第2話「ハイパーチャット」

 俺はぼんやりと、ホロディスプレイを眺めていた。


 メインの操縦席はリクライニングにもなっていて、寝るのにもちょうどいい。

 計器やレバーなんてものもあるが、それらに触れる必要は、ほとんどない。


 船の操縦はノアがやるし、管理もノアがやる。

 航路計画も、補給スケジュールも、ノアが立ててくれる。

 修理に実務、ドローンの制御も全部任せてある。

 目覚まし音が嫌いな俺を、やんわりと起こしてくれるのもノアだ。


 俺のやることは、“決断”と“消費”だけ。

 遺跡ハンターの仕事の大半は“移動”だ。

 そんな退屈な時間の余白に、俺は“星間ライバー”を眺めている。

 別に、誰かを応援しているわけじゃない。名前も、見た目も……さして興味はない。

 ただ、何かが喋っているのを眺めていれば、少しだけ、マシになる。

 要するに暇つぶしだ。


『やっほー☆ 今日も銀河の果てから、アナタの心に直送便っ♪ ララ・セレスです!』


 双子粒子を使った“星間回線”は、距離を問わない。

 この宇宙に生まれた双子を離れた場所に置く必要がある。

 だが、それさえできれば、何千万、何兆光年離れていても、データだけなら一瞬だ。


 物質転送に応用しようとしたバカもいたが、それはまだ夢物語の域を出ていない。

 イマジナリードライブに代わるようなワープ技術には、ならなかった。


 星間回線は細い。

 本来はアバターを通じて、視覚も触覚も、まるでそこにいるかのように触れ合うことができる時代だ。

 だが、本物の“星間ライブ”に接続しようとすれば、帯域などすぐに吹き飛ぶ。


 だから俺は、ただ映像を眺めているだけだ。

 ホロディスプレイに映し出された、最適化された彼女の姿と声。

 それだけでも、目の前で話しかけているかのように感じる。

 アバターの完成度は高い。だが、それを本人と言えるかどうかは解からない。


 彼女は言った。

 ハイパーチャットを、今日から一切受け付けない、と。


「こいつ、偶に見てたが……ハイパーチャット禁止? ふーん……」


 俺は指先でホロディプレイの再生ウィンドウを広げながら、気のない声を漏らす。


『はい。彼女は“支援”よりも、“拡がり”を優先したいとの意志を明言しています――』


 独り言のつもりだったが、俺の言葉にノアが反応した。


『――古代芸術……つまり“レガシーアート”を、多くの人に触れてほしいと。ハイパーチャットに使うクレジットは、実際に現地の展示施設やアーカイブへの訪問、またはそれに関連する資料の購入など、彼女が推奨する形で“直接”使ってほしいと語っていました。つまり、“私ではなく、対象そのものに触れてほしい”という考え方です』


「それとこれとは話は別だろ? 正当な対価ってやつだ」


『では、彼女の行動は、対価を放棄した自己犠牲でしょうか』


「自己犠牲なぁ……こいつはやりたいことをやってるだけだろ? コメント欄の奴らは聖人だなんだ、騒いでいるが、どういうことだ? タダ働きが偉いってのか?」


 画面下に流れるコメントが目に入る。


『こういう人こそ、本当に応援したい』


『見返りを求めない姿勢が、ほんとに尊い』


『お金じゃないって言い切れるなんて、まさに現代の聖人……本物のライバー!』


 鼻で笑った。


「なあ。もう宗教じゃねえか、これ?」


『彼女は、確かに自己の目的に忠実です。それゆえに、報酬よりも“選択”を優先した。その姿勢が、観測者に“清さ”として映る可能性はあります』


「これじゃ、生活の為にやってる奴が可哀想じゃないか。同じように娯楽を提供してる、それ以上でも、それ以下でもない」


『目的は異なれど、手段が等価であれば、報酬の有無を基準に価値を上下させるのは、本来適切とは言えません』


「気持ちわりー奴らだ、勘違いするな? 本人じゃない、本人にブレはない……周りの奴らだ」


 ホロディスプレイ越しに流れる賞賛の嵐を眺めながら、吐き捨てるように言う。

 それは、対象への羨望か、無意識の嫉妬か。いずれにせよ、過剰だ。


『了解しました。ノアの先ほどの観測は、あくまで受け取り側の反応についてのものです。彼女自身の選択は、ぶれていません。明確で、率直です』


 ノアはあくまで中立の姿勢を崩さずに、そっと応答する。


『賛美はしばしば、自分にはできないという潜在的無力感の裏返しとして現れます。できない何かを、美徳という衣で包むのです』


 ノアの言葉は、感情の揺れを伴わない。

 事実だけを淡々と突きつける……それが妙に心に刺さるときがある。


「ひとつ言いたいのは、“タダ働き”はクソだってことだ」


『けれど、その対価を望まないことが、本人の意志によるものであれば、それは“クソ”ではなく、単なる選択です』


 ノアの言葉に、俺は一瞬、反応に詰まる。

 うまく言い返せる理屈が思いつかない。


『記録上、あなたは過去に報酬なしの依頼を三件、引き受けています。ただし、その際も好きでやったと明言していました。行為の価値は、報酬の有無ではなく、あなたがそれを選んだかどうか、です』


「あれはそうしたいからそうしたんだ。今回のコイツもそうだろう?」


 言葉にした後で、自分でもその滑稽さに気づいてしまう。

 自分の口から出たその言葉が、ほんの数秒前の自分を否定していたからだ。

 ……ノアを相手に取り繕うのは無理だ。

 俺は少し笑って、背もたれに体を預けた。


『はい。彼女もまた、自身の意志で選択し、自身の理念に従って行動している。ただ、その行為が美徳として祀り上げられるとき、意図とは別の物語が生まれます。信仰に似た熱が、時として強制へと転じることも』


「善行なんてもんはよ? 究極的には……全部、助かりたいからやってんだろ? “終末の鐘が鳴った時に自分だけでも……”ってな?」


『ジェイス。飢えた仔犬を拾い、ミルクを差し出すとき、そんなふうに考えるのですか?』


「……ちっ……」


 吐き出した皮肉が、自分の背中に跳ね返ってくるような感覚。

 軽口で流すには、少しばかり息苦しい。


 俺は視線を逸らすように、手元のホロディスプレイをなぞった。

 ふと気まぐれで、別の配信を開いてみる。


 画面に映ったのは、銀髪のアバター。

 その姿はどこか幻想的で、けれど作り物にしては妙に温度を感じさせた。

 そして、透き通った声が、ためらいなく語る。


『ハイパーチャットは受け取ります。でも、収益の半分は、犬の保護団体に寄付します。私の好きな生きものだから。ただ、それだけです』


 俺は無意識に呟いた。


「……この娘は、違う。そう、志が違うんだ。簡単にできることじゃない……」


 気配も音もなく、艦内の一角にノアのヴィジュアルが浮かび上がる。

 ホログラムで構成されたその姿は、艦内どこにでも現れる。

 

『その言葉、あなたがいちばん嫌っていた“聖人扱い”に、少し似ている気がします』


 俺は、思わず眉をひそめた。


「……違う。コイツは……そういうんじゃ、ない……俺は……」


 ノア。オマエはそれを言うためだけに現れたのか?

 

 ――沈黙。

 ……それが俺の返答だった。


『そう信じられる相手がいるのは、悪くないことです』


 ノアの投影に、かすかな笑みが浮かぶ。

 それは、AGI汎用型人工知能であるはずの彼女に、人間らしさ感じさせた。

 穏やかで温かいものだった。


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