2.出られない

 窓の外は目まぐるしい速度で景色を変えていた。私は横浜から京都へ向かう新幹線の中、それを見ていた。


 随分前のことだ、母と私で旅行の話をしていた。テレビでは芸能人が京都で観光をしている場面が映っている。

 「京都へ観光に行きたいね」

 「働いてからね」

 その時まだ学生であった私は、軽い気持ちで返事をしていた。

 母が再び言い出すとは知らずに。


 私には、ちょっとした恐怖症があった。それは、閉所恐怖症と呼ばれるものだ。建物の中であっても、外に出られない状況に恐怖を感じる。新幹線はその最たるもののように思っていた。私は新幹線が苦手だったのだ。


****


 私が就職して半年たった頃、無駄遣いをしていないので貯金もそこそこあったので、旅行に行こうと母に言った。すると、あの時と同じように、京都へ行きたいと言われた。恐らく、またテレビに影響されたのだろう。

 「アンタももう働いてるし、いいでしょ?」

 断る理由もないため、私は頷いた。


 今乗っている新幹線は、全国の中で一番速度が速いことで有名だった。そのためか、電車特有の揺れというものを感じず、真っ直ぐにすごい勢いで走っている感覚になる。いわば、直線上を走るジェットコースターに乗っているような状態だ。


 今、外に出たら助からないだろう。何かに衝突しても無理、誰かが暴れまわっても逃げることはできない。グルグルと頭の中でよからぬ妄想が回り続ける。手は震えが止まらず、窓枠が小刻みに音を立てている。熱くもないのに汗が流れ、喉は渇いている。いいようのない恐怖が私の中で芽生えていた。


 乗客はそれなりに多く、室内が蒸し暑くなっていた。血流をよくするためか、ゴミ捨てに行ってるのか知らないが、時折車両内をうろつく人がいた。

 ―人とぶつからないように降車口付近まで歩こう―

 そう決めるなり、左右を確認してから立ち上がって移動した。


 降車口の近くまで行くと、人は誰もいなかった。そこは静寂に満ちていて、新幹線の速度を感じる空気を切る音が聞こえてくる。座席にいたときとは違い、涼しい空気で満たされていた。走行中だからか、明かりは暗くてゴミ箱が不気味な雰囲気を醸し出している。一方、窓の外は太陽が輝いて、明るい緑色の葉を揺らした木々が点在している。


 ―あぁ、羨ましい。外にいるなんて―


 伸び伸びと育っている木々には、私の今の状況なんて分からないだろう。恨めしい気持ちが湧いてきたので、目を閉じて落ち着かせようとした。それにしてもこの電車、横浜を出てから一向に次の駅に着かない。もしかして、幽霊でも乗っているのだろうか。私が京都へ着かないように何者かが、邪魔をしているのだろうか。私は、恐ろしくなって、ドアの付近に体を寄せた。


 ―ここから出して、お願いします。このままじゃ気が狂ってしまう。だってここは、密室で暗室で、誰かも知れぬ人々が乗っている危険な場所なんです。どうかお願いします。ああ、どうか見捨てないで出して下さいお願いします。お願いします。どうか、見捨てないで―


 私はひたすら祈った。木々に太陽に、外の世界に。だが、電車は未だ着かない。私の呼吸音と風を切る音ばかりが響く。窓枠がガタガタと震え始めた。


 ―怖い、怖い、怖い。やはりここには幽霊がいるんだ…―


 恐怖はだんだんと怒りに昇華されていった。窓ガラスに拳がぶつかる。バンバンと音を立てて窓を叩いた。もう、ここから落ちるとか、怪我したら大変とかどうでも良くなっていた。今感じた怒りを窓にぶつける。そして、呪い殺すかのように心の中で文句を言い続けた。


 ―奴は出られない私をこうして嘲笑っているに違いない。許せない。どうして出してくれないの。出してってお願いしているのに。どうして。出してよ。出して下さいよ。なんで、止まらないの。早く出してよ!!私を!ここから!―


 拳がぬめりを帯びて、ガラスの上を滑っていく。何度殴ったのだろうか、腕には赤い血が伝っていた。窓は血で汚れていて、縞模様を作っていた。


 どことは知れぬ場所で、外の世界は平和な時を刻んでいた。

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