第34話:仮面を捨てる日

――この仮面は、過去のわたくしが選んだ“鎧”。

けれど今のわたくしには、それを纏う理由がもう、ないのです。


黒の塔の最下層。

“処理記録保管庫”と呼ばれた、王国による暗殺の履歴が眠る場所。


魔導封印により長年閉ざされていた扉が、ミレイユによって解除される。


(生きていてよかった。生きて、ここに戻ってこられてよかった――)


(あの頃の自分が何を思い、何を選び、誰を斬ったのか。

すべてを、他人の目ではなく、自分自身の目で見るために)


彼女は、足を踏み入れた。


そこには、無数の記録結晶と、封書、映像記録が保存されていた。

その中央、ひときわ異質な台座の上にあったのは――


一枚の仮面。


それは、ミレイユが初めて与えられた仮面だった。


「これは……」


イレーヌがそっと近づく。

仮面の表面に浮かぶ紋章は、もはや王家では使われていない“旧制時代”のもの。


「この仮面をつけた日から、わたくしは“人をやめた”ような気がしていました」


「誰かを裁くのは王の役目だと教えられていたのに、

この仮面は、王の名のもとに“処刑”を許可するものでした」


ミレイユは、仮面を手に取る。

そして、その手を、ゆっくりと震わせながら――


「けれど、イレーヌ様」


振り返ったその瞳に、かつての“影の刃”の冷たさはなかった。


「もし、もう一度この仮面をかける日が来たとしても……

わたくしは、今度こそ“選びたい”のです。

“誰のために刃を振るうのか”を」


イレーヌは静かに頷いた。


「それは、もう“仮面の任務”ではありません。

“貴女自身の意志”です」


ミレイユは仮面を床に置き、そっと指先でなぞったあと――

短剣を抜き、無言でそれを真っ二つに切り裂いた。


カラン、と音を立てて転がる仮面の破片。


その音は、まるで誰かの嘘が崩れる音のようでもあった。


二人は保管庫を後にした。

ミレイユは背筋を伸ばしながら、振り返らなかった。


その背を、イレーヌが見守る。


「……貴女のその歩みは、

“赦される”ためのものではなく、

“赦さなくていい”と、誰かに言うための歩みなのですね」


「はい。

そしてその“誰か”とは、今のわたくし自身です」


ミレイユ・ノワ。

かつて仮面の暗殺者。

今、ただの一人の女性として、“己の罪”と共に前へ進み始める。


黒の塔に、風が吹く。


吹き抜けた風は、仮面の破片を巻き上げて、夜空へと舞い上がった。


それはまるで、

長い間閉ざされていた“過去”という呪縛からの、

小さな解放のように。

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