第1章 終わりの始まり(2025〜2030)
2125年──私は東市、かつて東京と呼ばれた街の北側にある老人ホームに向かっていた。
谷口あき、105歳。
彼女は「最後の純粋な日本人」として、在タイ日系同盟会から紹介された人物だった。
面会室に入ると、そこには背筋を伸ばして椅子に座る小柄な女性がいた。
湯呑みを両手で包み込むその仕草は、どこか古い時代の日本映画のワンシーンを思わせた。
私が「日本」という単語を口にした瞬間──
それまで通訳を介して話していた彼女が、流れるような日本語でこう言った。
「私は、最後の“純粋な日本人”と呼ばれた世代のひとり。
だけど、そんな言葉に意味なんてなかった」
彼女が話し始めたのは、ちょうど100年前──2025年のことだった。
当時、あきは5歳。
まだ幼い彼女の世界は、街角の看板やテレビのニュースから、静かに変わりつつあった。
スーパーでは、聞き慣れない外国語が飛び交った。
テレビは「多様性」「共生」「新しい日本へ」という言葉で溢れた。
学校や保育園には、外国にルーツを持つ子どもが当たり前のように混ざっていた。
その頃の日本は、世界から見れば経済大国であり、技術先進国でもあった。
しかし内部では、人口減少と高齢化という、静かな崩壊が進んでいた。
2025年の出生数は72万人──戦後最低。
高齢化率は30%を超え、地方の学校や診療所は次々と閉鎖された。
それでも、政府は「共生日本」「ダイバーシティ先進国」というスローガンを掲げ続けた。
SNSでは移民政策への批判が次々と削除され、“愛国”という言葉はネット空間から姿を消した。
2026年には、特定技能外国人の受け入れ枠が一気に拡大。
東京の下町や大阪の西成、名古屋の中村区、福岡の博多区では、中国語やベトナム語が日常の音になった。
クラスの半数が外国籍児童という学校も珍しくなくなった。
「『中国の友達をもっと大切にしようね』って先生は言ってた。
共生モールの看板は、日本語より中国語が多かった。
でも、誰も文句を言わなかった。
みんな、“空気”を読んでいたから」
ただ一人、彼女の祖母だけが声を上げた。
「これは侵略よ。静かな戦争なのよ」と。
だが、その警告はテレビにも新聞にも載らず、
町内の会合では「時代遅れ」と笑われた。
取材初日、あきはこう締めくくった。
「あのとき、国はもう“形だけ”になっていた。
小さかったけど、肌でそれを感じていたのです」
私はその言葉を聞きながら、ひとつの確信を得た。
これは、ただの証言ではない──国家が消えていく過程を生き延びた者の、最後の報告書だ。
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