第7話 休日と意外と狭い世界
その日はあいにくの曇り空だった。
空気はそれほど湿っていないので降らない方に賭け、カウンターの向こうのスーザンに行ってきますと声を掛けて鷹のくちばし亭を出る。
トラムは、いつもとは違う乗り場なのでよくよく確認しつつ一番早く中央区に向かう車体に飛び乗り、ちょうど空いていた窓際の席に腰を下ろす。
私設図書館を渡り歩くうちに、王都は構成する地区によって表情がまるで違うこともだんだんわかってきた。
鷹のくちばし亭がある東区から、中央区まではトラムで三十分ほどだ。西区より距離は近いものの、立ち寄る停留所が多く、利用者も多いため時間がかかるらしい。
中央区の中心地に近づくほど、トラムの揺れは和らいでいく。東区のほとんどの道は地面を踏み均した剥き出しの土の道だが、この辺りはきちんと舗装されていて、道幅も広い。
立ち並ぶ店も他の地区と比べると煉瓦と漆喰を組み合わせた瀟洒な雰囲気の建物が立ち並び、後から無造作に増築された木造部分はほとんど見られず、洗練されていておしゃれだ。
王都に来てから仕事に通うトラムの車窓から街並みを眺めてきたけれど、圧倒的に都会の雰囲気の色濃い地区である。
目的の駅で車体から飛び降りると、すぐにこちらを見つけてアリアが大きく手を振ってくれた。
「オーレリアさん、こんにちは!」
「こんにちは、アリアさん。今日はよろしくお願いします」
駅で待っていたアリアは、いつもの白いブラウスにロングのタイトスカートではなく、ふわりとスカートの裾が広がるワンピース姿だった。お化粧も少し濃いめにしていて、口紅を引いている。肩から提げたハンドバックもシンプルだがセンスがよく、普段よりぐっと大人びて見えた。
これが彼女のプライベートの姿ということなのだろう。
――私ももう少し、オシャレをしてきた方がよかったかしら。
対するオーレリアは、いつもと同じ装飾の少ないワンピースに、故郷からずっと履いている丈夫な靴と斜め掛けの布の鞄に、いつもの三つ編みである。
我ながら野暮ったいとは思うものの、着替えといえば革のトランクにぎゅうぎゅうに詰めて持ってきたものの他は王都で数枚買い足した服だけなので、手持ち自体がそれほど多くない。
「さ、行きましょう。まずは王立図書館の場所を案内しますね」
勝手に引け目を感じているオーレリアに気づくそぶりはなく、アリアはあっちですよ、と歩き出す。
「王立図書館は、年越しの日以外は休日なしで開いているのでいつでも入れるんですけど、今日は場所の確認だけして、お昼を食べたらお店を回りませんか? お勧めの店もたくさんあるんです」
「はい、ぜひ」
プライベートだからか、図書館で会う時より、アリアの口調は少しくだけたものだ。その明るい笑顔に背中を押されて、すこし気持ちが楽になる。
トラムの駅から王立図書館までは、本当に目と鼻の先だった。ここですよと指を指されて、その立派な門構えにまずたじろぎ、その奥の大きな建物に、再びたじろぐ。
中央区は王都の中でも国の施設が集中して、富裕層が暮らす地区にも関わらず、門から建物までの距離がかなり広々と取られている。
城壁という壁の中に囲われた土地は限られていて、基本的に地価が高い。その中でも貴族や富裕層の暮らす場所と考えると、相当に贅沢な土地の使い方と言えるだろう。
その奥にある建物は、左右対称の四階建で、立派な正門には警備の制服を着た門番が二人並んで立っている。それだけでも大分、物々しい雰囲気だった。
「すごい……貴族のお屋敷みたいなんですね」
「あ、そうです。元々侯爵家の管理する邸宅だったんですけど、何代か前に蔵書ごと国に寄贈されて、丸々図書館として使われることになったそうですよ。今では国中から本が集まってくるそうで、蔵書の数は大陸一だそうです」
この大きな建物を丸ごと寄贈したというのもすごい話だし、その建物をそのまま図書館として開放しているのも大変豪儀なことだ。
入館には身分証と預り金として銀貨一枚が必要とのことで、何ごともなければ退館するときに半銀貨一枚が戻ってくるそうだ。
一回の利用に鷹のくちばし亭一泊分のお金が必要になることに、庶民の感覚として素直におののく。
「オーレリアさんの入館証は姉から預かっているんで、うちのお仕事が終わったらお渡ししますね。さ、ウィンドウショッピングを楽しみつつ、次はランチに行きましょう!」
アリアがそう言って案内してくれたのは、広い通り沿いにある軽食を扱う店だった。店内にも客席はあるが、店の前の通りにいくつもパラソルを張ったテーブルと椅子が並べられていて、店で購入した料理はここで食べることができるのだという。
なお、歩道にあるからといって通りがかりに休憩のために座ると、店員が飛んできて追い払われてしまうらしい。
「休日は結構混むんで、席が空いててよかったです。オーレリアさん、注文お先にどうぞ」
前世のように確保した席に荷物を置いて席を外すなどということはなく、アリアと交代で注文に向かう。オーダーすると料理はすぐにトレイに載った状態で提供されるところは、前世の感覚だとファストフードに近い。
メニューは料理名だけで、よく分からないものもあったので、ランチセットをオーダーした。
正直、こんなオシャレな街のカフェの値段が怖かったけれど、アリアが気を遣ってくれたのか、思ったより良心的な価格設定だった。プレートを受け取ると大きめのワッフルが二つにサラダ、切り出した生ハムと小ぶりなオムレツ、肉団子がふたつに小さな器に入ったガスパチョという組み合わせである。
追加で、エルダーフラワーのシロップのソーダ割もつけて席に戻ると、アリアは交代で注文に立った。
アリアはベーグルのサンドイッチのセットにしたらしく、二人でソーダ割の入ったグラスを軽く合わせて乾杯する。
ムラのないきつね色に焼かれたワッフルを切り分けて口に入れると、甘さは控えめではあるものの、その分卵とバターの味が調和していて、とても美味しかった。
ふわふわとした食感だが端の方はカリッとしているのも嬉しい。オムレツの中には細かく刻んだチーズが入っていて、卵液が滴らないぎりぎりの、とろりとした固さに焼かれている。
エルダーフラワーのシロップにはほんの少し生姜と胡椒が使われているようで、辛めだがすっきりとした味わいだった。
「ここのカフェ、すごく美味しいですね」
鷹のくちばし亭の料理が素朴でボリュームがあり、ほっとする味であるのに対し、こちらは洗練されていてオシャレである。毎日食べるならスーザンの料理だけれど、休日にちょっと背伸びしてこういう料理を食べるのも、いい気分転換になりそうだ。
「ねっ、私のお気に入りなんですよ。この辺りは美味しいレストランも多いんです。よかったらまた付き合ってください」
「はい、私、まだ王都に不慣れなので、アリアさんのお勧めのお店を教えてくれると嬉しいです」
「わあ、是非是非。私、元々食べ歩きが好きなんですけど、年の近い友人はみんな結婚しちゃって、最近一人で出かけることが多かったので嬉しいです。あ、でもオーレリアさんも、もしかして婚約者とかいたりします?」
ごくり、と口の中のオムレツを飲み込んで、ソーダ割でさっぱりとさせる。どう説明したものかと思ったけれど、なんと言葉を変えてもあまり耳触りのいい話にはならないだろう。
「実は、少し前に婚約破棄をされてしまいまして」
「あ、すみません。言いたくないなら、言わなくても大丈夫ですよ?」
変に隠す必要も感じられずそう答えると、アリアは少しトーンを落として言った。
明るく気さくな性格のアリアだけれど、こうした細かいところで気を遣ってくれるのが、話していてとても居心地が良く感じる。
「いえ、終わったことですし、気にしていません」
一度だけ会った元婚約者のアルバートの顔は、もうあまり思い出せず髪がトウモロコシ色だったことだけが印象に残っている程度だ。
あれからまだ一ケ月も過ぎていないのに、自分の中ではすっかり過去になってしまっている。
「お相手は商会の跡取りで、私は付与術師ということで婚約のお話をいただいたんですけど、もっと優秀な付与術師の方と縁談がまとまったそうで、私との縁は無かったことにしてほしいと言われました。ですので、正真正銘独り身ですし、食べ歩きも行きたいです」
「……あの、違っていたらすいません。それってヘンダーソン商会のことですか?」
アリアの言葉に驚いて目を見開くと、ああ……とアリアは眉をきゅっと顰めた。
「あの、どうして分かったんですか?」
「司書の間では、メリッサ・ガーバウンド……ええと、つまりそのヘンダーソン商会の坊ちゃんの婚約者って、悪い意味で有名なんです。――オーレリアさんを王立図書館に推薦した経緯、覚えていますか?」
「確か、宮廷付与術師の方が配属を嫌がって辞めてしまったって……あっ」
「そう、その付与術師が、メリッサ・ガーバウンドなんです。オーレリアさんが王都に来たのは一ケ月くらい前だと聞いていたので、時期もぴったりだなって思って」
ベーグルサンドを齧り、ゆっくりと咀嚼してソーダ割で飲み込み、アリアはほう、と息を吐いた。
「王立図書館付きの付与術師って、仕事の手に余裕があれば私設図書館にも足を運んでくれることになっているんで、土壇場で辞職したメリッサは司書の間ではすごく評判がよくないんですよ」
ただでさえ雨期の前ですし、といつも笑顔でいることが多いアリアが、珍しくむっと眉を寄せている。
オーレリアの感覚からすると、王都はとても広いと思っていたけれど、案外世間は狭いものだったようだ。
「確かに図書館での仕事は、付与術師にとっては地味な仕事だとは思います。単純作業で華々しい実績とは無縁ですし。でも、どうしても必要な役割ですし、図書館の配属は基本一年くらいの期間でそれが終われば王宮に戻るんですよね。別に能力がないから閑職に回されたとかじゃなくて、色々な現場で必要な付与の経験を積ませるという面もありますし、図書館に勤務する付与術師には国から「保存」の術式を無償提供されるんで、むしろ嘱望されている付与術師の次のステップのような扱いのはずなんですけど」
「ええと、確か、元婚約者が新しい婚約者の方は「保存」が使えると言っていました」
「ああ、それなら、メリットが少ないと思われたのかもしれませんね……」
アリアが図書館の仕事を愛しているのは、見ていても伝わってくる。
オーレリアを王立図書館に推薦するという話も、単にオーレリアのためというだけではなく、「保存」を掛ける付与術師が欠員して困っている王都の図書館全体の利益を考えてのことだろう。
それだけに突然辞めてしまった付与術師に対して腹が立っているようだった。
「私は、オーレリアさんの付与、すごいと思ってますよ。数をこなせるだけじゃなくて、真面目で誠実だし、無責任に突然辞めるような人よりずっと信頼できると思います。……ヘンダーソン商会は、目先の欲に囚われて馬鹿なことをしましたね」
ソーダ割を傾けて、アリアは皮肉げに微笑む。
「商売する上で、信用できない者を身の内に入れるのは一番の悪手です。それが分からない商会には、大した未来はありません」
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