第2話:その距離、ずるくないですか。

 駅前の繁華街。雨上がりみたいにアスファルトが光る金曜の夜。

 どの店からも笑い声が溢れてる。

 ……私は明日も仕事なんだけど。


 チェーンの居酒屋。のぼりがやたら元気で、店の外からでも賑やかさが伝わってくる。

 そんな喧騒のなか、私は少しだけ後ろを歩いていた。同期6人、女子3人、男子3人──その末尾。


「テーブルひとつ空いてま〜す!」


 店員の大声に促されて、ぞろぞろと店内へ。

 靴を脱いで上がる掘りごたつ式の席。

 成り行きで私がテーブル奥に腰を下ろすと──

 隣にぴたっと座ってきたのは、やっぱり芦田さんだった。

(いやいや、なんでこの人……隣なんですか?)


「おっけ、乾杯は生でいこうな!」

「誰〜?初っ端緑茶押したやつ〜〜?!」

「……っと、なぁなぁ〜、澪ちゃんは何飲む〜?」


 湧き水みたいに澄んだ関西弁が、洪水のように耳に流れてくる。

「え、えっと……ウーロンハイで……」

「ウーロンハイな〜!了解〜」

 笑いながら、芦田さんはタッチパネルを操作してて。

 ……また距離が、近い。


 顔を向けると、目が合った。

 ふわっと、口元が綻んだ気がした。


 ──なに、その笑い方。

 今のって、こっちに向けた……んだよね?


 芦田さんは会社の外では、遠慮なく関西弁を使う。

 女子のことも下の名前で呼ぶし、公私混同しないスタイル?なのかもしれない。


 そのまま他の同期たちが次々に注文を始めて、会話の波が自然と立ち上がる。

 男子陣のテンションがやたら高いのは、多分、芦田さんがいるから。

 いつもこうなんだろう。


 ……なのに。

 ちらっと視線を向けると、また目が合った。

 笑いかけられたような、ただの偶然のような。

 どっちかはわからない。

 なんで、こっちばっか見てくるように感じるんだろ。

 自意識過剰……だよね、きっと。


 ◇◆◇◆◇


「……ってかさ〜、誰か紹介してくれへん?マジでええ人おらんのよ〜」

「また出たよ、芦田さんの男漁り」

「うっさ!  こんな仕事で出会いないんだから、こっちは真面目に探してるんよ〜」

「でも、こないだ誰かと付き合いかけてるとか言ってなかったっけ?」

 同い年の同期のひとり、加藤かとう史帆しほさんがすかさず突っ込む。

「あ〜、あれ?……無い無い。こないだの休みに遊び行ったけど、合わんわ〜って感じ。はい終了〜」

「てか、男漁りは心外よ?ウチ、どれ〜でもいけるんで、興味ありそうな人おったら普通に教えて〜。そっから考えるから!」

 カラカラと笑いながら、芦田さんはグラスを傾ける。


「……あ、先言っとくけど君等は絶対ないからな?間違っても惚れるなよ〜!」

 その声に、周りも「俺だってねーわ!」とか、「俺彼女いるし!」とか言って、つられて笑い合う。

 でも私は、グラスを持った手が少しだけ震えていた。


「それこそ澪ちゃんとかは?そういう話したことないやんなぁ。あ、あんま聞かんでって感じ?」

 唐突に芦田さんがこっちに振って、場の視線がこちらに集まる。

「えっ、あ、いや……私、そういうのはちょっと……いない、ですけど……」

 一気に顔が熱くなるのを感じた。

 グラスを通して指の震えがそのまま伝わってしまいそうだった。


「あ〜、確かにそんな気したわ〜。でも、かわいいのになぁ。なぁ、みんな?」

 さすがに男子は深追いしないけど、

 構わず芦田さんはにやっと笑って、私の肩にもたれかかってくる。

 髪が首筋にふわりと触れた。

 

 嗅いだことのないシャンプーと、あと、──お酒の匂い。

 酔いが回ってきたせいなのか、こんなことなのにドキッとする。

(……え、私なに考えてんの?)


「おま、ちょっと酔い過ぎじゃん?」

 男子のひとりが冗談めかして芦田さんにツッコミを入れる。

「違う違う、芦田さんは酔ってなくてもこれだから、通常運転」

「史帆〜!自分失礼やんなぁ! ウチ、ピュアラブ希望の清楚系やのに〜」

「どの口が言ってんだよw」「清楚はマジで無いwww」


 同期たちがわいわい盛り上がる中、私はグラスの中身を見つめたまま、少しだけ息を吐いた。


 そのやりとりの意味も、みんなの笑いの理由も、

 たぶん全部わかってる。


 これが芦田さんの、の意味。


(……やっぱこういうの、ほんと苦手)

 誰にでも笑って、誰にでも軽く触れて、距離もテンションも“”人。

 そういうのに、慣れてない。


 ていうか──

(なんで、こんな軽くてだらしない人が、あんなに仕事できるんだろ)

 なんて、少しイラっとすらしていた。


 なんかちょっと帰りたくなって、ふとスマホに目を落とす。

 ……終電は、まだ大丈夫か。


 ──すると、視界に伸びてきた指がすっと私のグラスに触れる。

「……あれ、あまり飲んでないやん。苦手だった?」

 芦田さんが不意につぶやいた。

 一瞬、反応が遅れてしまう。肩が強張る。

 でも、言葉は咄嗟にこぼれていた。

「い、いえ、あの……ちょっと、ペースが……」

「そかそか、じゃあ飲みホだし、もらってあげるからなんか新しいもん頼みな〜?」


 笑いながら、芦田さんが氷の溶けきったウーロンハイをさらっていく。

 自分のグラスの隣に並べて、かちん、と小さく鳴らしてゴクリ。

(……なにそれ。距離感、おかしくない?)

 心の中で、思わず眉をひそめた。

 なのに、グラスが鳴った音が、なぜかずっと耳に残っていた。


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