第6章「夜のガニヤラ池、再び」

私は、またここに戻ってきてしまった。


忠生公園。

夜の、誰もいないガニヤラ池のほとり。

冷えた空気と、湿った土のにおい。

そして、何かが“揺れている”感覚。


――震えてる。地面じゃない。私の内側。


静かに深呼吸しても、焼けるような喉の痛みは引かない。

これは、あの時と同じ。

八王子で“ヤバい何か”が起きる前に襲ってきた、あの震感だ。


でも今ここは町田。

逃げてきたはずのこの街で、また“それ”が近づいてきている。


私は池の縁にしゃがみこむ。

水面は風もないのに波打ち、奇妙な音を立てていた。

まるで、誰かが“水の底”から呼んでいるような……。


「…っ――うっ」


頭の奥に鋭いノイズが走る。

視界が歪み、何かが映った。


――制服を着た少女。

――でも、顔が見えない。

――そして、何かを喉元で止めるように、口を開いたままこちらを見ていた。


「っ! ……誰?」


ふらついた身体が後ろに倒れそうになる。


「危ないっ!」


腕を支えられる感覚。

次の瞬間、私は誰かの胸元に倒れ込んでいた。


「……また、来ちゃったんだね」


優しい声だった。

それは、以前もこの場所で出会った――


「……悠木、詩織さん」


「あんまり無理しないほうがいいよ。ガニヤラ池って、夜に来ると色々“見えちゃう”から」


彼女はそう言って笑ったけど、目はまったく笑っていなかった。


「でも、今夜はちょっと違うみたい」


「違うって……?」


詩織はガニヤラ池の奥を指差した。


「“誰か”じゃなくて、“何か”が来ようとしてる。……私たちに試してるんだよ、この土地が」


私は肩で息をしながら、彼女の言葉を飲み込む。


「ねえ、響ちゃん。今夜――もう少し奥まで歩いてみない?」


「……うん」


恐怖と、奇妙な期待。

それが私の背中を押した。


詩織と私。

“震え”を知る二人が、初めて怪異の中心に踏み込む夜だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る