間違った選択

 花火が夕空を彩る中、恐れ、怯え、逃げ惑う。突如として現れた使徒が奏でる破壊音。金属が擦れ合うような耳障りな音。悲鳴、喘鳴、叫声。上がる火の手。


 混沌。まさしく街は──混沌に呑まれていた。


「なん、だ、あれは……。あれが、使徒か?だとしたら、何故いる?ここは市壁の内側──街中だぞ」

「……壁抜けです」

「壁抜け?」

「ええ。混沌の使徒が街中に突然現れる、怪現象。ただの与太話ではなかったのですね……」

 

 先程まで濁流の如く押し寄せていた人波は既にまばらになっていた。


 通りに呆然と立って、ライルハーツとオルレアナは遠くに見える使徒の大群を見つめる。


「クソ……逃げるぞ」

「いえ、それはダメです」

「はぁ?」

「わたくしたちは、貴族です。領主一族なのです。守るべき街が破壊されていく様を、見過ごすわけにはいきません」

「…………クソが。武器はどうする」

「緊急事態です。鍛冶屋から借りましょう。先ほど見かけましたから、場所は分かっています」


 オルレアナの顔には、緊張の色が浮かんでいた。それでも、意志を曲げる気は毛頭なさそうだった。結局折れたのはライルハーツだ。


 そして二人は、調達した剣を手に戦乱へ身を投じる。


 地面を強く蹴り、通りを駆け抜けた先。二人の視界に飛び込んで来たのは、今まさに複数の使徒に襲われんとしている男の姿だった。


 意思疎通は必要なかった。共に加速。空より近付く鳥型の使徒をライルハーツが斬り捨て、突進して来る牛型の使徒の首をオルレアナが刎ね飛ばす。


「無事か?」

「すぐに避難を!」

「あ、ああッ、助かった!ありがとう!」


 九死に一生を得た男は、心からの礼を口にして、転げるように走り去って行った。その姿を見送りながら、ライルハーツが呟く。


「……使徒と戦うのは初めてだったが……意外と何とかなるもんだな」

「日頃から色々と一緒に勉強してきた甲斐がありましたね。でも、油断は禁物ですよ?」

「分かってる。──次だ」


 視線を向かう先へと戻せば、新たに十体ほどの使徒が姿を現していた。天空の星術で強化した肉体を駆使して、二人はそれらを蹴散らし進んで行く。


 使徒が湧き出て来た方へ進めば進むほどに、街の被害は酷いものとなっていた。原型を留めていない家屋も多々あって、火に包まれているものもあった。ひび割れた通りには、僅かばかりの使徒の死骸と、その何倍もの数の人間の遺体が散らばっている。


「……惨いですね」

「……ああ。だが今は……」

「分かっています。使徒を始末して、逃げ遅れている人を助ける。全員は無理でも──最善は尽くさねばなりません」


 惨状に凍てつきそうになる心に火を灯し、己を奮い立たせて、二人は目についた使徒を片っ端から討ち取っていく。


 未だ逃げられていない領民は多くいた。子を連れた母親、若いカップル、屋台の店主、一塊になって隠れていた集団。使徒に命を奪われる寸前で、彼らはライルハーツやオルレアナによって救い出されていた。


 幸いなことに足を怪我していた者はいなかった。二人の活躍で使徒が減った今が好機と、一命を取り留めた彼らは協力して逃げて行く。

 

「──あらかた逃がせたか」

「ええ……辺りには人の気配もしませんし、もう大丈夫かと──いえ、待って下さい」


 壁抜けが発生してから、数十分が経過していた。


 さしもの二人も疲労は隠せていなかった。身体中煤まみれ、砂まみれで、かすり傷も目立つ。髪だって、汗で額に張り付いていた。


 そんな中で、オルレアナが、鋭い視線を建物の瓦礫へと送る。微かにそこから──人の声がしていた。


 近付いて、二人は唇を引き結んだ。ずんと胃の底が沈んだような気持ちになる。


 茶色の髪をした男が、瓦礫に潰されていた。漏らす息はか細く、頭部は血だらけで、瞳の焦点も合っていなかった。一目見て分かる。分かってしまう。彼はもう、助からないだろうと。


「そこに……誰か、いるのか?」

「……ええ、います」

「そうか……なら、助けてくれ。俺じゃない。俺はもう無理だ。代わりに……この子を」


 そう言って、僅かに身動ぎした彼の腕の中には、女の子の姿があった。守られていたのだろう。その子には一切の傷も見られなかった。


 すぐさまライルハーツは屈み込み、星術を使って瓦礫を退け男と幼女を引っ張り出す。


「すまない。どうか、頼む……!」

「ッ……!ああ」


 最後の力を振り絞り、その言葉を口にして、男は動かなくなった。ライルハーツは自身の腕の中、託された意識のない幼女をじっと見つめる。


 息はある。金の髪も綺麗なままだ。大切にされてきたのだろう。……やるせない。


 だが、感傷に浸っている暇はない。長居は無用だ。幼女を横抱きに持ち上げ、その場を離れようとして──。


「──びっくらこいたぜ。どうにも使徒の数が少なくなってる気がすると思えば……ひゃはは、まさかまさかだ」

「──!」

「あなたは……!?」


 ゾワリと首筋の毛が逆立つ。聞こえてきたその声は、悪意に満ち満ちていた。


 振り返れば、建物の瓦礫の上。顔も名前も知らない見知った男が立っている。──二人に手品を披露した、あのフードを被った男だ。 


 秋のそよ風が吹いて、燃え盛る火が勢いを増す。


「さっきぶりだな。どうよ?良い思い出になっただろう?」

「あなたが……あなたがこれをやったのですか?一体どうして、どうやって……!?」

「手品ってのは、種も仕掛けも明かしちゃいけねぇもんさ」

「何が手品……!」


 オルレアナの問いに、フードの男はふざけて返す。その態度に、ライルハーツは剣を握り締め睨みつける。


「無理矢理にでも答えてもらいますよ……!」


 オルレアナの瞳が光り輝く。流水の星術。彼女の足元より続々と生み出される大氷塊が、波濤のようにフードの男に迫り──直前で見えない何かにせき止められ、砕け散る。


 届いたのは大氷塊の勢いが生んだ仄かな風圧だけ。フードが小さく揺らいで見えた左目は、月のような右目と違って、深い奈落のように真っ黒な色をしていた。


「なッ……!」

「子どもとは思えない星術の腕だな。将来有望だ。そんな奴の未来がこんなとこで絶たれちまうなんて──運命ってやつぁ残酷だね」


 嗤笑を浮かべながら、男は近付いて来る。ゆっくりとした歩み。


 未だ起きない幼い少女を抱えているために、ライルハーツは迂闊に動けない。その分も一身に負って、オルレアナが果敢に攻めかかる。


 しかし初めにぶつけた烈風は散らされ、火の矢の群れは届かず、直接肉薄して振った剣は素手で止められた。オルレアナはすぐに距離を取ると同時に地面から石の槍を突き出させる。直撃するも男はまるで堪えた様子はなく、むしろ石槍の方が砕ける。


「効いて、いない……?夜闇の星術でしょうか?……いえ、あれは対象を眠らせたり能力を減衰させたりといった代物のはず……」


 ライルハーツの元まで戻ったオルレアナは、ぶつぶつと呟く。あれだけの攻撃を受けてもなお、異なる色の瞳の男は無傷だった。


 有り得ない。異常な事態だった。まるで種が分からない。悠然と佇む男の姿はただただ不気味だった。


「……逃げるぞ、レアナ。あいつは何かおかしい。得体が知れない」


 冷や汗を垂らしながら、ライルハーツは呼びかける。剣を握る手は湿っていた。顔はいつにも増して険しい。胃の腑を直接撫でられているかのような悍ましい威圧感に、理性も本能もけたたましく警鐘を鳴らしていた。


 オルレアナは天才だ。頭脳も剣の腕も星術の操作も、そこいらの大人にも引けを取らない、どころか相手にすらならない選ばれし存在。彼女と過ごす日々で、ライルハーツは嫌というほどにそれを知っていた。


 そんな彼女の猛攻を、男はいとも容易くあしらった。それも、正体不明の力を以てだ。どう考えたって、退く以外の選択肢はないように思えた。


 男は一歩一歩、こちらへ向かって来ている。


 オルレアナは男を見て、次に視線を剣を持つ自分の手へと移す。それから意識のない幼女、そしてそれを抱えるライルハーツを見やって──決断する。


「……ええ。そうするべきでしょう。ライルハーツ、あなたはその子を連れて安全な場所に避難して下さい」


 その言い方に、ライルハーツは引っかかりを覚える。


「……何言ってやがる。お前も逃げるんだよ」

「それは厳しいでしょう。あれがそう簡単に見逃してくれるとは思えません。誰かが足止めする必要があります」

「バカ言うな。お前が残るなら俺も残るぞ。一人より二人だ」

「ダメですよ。あなたはその子を頼まれたでしょう?」

「ッ……!」


 ライルハーツは歯噛みする。今際に託された幼子を放り出す真似は出来ない。実力的にもオルレアナが残った方が良いというのは頷ける話だ。


 だが、あの男は得体が知れない。勝てる相手なのかすら分からない。使徒だってまだまだいる。そんな死地に彼女一人置いて逃げるなど──彼女を見捨てるのと同義にも思えた。


 呼吸が荒くなる。干上がる喉。考えが定まらない。どうするべきなのか。どっちを選ぶべきなのか。


 二つに一つだった。オルレアナを見捨てて、己と託された幼子だけ助かるか。三人全員の命を使って、分の悪い賭けに挑むか。


「──ライルハーツ」

「ッ……」


 懇願するようなオルレアナの声。長く考えている時間はなかった。ライルハーツは──選択する。


「……分かった。だが、約束しろ」


 絞り出すような声で、ライルハーツは言う。


「こいつを安全な場所に届けたら、俺はすぐに戻って来る。出来たら応援も連れて来る。だからお前──それまで絶対に死ぬなよ」

「──」


 ほとんど睨みつけるような、険しい顔だった。既視感。それはオルレアナがライルハーツと出会った時に向けられた顔に、よく似ていた。だが、瞳の輝きがずっと違う。全てを諦めていた昔と違って──今は強い意志を秘め輝いていた。オルレアナはくすりと笑う。


「……良い顔になりましたね。ライルハーツ。──では、また」

「……ああ」


 一歩オルレアナは前へと出て、ライルハーツからは彼女の小さな背中しか見えなくなった。ライルハーツはそれに背を向け、天空の星術を纏って駆け出す。


 チロチロとあちこちで火が揺れていた。砕けた地面、散乱する建物の残骸、つい先程まで収穫祭を楽しんでいたはずの人々の遺体。


 混沌に襲われた街中をひたすらに、走る、走る、走る。


 とにかく気が急いでいた。安全な場所。幼女を預けられる場所、あるいは人間を見つけて、早くオルレアナの元へ戻らなければならなかった。五分ほど走って──ライルハーツは彼らを見つけた。


「──構えろ!何か来るぞ!」

「あれは……待て、剣を下ろせ!敵じゃない!」


 鎧を纏った数人の騎士たち。そしてそれに囲まれる金髪の少年。イシュザーク公爵家に仕える騎士たちと、アイザックが、半壊した街の通りのど真ん中にいた。周りには使徒の死骸がいくつか転がっている。


 息を切らしながら彼らの前に降り立ったライルハーツに、アイザックは疑問をぶつける。


「何故お前がここにいる、ライルハーツ。いやそれよりもその子はなんだ?違う、そもそも何があった?聞かねばならぬことが多過ぎるぞ……!」

「話は後だ。こいつを頼む。それと誰か戦えるやつはついて来てくれ。レアナに加勢に行く……!」

「レアナもいるのか!?何がどうなっているのだ……!クソ、二人はその子どもを安全な場所へ避難させろ!他は私と共にライルハーツについて行くぞ!」


 子どもを騎士の一人に押し付けて、ライルハーツはすぐさま来た道を戻り始めた。遅れてアイザックたちも後を追う。


 凄まじい速さだった。追いかけているアイザックたちがドンドンと離されてしまうほどの速度で、ライルハーツは駆ける。


 脚が痺れる。息も苦しい。けれど急がねばならなかった。早く、早く、置いてきた彼女の元へ──。


「──レアナ!!」

「……よう、おかえり。そんで……さようならだな」

 

 舞い戻ったライルハーツを出迎えたのは、異なる色の目の男だった。僅かに傷を負っている男の傍には、何体もの混沌の使徒が侍っている。──オルレアナの姿は、ない。


 ライルハーツは視線を横にずらす。火。建物の瓦礫。残骸。火。使徒の遺骸。瓦礫。使徒の遺骸。使徒の遺骸。瓦礫。使徒の遺骸──。


 必死に周囲を見回して──ライルハーツは、ようやくオルレアナを見つける。オルレアナを……血溜まりに沈む、引きちぎられたオルレアナの左腕だけを。


 強烈な耳鳴りがした。理解と無理解。いくつもの感情が一瞬にして生まれ、膨らみ、渦巻き、ぶつかり合う。


「…………お前……お前がッ、お前がッ!!!」


 怒りと憎しみと、後悔と全てがごちゃ混ぜになり殺意となって、ライルハーツは地面を踏み砕き駆け出す。みるみる内に縮まる距離、腰だめに構えられた剣が閃き、耳障りな破砕音が響く。


 ライルハーツが振るった剣は、男の素手で払われ、折られていた。


「──おいおい、言っただろ?さようならだって」


 男の周りにいた使徒たちが、一斉にライルハーツに襲いかかる。鳥型が空から飛びかかり、蜘蛛型が歯をギチギチと鳴らし、牛型が突っ込んでくる。折れた剣と星術で対処していくも、数があまりにも多過ぎた。使徒の濁流に、押し流されていく。


 使徒に囲まれて動けなくなっているライルハーツに、男は別れの言葉を告げる。


「じゃあな、坊主。もう会うことはねぇだろうけどよ。ひゃははッ!!」

「ッ、待てッ!!」


 去って行く男の姿を覆い隠すかのように、使徒がライルハーツに襲いかかる。


「退け!待てよッ、クソッ……!」


 斬り伏せ、抉り殺し、燃やし──あらかたの使徒を倒した頃には、もう、男の姿は影も形もなくなっていた。


 手から折れた剣が滑り落ちる。それに気を留めず、ライルハーツはゆらりと。覚束ない足取りで進んで、止まる。


 足元には、血溜まりに沈むオルレアナの左腕。


 無力感が足を絡め取り、片膝をつかせる。


 絶望が手を引き、オルレアナの手へと触れさせる。


 彼女の手は生温かくて、けれども硬くなっていて。ライルハーツは強張っていたその手を上から握る。


「──ライルハーツ!先に行き過ぎだ!まず説明を……」


 後から追いついて来たアイザックの声も耳に入らない。ライルハーツは突きつけられた選択の結果だけを、ただ見つめる。


 また一人、家族がいなくなった。まともな遺体すら残さず、小さな左腕だけを残し、この世を去った。


 何でもない日に、あの木の下で顔を合わせることはもうない。


 こちらの都合などお構いなしに話しかけてくることも、ボードゲームで遊ぶことも、木剣で叩きのめされることも、もうない。


 オルレアナは死んだ。


「──」


 涙はなかった。出なかった。それすらも燃やされていた。叫びたいほどに、狂いたいほどに、死にたいほどに、怒りに身を焼かれていた。


「……殺す。絶対に、どこに逃げても隠れても、必ず見つけ出して、絶対に──殺してやる……!!」


◇◇◇


 ──その日の内に、街に残っていた使徒は全て掃討された。死者は千人余りだったと言う。


 壁抜けを引き起こしたと思われる人物がいた。その情報はライルハーツ以外に証人がいなかったこと、また事実だったとしても混乱が予想されるため、サイモンによって秘匿された。


 ライルハーツがオルレアナと共に街にいたことについては、特に言及されなかった。


 オルレアナの葬儀は速やかに行われた。それは領主一族とは思えないほど質素で小規模なものだった。


 それからライルハーツは公爵領の外、混沌の使徒の生息域に頻繁に出向くようになる。最後異なる瞳の男が向かっていた方角の先がそうだったからだ。使徒との戦闘は鍛錬にも役立つし、死骸は金になる。


 調査と鍛錬と資金集めに明け暮れる日々。ほとんど進展という進展はなくもどかしい思いをして来た。それでも焦って良いことはそうそうない。逸る気持ちを抑え詳細な探索を続け、数年かけて公爵領の外には異なる瞳の男に繋がる手がかりはないと断定し、研鑽を重ねて力量を積み、使える資金を増やしてきた。


 そして万全を期して、遂に各国の情報が集うであろう学院に赴き、そして──。

 

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