第14話

 エメラダがユラフィオに張り付くようになってから――。言い換えればユラフィオが基本、しっかり執務室にいるようになってから、七日が過ぎた。


「まさか……まさか陛下がしっかり仕事をしてくださる日々に立ち会えようとは!」

「ありがとうございます、エメラダ様! やはり、貴女を選んだエデルヴァルド様の目に間違いはなかった!」

「え、ええ……。向き合ってもらえるようになって良かったわ……」


 感動に袖さえ濡らす官僚たちに囲まれて、エメラダは歯切れ悪くうなずく。


「この調子でぜひ、ユラフィオ陛下をエデルヴァルド様の跡を継ぐに相応しい賢君へとお導きください」

「そしてエデルヴァルド様の血と、エメラダ様の血を引いたお子ならば、きっと良き王になってくださいましょう。期待しておりますぞ」

(ま、間違ってはいないのでしょうけど)


 言った本人にその意図がないのは分かるが、まるでエデルヴァルドとエメラダの間に子どもを期待するような言い方になっている。


 悪意とまでは言えない。しかし間違いなく、無礼ではある。なにせユラフィオという個人を、完全に血の器としか扱っていない物言いだ。


 己の発言の奇妙さに気付いた様子もなく、大臣職を預かる貴族は笑っている。


(子ども、か)


 エメラダとて、意識していないわけではない。


(残念だけど、期待には添えなさそうだわ)


 何しろユラフィオにその気がない。

 国を滅ぼそうというユラフィオだ。自分の血を引く者が確実に不遇に置かれると分かっていて、悲劇を生み出しはしまい。


(わたしは……どうしたいのかしら)


 国を滅ぼすなど、エメラダの想定外だった。当然のように、ユラフィオを支えてどうにか国を良い方向へ持っていくことを考えていたから。


(でもそれって、わたしだけの考えじゃ駄目じゃない?)


 国を良い方向へ導くのは、王の、貴族の務め。しかしそこには、民の心がなくてはいけないのではないだろうか。

 少なくとも、ヴィージールはそうあるべきだと思った。

 ユラフィオの言を借りれば、正に『民に応えて建った国』なのだから。


「陛下は、失礼ながらあらゆる分野で頼りない。エメラダ様、どうか頼みますぞ!」

「努力するわ」


 うなずきつつ目の前の大臣たちを見て、思う。


(彼らは、今の民の意思をどう考えているのかしら)


 思い付いてしまったら、聞きたくなる。少しだけ考えて、然程不快には思われない気がしたのでそのまま尋ねてみることにした。


「今の民の望みとは、何であるのかしら」

「どうされました、いきなり」


 直前の話との繋がりが分からなかったためだろう。大臣たちは戸惑った顔をしていた。


「エデルヴァルド様は、民の望みに応えて立ち上がったわ。けれど今のわたしたちが民の支持を得ているとは言えないのではないかしら」

「そのようなことはありません」


 エメラダの心に宿り続けている思いを、大臣は苦笑いをしつつ否定した。

 その表情に嘲りはなかった。本心からエメラダの不安をあり得ないことだと否定しているのだ。


「我らも、民も、エデルヴァルド様の大義に共感して、決断したのです。後悔などしませぬ。我らはただ、真に独立を果たし、民のための国を作るべく邁進すればよいのです」


 彼らはただひたすらに、理想を信じている。


「けれど現状、民のための政治にはなり切れていないわ」


 戦費のための重税だけではない。汚職に手を染める者も出ている。

 筆頭と言っていいだろうアルベルトの顔を思い浮かべつつ、エメラダは訴える。


「はい。それは誠に腹立たしい限り」

「帝国の腐った役人どもと同じ場所に落ちるとは、嘆かわしい。独立においても是も否も唱えなかった日和見な連中の中には、上手く性根を隠していた者がいた、ということですな」


 もちろん、独立の際に全員が賛成したわけではない。特に帝国と懇意だった貴族は最後まで抵抗した。

 その後、多くは帝国に亡命し、強固に抵抗を続けた幾人かは処刑されている。


(多くの民を救うための決断であったと、わたしたちは言うしかない)


 そして命を落とした者の、親しい誰かからの恨みも背負うしかない。

 重たい。だからこそ思う。


(今も必要なのかと迷う気持ちも、分かる。必要ではないと結論付けてしまった陛下の気持ちも)

「ゆえにこそ、我らは団結し、強く在らねば!」

「必ずや、皆が夢に描いた国を成し遂げましょうぞ!」

「……ええ」


 微笑み、エメラダはうなずいた。強い信念と熱意を持って語る大臣たちを前に、そうするしかできなかったのだ。


(彼らは未来を信じ過ぎている。それも、過去に見た美しい未来に)


 彼らが思い描いていた未来と現在は、すでに違うものになっているのだろうに。

 けれど大臣たちの瞳に現在は映らない。なぜなら、帝国という脅威がずっと目の前にあるからだ。


(わたしの言葉では、きっと届かない。いえ、そもそもわたしはどんな言葉を掛けたいと思っているの?)


 これまでエメラダは、戦争を仕方ないことだと考えてきた。父から、母から、周り中から戦い続けるのが当たり前だと言われていたからだ。


 疑問にさえ感じなかった。

 やりたくない気持ちはあったのに、止めるという発想は生まれないままここまで来た。


 けれどユラフィオから新たな道が示されて。『絶対』が初めて揺らいだ。

 だからと言って、ユラフィオを犠牲にして平和を得たいわけではない。


(わたし。わたしは……)


 とにかく、戦いを終わらせたい。誰も犠牲にしたくない。同時に、民の意思も問うてみたい。

 王は、どうするべきなのかと。


 ――そのためにするべきことは。


(直接耳で聞くしかない)


 エメラダやユラフィオの考え方は、ヴィージール王宮の中で異質である。口にしたら最後、排斥されるのが目に見えている。

 大臣たちとの歓談を終えたエメラダは、自室に戻った。


「ああ、エメラダ様。良かった、探しに行こうとしていたところだったのです」


 同時に、部屋で待機していた侍女が歩み寄って来た。


「どうしたの?」

「こちらを」


 言って差し出してきたのは、封がされたままの手紙。


「ルクレーシャという侍女から、エメラダ様へと」

「ああ、見付けてくれたのね」


 手紙を受け取ったエメラダは、封を切って中身を取り出す。

 内容はエメラダの期待通りだった。ロージーベーカリーの住所が書かれている。


(ルルダー通り三番地……。市民街だわ)


 城の外に出ると言えば貴族街を巡るのがせいぜいであるエメラダには、未知の世界だ。


(でも、陛下はここに行ったということ)


 そう思えば、ためらいよりも大きくなる気持ちが生まれて、膨らむ。


(知りたい)


 ユラフィオのことを。知らずにいた様々なことを。

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