第7話

いつもの仕事着に身を包み、俺は昨日ルノさんと一緒にいた華咲と共に、彼女に経営を任せている喫茶店へ向かっていた。今日、あの幽崎が店を訪れる予定だったからだ。


ルノさんには極力外に出ないようお願いし、もしなにかあればすぐ連絡してくれるよう伝えてある。あれだけ準備しておけば、よほどのことがない限り問題はないはずだ。


「……はぁ、気が進まねぇ。今、幽崎と一緒にいるの、神崎だよな?」


「うん。なにか問題でもあった?」


「神崎は幽崎みたいなやつ、嫌いだろうなと思ってさ。華咲、機嫌取りは頼んだよ」


「そこまでめんどくさい人なの~?」


他愛もない会話を交わしながら、俺と華咲は事務所の応接室に向かう。幽崎の性格が昨日のままなら、神崎とは最悪の相性だ。だが、神崎は人の機微を読むのが得意だ。表と裏を使い分けるようなタイプなら、神崎はきっと気づく。下手に突っかかることもないだろうと楽観していた、応接室の扉を開けるまでは。


「……っ!あっぶねぇ!」


目に飛び込んできたのは、幽崎に拳を振りかぶる神崎の姿。咄嗟に半分の力だけ使って間に飛び込み、神崎の拳を受け止める。幽崎は怯えと驚きが混ざったような顔で固まり、神崎は怒りで顔を赤くしていた。


「っ……すまねぇ、水瀬社長。手、大丈夫か?」


「平気だよ。ただ依頼人に手を出すのはアウトだ。神崎、お前にはモールの巡回を頼めるか?」


「あ、ああ……ほんとにすまねぇ」


頭を下げて部屋を出ていく神崎を見送りながら、俺は目配せで華咲にあとを頼む。彼女が神崎を追って部屋を出ると、俺は落ち着いた手つきでお茶を淹れ、幽崎の正面に座った。


「申し訳ありません。さっきのは神崎の暴走で……。なにか、気に障ることでもあったんでしょうか?」


「え、あ……す、少し世間話をしてただけで……もしかしたら俺、いえ、自分の言い方が悪かったのかも……」


一人称すら安定しないどもり方。こいつ、絶対なにか隠してるな。


「なるほど……それでは、依頼の内容を改めてお聞かせいただけますか?」


「はい……」


幽崎の話す内容は、すでに知っていることのうちのほんの一部だった。ルノさんが家を出て行ったこと、それを心配しているという体裁での依頼。明らかに詳細が足りない。


「それではお尋ねしますが、彼女が家を出ていった理由に心当たりは?」


「理由……そういえば、少し前から元気がなかったような……なにかされたのかもしれません!」


はぁ……話が飛躍しすぎだろ。


「実行者に心当たりはありますか?」


「……ひとりだけ。昔の友人で……確か、探偵さんと同じ苗字だったかと」


「……水瀬、ですか?」


ほら来た。


「そうです!名前は忘れましたが、その人が瀬瑠乃に告白して、振られたんです!それ以来縁を切りましたが……もしかしたら、再会して脅されていたのかも!」


勝手に話を作って俺のせいにすんのかよ……マジで呆れる。


それでも業務として話を聞き、幽崎周辺やルノさんの家族構成についての情報を引き出していく。得たのは、幽崎の家には今、彼とルノさんの母だけが住んでいるということ。家族とも距離を取られているようだし、ルノさんの妹とも同居を断られているらしい。


「ちなみに、山本さんが出ていかれた際の服装など、覚えていらっしゃいますか?」


「……申し訳ありません、覚えていません……」


はぁ……どれだけ無関心だったんだよ。


「問題ありません。それでは、依頼の内容を確認します。山本瀬瑠乃さんの所在を突き止めること、そしてなぜ彼女が家を出たのかの事情を調査する。それでよろしいですか?」


「はい」


「では費用ですが、前払いで9万、成功報酬で8万……こちらでどうでしょう?」


「えっ、安いですね?」


「私たちは小規模な運営ですから。その分、柔軟に対応しています」


そう言って渡された封筒を確認すると、きっちり8万が入っていた。


「ありがとうございます。では正式に依頼をお受けします。ただし……お願いがひとつあります。調査が終わるまで、依頼のことは誰にも話さないように。そして、喫茶店にも立ち入らないでいただけますか?」


「……え、それはなぜです?」


「調査方法が外部に漏れる可能性があるからです。申し訳ありませんが、こちらも信頼に関わることなので」


幽崎は不満げにうなずき、そそくさと部屋を後にした。ドアが閉まる音を確認してから、俺は携帯を取り出し、華咲が作ってくれたアプリで録音と盗聴器の状態を確認する。


「よし……問題なし。しっかり録れてるな」


応接室を出て事務所に戻ると、入口で神崎が土下座していた。


「……は?」


「すまねぇ社長、計画ミスっちまった……!」


「いや、大丈夫だ。むしろお前のおかげで予定が早まった」


俺はプロジェクターを立ち上げ、隠しカメラで録った映像を再生する。


プロジェクターで流れる映像には、幽崎の無神経な言葉がしっかりと記録されていた。


『……よく生きてられますね』


その瞬間、神崎の顔から表情が消え、怒りだけが残った。そして———


『だってそうでしょ?そんな傷があるのに、あんな目立つお面をつけてまで生きるなんて……俺だったらやってられないですよ!あはは!』


「……チッ。改めて聞いてもイラッとするな、ほんとによ」


「うん……ちょっと、ボクも許せないかも」


怒気をにじませた華咲と神崎。けど、俺自身はどこか冷めていた。怒りがないわけじゃない。ただ、それ以上に冷静だった。


———こいつを、社会的に潰す。


「ま、こんな感じでな。神崎が幽崎に本気でブチギレたおかげで、幽崎は俺にすらビビってた。あれだけ怯えてりゃ、こっちからの質問にも素直に答えるしかないってわけだ」


「なるほどねぇ。社長ってば、意外と策士だなぁ」


「……なるほど。つまり……オレ、役に立ったのか?」


「そういうこと。今回は神崎のおかげで、俺のスケジュールが大きく前倒しになった。今回のMVPは間違いなくお前だよ」


「うっしゃあ!!やっぱ社長に褒められると嬉しいな!」


神崎の笑顔を見ながら、俺は再び気を引き締める。こっからが本番だ。


「じゃあ次の段階に入る。あいつを蹴落とすには、ルノさんの情報じゃなくて、あいつ周りの情報を集めていく。……あいつが、ルノさんをちゃんと見てもいなかったことに、俺はマジで殺意が湧いた。もう許す気はない」


静かな口調で、俺は宣言する。


「社会的に殺す。徹底的に、な」


「「了解っす(うん)」」


「まず華咲。いつも通り喫茶店を任せながら、さりげなくあいつの周りの情報を集めてくれ。無駄になることはない」


「りょーかーい、まかせて〜」


「神崎、お前は巡回と人助けのついでにあいつの情報を拾ってくれ。多分、街の中じゃお前が一番情報手に入れやすい」


「任された!任せとけ、社長!」


「そして俺は、ルノさんの妹の居場所を探す。今わかってるのは、この地域に住んでるってことだけ。でもまあ、かかっても2週間あれば十分だろう。情報が揃い次第、一気に動く」


2人の力強い頷きに、俺もまた、心の中で固く誓う。


俺は、ルノさんを幸せにしたい。

そのためなら——どんな手段だって、厭わない。

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