第10話

「ところで、なぜエメラダは急にミトスのことを聞いたのかな?」

「急に……。いえ、そうですね。急に、ですね」


 ユラフィオから受けた指摘は、またエメラダの予想外のものだった。

 一旦否定しかけて、すぐにできないと認めてうなずく。


(わたしは今まで、自分や陛下の周りの人々のことをしっかり把握していると思っていた)


 ある一面では間違いではない。事実、エメラダは役職と顔と名前を一致させて覚えている。

 だがどのような人物であるかと訊ねられれば、答えられない。

 エメラダがしていた理解とは、そこまでのものだった。


(よく考えなくても、全然理解が足りてないでしょ! どうして十分できているなんて思っていたのかしら)


 そんなものは、何も知らないに等しいではないか。


 これまでエメラダにとってミトスとは、いずれ近衛騎士団長を継ぐ騎士でしかなかった。それはただの役職だ。

 ミトスがどういう人物であるかを述べたとき、一番初めに出てくる表面上の情報でしかない。


(急にと言われても仕方ないわ)


 逆に言うなら、ユラフィオはエメラダが相手の表面にある情報だけで満足していると分かっていたのだろうか。


「?」


 訊ねておきながら確認をするようなエメラダの言葉に、ユラフィオは不思議そうな顔をして首を傾げる。


「きっと、ようやく個人として向き合い始めたんです」


 もしかしたら、ユラフィオとも。


「エメラダは真面目で、誠実なのだね」

「そ、そうでしょうか」

(むしろただ、迂闊うかつだっただけなのでは)


 気に掛けない程鈍かったとも言える。余裕がなかったとも言い換えることができるだろう。


「目の前の相手を、ありのままの個人として認識するのは意外と難しいものだ。特に、情報が増えれば増えるだけね」


 まさに、エメラダが肩書で満足してしまったように。


「ただ、付随ふずいする立場をまったく考慮こうりょに入れないのも正しいとは言えないだろう。なぜなら結局、その人物を語る上で切り離せはしないのだから。しがらみを含んだすべてを合わせて、個人そのものとも言える」


 だが本当にただの一個人として評価するのなら、しがらみを含めるべきではない部分もあって。


「む、難しいですね」

「そうだね、とても難しい。とてもではないが、私の手には余る問題だ」


 組んだ手の甲の上に顎を乗せ、ユラフィオは物憂げな息を付く。


(わたしが『リューゲンハートの娘』であるというのも、同じね。わたしがエメラダという個人であるのも、侯爵家の娘であるという血の評価も、どちらも事実)


 あまり意識しないようにしてはいるが、たまに思うことはあるのだ。

『自分』とは、何者であるのだろう、と。


 血が求められてここにいるから、尚更。


「陛下も、迷うことがおありですか?」

「もちろん。私は迷うことばかりだとも」


 自信たっぷりにうなずかれた。


 それはいつも通り、決断力がなく、物事に正面から向き合いもせず、何も考えないがゆえに理解を放棄した物言いと同じもの。


 けれどエメラダには確信が生まれた。


「陛下はとっくに考えていて、お辛く感じているのですね。そして同時に、自分がヴィージール王そのものであると覚悟している」


 これまでエメラダは、ユラフィオに王の自覚があるのかどうかすら確信が持てなかった。

 しかし思い直した。少なくとも、立場の自覚はあるのだろう。


 ……向き合い方はともかく、だが。


「ええと」


 エメラダに真正面から見つめられ、その視線を交差させたユラフィオは――唐突に瞳を泳がせ始めた。急に失敗を思い出したかのように。


「……うん、皆が望む王足り得ないことが、歯がゆくないわけではないよ。祖父上から譲り受けた王位に座っている自覚もあるとも」


 それは、ユラフィオが普段している言動とも矛盾しない言葉。ただしそこに実はないと、皆が揃って溜め息を付く。


 少し前までエメラダもそうだった。しかし今抱いた印象は違う。


(やっぱり、言い方を考えていらっしゃる気がする)


 あえて、愚か者に見えるように。


 とはいえ、演じているからと言ってユラフィオが実は聡明であるとは限らない。自分の愚かさの程度を誤魔化すために、更なる愚か者の振りをする者もいるのが世の中だ。


 実際の自分はそこまでの愚か者ではないからと、擁護しつつ。


(優秀じゃない自分を認めるのは、恥ずかしいわ。勇気もいる)


 どこまでできて、どこからができないのか。正しく知られて、できない人間だと指摘などされたらより堪らない。

 だがそれでも。隠した先に成長はない。


(無知が何よ。世の中なんて、いつでも知らないことの方が多いのよ。常識? そんなもの生きてきた環境で違って当たり前でしょ)


 だから、学ぶのではないか。


 識者として名を馳せた多くの学者も、世の事象を集めてみれば、知らないことの方が多かったはずだ。

 無知は恥ではない。知らないことを知った瞬間、成長したというだけのこと。


「……大分、話が逸れてしまったね」

「あ、……はい」


 元々はミトスの人となりを訊ねただけだったというのに。


「『ふと』気になったのだとしても、きっかけはあったのだろう? 君はミトスのどのようなところが気になったのかな。どうも、心配事のようだが」

「……信用してよいのかどうか、迷ってしまいまして」


 口にしてから、それだけ聞くとあまりに不穏な物言いになると気が付いた。慌てて続く言葉を送り出す。


「いえ! 騎士としては信用できる方だと思っています! けれど同時に、国のためになら陛下をかえりみないこともあるのではないかと……」

「ミトスが国のためを思ってのことであれば、私のことなど気にされなくてもよいよ」

「嘘です」


 いつも通り、穏やかに微笑みつつ言ったユラフィオへと、エメラダは反射的に否定の言葉をぶつけていた。


「なぜ嘘だなどと」

「そうでないなら、悲しすぎます」


 ユラフィオが自分のことを軽んじる物言いは、以前から度々耳にしている。

 諦めるのは得意だと言ったユラフィオだ。きっと自分の存在が、先王の血の器でしかない虚しさも諦めているのだ。

 偉大な王の影響からは、一生抜け出せはしないのだと。


「……困ったな」


 しばしエメラダと向かい合ったユラフィオは、長かったような、短かったような沈黙を破ってそう呟く。

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