第19話







 御堂さんのおばあちゃん――史恵ふみえさんとの接触で得た、大きな気付きがひとつ。


 それは――


「そう……文乃ちゃんは、進路のことで悩んでるんだね」

「う、うん。はい…」

「どうして、悩んでるの?」

「えっと、なんか……やりたいこと、分かんなくて。でも働くのも、怖くて……大学行きたいけど、親がだめで」

「うんうん」


 お年寄り相手だと、思ってることをちゃんと言えるということ。


 緊張はあるけど、怖くはないというか。同年代の子と会話するよりも遥かに気が楽で、吃ることも少なくて済んでる。


 史恵さんが話しやすい空気感を出してくれてるのと、名前が似てる親近感も相まって、悩みや弱みを吐露しても平気だと徐々に心を開き始めていた。


 夜ご飯を食べさせてもらったあの日。


 あまりに居心地が良くて忘れられなかったから勇気を出して来てみたものの、やっぱりほっとする。


 御堂さんは友達と遊びに行ってるらしく、今日も不在。会えなくて気を落としたのは最初だけで、今は史恵さんのおかげでだいぶ気持ちも安らいだ。


「焦らなくていいんだよ」

「う、うん」

「ばぁば、困ったらお話聞くからね」


 縁側でふたり、しわくちゃで温もりに溢れた手が、私の手を包んだ。


 気恥ずかしさから体がムズムズして、口元もモニョモニョ動いちゃったけど、不思議と嫌じゃない。それどころか、じんわりと嬉しさが広がっていく。


 自分の祖父母もいるし、母方の祖父母は会う機会も年に一回はある。でも、ずっと離れて暮らしてたから家族感は皆無で、他人と変わらない距離感だった。だからあんまり、“おじいちゃんおばあちゃん”って感じもない。


 それに、母も祖父母も可愛がるのは……弟だけ。


 父方の祖父母は、家が遠くて滅多に会えないからあんまり分からない。意地悪では、なかったかも。


「今日は、ご飯食べていくかい」

「……うん。食べたいです」

「わかったよ。今用意するからね。文乃ちゃんは何が好きかな?ばぁばそれ作るよ」

「っ…あ、じ、じゃあ、カツ煮」

「うんうん。少し待っててね」


 手のひらが髪越しに頭部に触れる。そこから感じられる体温が、穏やかな安心感を与えてくれた。


 今なら、御堂さんが他に家があるのにここへ帰ってくる理由が痛いほど理解できる。


 ここにいたら、自分のことを聞いてもらえる。見てもらえる。応えてもらえる。ちっぽけな自分の存在を、確かに“ここにある”と教えてくれる。


「いいな、御堂さんは…」


 夏休みの予定が埋まるほどたくさんの友達に囲まれて、いつでも温かく迎えてくれる居場所があって、容姿にも恵まれて、性格も良くて……私にないものを、全部持ってる。


 天秤が傾き続ける世の中で、生きづらさは増していく。


 私の価値が重ければ、変わったのかな。


「はぁー…」


 今、御堂さんに会いたくないな。


 あの人ほど価値のある人を他に知らないから。…一緒にいたら、惨めになる。


 でも。


 もっと深いところまで知れば、違うのかな。


 御堂さんの重さに触れたら、見え方が変わるかな。


「……史恵さん」

「うん。どうしたの」

「御堂さんって…」

「あー!葉山」


 卑屈を好奇心へと変えて踏み出そうとした一歩は、騒がしい声によってかき消された。


 驚いて声のした方へ視線を移動させると、いつの間に帰ってきていたのか廊下にいた御堂さんが足取りをそのままに私の隣までやってきた。


 ズイと詰められた顔の近さに、二度の失態が記憶として脳裏を刺激し、3度目の失敗を回避するため体が勝手に後ろへ逃げた。


「来る時、来るって言ってよ!」

「っあ…」


 や、やっぱり…。


 いくら史恵さんが許してくれてるとはいえ、本人がいない時に来るのはまずかった?自分のおばあちゃんと同級生が知らないところで仲良くしてるとか、気まずいもんね。


 あんまり見れないムッとした口をしてるから、さすがに非常識すぎたかと狼狽える。


「あの。御堂さ、ごめんなさ…」

「あたしだけ仲間はずれでさびしいじゃん!」

「え…?」


 全然違った。


「ばぁばとばっか仲良くしないでよ。それとも、わざと避けてる?あたしに会いたくない?」

「っ…!や、ちが。ちがう」

「じゃあなんで連絡してくれないの。なんであたしいない時にばっか来るの」


 それ……は、たまたまで。


 他意は無いのに、彼女にとっては裏を探ってしまうほど不愉快なことだったようで、まくし立てるような質問に気圧された。


 下唇を浅く噛んだ子供みたいな表情が、私の知る大人びた御堂さんのイメージとはかけ離れていて、こんな状況なのに呑気にも新鮮さを感じてしまった。


「あたしにも、会いに来てよ」

「あ、う、うん」


 袖を掴んでいた手は繊細な内情を表すかのように震えて、心臓の辺りを正体不明の何かがくすぐってくる。


 なんというか。


 御堂さんは、愛されてきたからそんな風にかわいく甘えられるのかな?


 周りの人も、御堂さんがこんなにもかわいいから、つい甘やかしたくなっちゃうのかな?……だとしたら、悔しいことにその感覚が分かっちゃうかもしれない。


 やっぱり、美人って得だな。


 最大の皮肉と愛着。それから落胆を込めて、深い吐息を溢す。

 

「御堂さん…」

「うん。なに?」

「今日……泊まってもいい?」

「それはだめ」

「あ、はい。ごめんなさい…」


 疲れて帰る気力も失せたから聞いてみたら、考える余地もなく却下された。清々しいくらいの即答だった。


 あんなに寂しがってたのに…?


 もう分からん。この人。





 

 


 

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