れている手を強く握りしめる。悔しかった。何も出来ない自分が。何も変わらない未来が。今が、ただ憎い。
「…………宮匙さん、私に言ったんです。自分が死んだら、この茶屋に来て欲しいって……。それで今日は話を聞いていただきたくて来ました……。あの、店主さんは宮匙さんと仲良かったんですか?」
「そうですね……。大切なお客様でした」
まっすぐ目を見つめてくる金堂にヘラりと笑ってみせる。すると金堂は罰が悪そうに顔を歪めて「……すみません」と頭を下げた。
「……なんで、金堂さんが謝るのですか?」
「……」
自分でも意地が悪いと思う。その謝罪の理由はなんとなく分かるから。
金堂は更に顔を歪めた。目尻を下げて唇を強く噛み締めて、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。そしてゆっくりと口を開き、震える唇で残酷な言葉を吐いた。
「──────私、彼女を虐めていたんです」
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