第6話 抜け出して夜の住宅街
夜風はひんやりとして、若干ジメジメした感じが残っている。
月は雲に隠れている。だが街灯や家の窓からこぼれる灯りがギラギラしていてそこまで暗くはない。
冷たい空気を吸っていると、胃が冷やされたような感じがして気持ちがいい。
「昼間は暑いのに、夜は少しだけ冷えるね」
栗村さんは寒そうに両腕をさすっていた。
「梅雨は中途半端だよね」
僕らは住宅街の道路脇を二人並んで歩んでいた。もちろん、僕が車道側を歩いている。荷物も邪魔にならないように、トートバックに傘をひっかけて車道側の腕に通している。
そんなことよりも、湿気で髪はくるくるになっていないだろうか。合コンのときに緊張でかいてしまった汗で、臭っていないだろうか。というか、口は臭くないだろうか。
……栗村さんの私服姿、可愛いな。
高校時代に彼女の私服を見たことはなかったが、白いワンピースは清楚っぽくて、似合っている。可愛らしいショルダーバッグに、首からは紫色の宝石のペンダントを下げていておしゃれだ。
未だに忘れられなかった片思いの相手。別に、常にずっと想っていたわけではない。ただこの人以上にときめいた人がいなかっただけ。つまりは僕の中で一番ときめいた、愛しかった人。
そして、もう話すことさえないと思っていた人。
そんな彼女が、栗村日和が、今僕と隣り合わせで歩いている。
なんだこれは? 現実なのか? 僕これから死ぬのか?
とにかく幸せなんですけれど。
しかし、距離が近くて緊張する。隣からずっといい匂いが漂ってくる。手と手が触れてしまわないだろうか。
こんなの、あの頃夢見た青春じゃないか。
合コンは抜け出してきてしまった。さすがにそのままいなくなるのもよくないので、お金だけおいて、調子が悪くなったと伝えて抜けてきた。
猫俣さんが「心配だから送っていくよ」なんて優しいお世辞をかけてくれたけれども、今から帰るところの知り合いと遭遇したから大丈夫だと、断ってきた。
「合コンを途中で抜けるなんて、空気を汚しちゃったかな」
僕なんかいてもいなくても変わらないと思うけれど。
「いいじゃない。木野くんが行くようなところじゃなかったんだよ」
そうだ、僕みたいな地味で話下手な奴が行くような場所ではなかったのだ。
「それより、どこに行こう」
「栗村さんはお酒強い?」
栗村さんの誕生日は昔教えてもらった。たしか四月の四日だったから、もうお酒は飲める年齢である。
「まあ、まだ強いお酒を飲んだことがないからわからないけれど、レモンサワー一杯は余裕かな」
「弱くて悪かったですね」
いたずらに笑う栗村さん。かわいいなあ。
「悪くないよ。君の誕生日ってだいたい今から一カ月前でしょ。そのタイミングで飲み始めてるなら、慣れていなくてもおかしくはないんじゃないかな」
「え、僕の誕生日知ってるの?」
「知ってるよ」
「な、何で知ってるの?」
高校生のころ、僕は自分の誕生日をあまり人に話してこなかったつもりだ。気を使って祝われるのが苦手だったためである。せいぜい同級生や部活の後輩と、三人程度しか教えていないつもりだった。
当時よく話していた栗村さんにも、話したことはなかったはずだ。
「そりゃ、クラスメイトだったし」
クラスメイトだったら知っているものなのか。
「ほら、クラスでSNSのグループ作ってたでしょ。そのときに君のアカウントを見たことがあるのだけれど、そこに誕生日が書いてあったの」
確かに、ステータス情報として自分の誕生日を記入する欄があるけれど。わざわざ個人で交換していないような相手の誕生日を見ていたのか。すごいな。
「よく覚えてたね。もうあのグループ残ってないのに」
「まあね、人の誕生日くらい覚えてるよ」
なんて話しながら、行く当てもなく住宅街を歩んでいるうちに、僕らは並ぶ家々の角に位置する、公園にたどり着いた。
「この公園、久しぶりに来たな」
「木野くんも来たことあるの?」
「小学生のころ、よく男友達と遊びに来てたね」
「私も友達と来てた。もしかしたらそのころに会ってるかもね」
そんな運命はさすがにないと思う。
「ちょっと寄っていきましょ」
ブランコに駆け寄る彼女についていく。だが。
「これは乗れたものじゃないね」
今日は雨が降っていたのだ、ブランコの座る部分が濡れているのはもちろん、凹んだ足場には水が溜まっている。
仕方なく僕らは公園を一望した。
公園は横に広く、中央には植物が一掃された藤棚があり、その下に木製のベンチやテーブルが設置されている。藤棚をはさんだ右側にはちびっこ向けのアスレチック遊具や、やけに開放的なトイレ、鉄棒とブランコがある。藤棚の左側は遊具がなく、ボール遊びができるほど広々とした、砂の地面が広がっている。
遊具やあちらこちらに設置されているベンチはどれもベタベタで、水たまりもそこら中に出来ている。
「夜の公園って、なんだか不気味よだね」
と栗村さんはつぶやいた。
明るい時間は子供たちが遊びまわっているだろうこの場所は、夜も更ければ誰もいない。
楽しむためのこの空間は、確かに夜に見ると怖くも感じる。広すぎず狭すぎないような公園は、灯りが隅の方にまで届いなかったり、遊具で影ができていたりと暗闇が結構出来ている。
湿った地面から漂う湿気も、背筋にゾワゾワと感じるものがある。
「あのよくわからない子供の銅像、怖くない?」
なんて、入り口の近くに立っている子供の銅像を指さした。
「ちょっとやめてよー」
なんて反応をする栗村さんがまたかわいい。
胸の内側が温かい。これは、あの日々に感じていた恋心。
……そういえば、僕らはこれから二件目に行くところだったよな。
「あの、知ってのとおり、お酒飲めるようになったばかりだから、まだ行ったことはないんだけれど。実はこの近くに、おしゃれな居酒屋があってさ」
この公園の近くに、まるでバーのような、ジャズが流れるシックな居酒屋がある。両親がたまに行くらしく、話はよく聞くけれど、おしゃれ過ぎて僕にはハードルは高くて、行くつもりはなかった。でもせっかく栗村さんといるのだ、行ってみようか。
「そこに行かない?」
「うん、いいよ。でも、ちょっと待って……」
「うん?」
栗村さんはポールの街灯に照らされながら、ポツンと直立していた。
「自分から誘っておいて今更なんだけれど、もう、体調は大丈夫なの?」
やけに落ち着いたトーンで聞いてくる。
「もう平気だよ。胃の痛みもなくなったし、酔いも冷めたかな。でも、お酒はもう控えておこうかなとは思ってるよ」
「そっか……」
「えっと……どうしたの?」
僕はスポットライトに当たる彼女の元へ近づく。
栗村さんは不安そうな顔をしていた。
「そのね、こうやって話してると、高校時代を色濃く思い出して」
「うん、僕も……」
「……私、ずっとあの日のことを謝りたかったの」
「……あの日」
「そう、君を空き教室に呼び出した、あの日」
その瞬間、身体に悪寒が走る。頭の中にモヤモヤが一気に溜まり、視界が揺らいだ。
それは、僕のトラウマ。いや、忘れられないだけの悲しい記憶。
あの日、大事な話があると栗村さんに誘われて、僕は勝手にそういう期待を抱きながら、部活後に、待ち合わせの空き教室へと向かった。
真夏の夕方、夏風が窓から入り込み、レースのカーテンがフワフワと揺れていた。そんな教室に差し込む、夕日の色に染められながら……
栗村さんは池田拓志とキスをしていた。
責められるように、机に仰向けになりながら、情熱的なキスを受けていた。栗村さんは嫌がる様子を見せず、受け入れているように見えた。
僕はその光景が目に入った瞬間、まるで化け物でも見たかのように足を震わせて、息を粗くして、逃げてしまった。わかりやすくスクールサンダルの音を立てて廊下を走った。
今にもたまに思い出す、絶望の瞬間だった。
栗村さんは、そのときのことを謝ろうとしている。
「私が君を呼んだのに、君の気持ちに気づいていたのに、あんなことをして……」
……僕の気持ちに気が付いていた?
言葉にしていない以上気づかれていないものだと信じていたけれど。さすがに、僕に好意を持たれていたことに気がついていたのか。
その上で、わざわざ呼び出して、僕に見せつけたかのようなその仕打ち。
そして次の日から池田によって堂々と公言された、二人が付き合っている宣言。
僕は、意地悪に遊ばれていたのだと思った。
「あの時、本当につらかったよね。謝って済むものじゃないかもしれないけれど、ごめんなさい」
深く頭を下げる栗村さん。それに対し僕は何も言えなかった。
「でも、私、あのとき本当は、君に告白をしようとしていたの。それを、拓志に遮られちゃって、無理やりキスされて……」
「……え?」
僕に、告白しようとしていた?
「拓志のことは好きじゃなかった。ずっと言い寄られていたけれど、断ってた。でも、私が君に想いを告げようとしていることに感づいて、あんなことをされて……」
なんだよ、それ。情緒がおかしくなりそうだ。
「すぐに謝ろうと思った。でも次の日の、私を軽蔑するような君の表情が目に入ったとき、もうだめなんだなと思って、謝れなかった……」
でも、僕に告白をしようとした、想いを告げようとしたということは――
「私のこと、嫌いになっちゃったのかなって……」
栗村さんが、僕のことを好きだったということだ。
まさか、そんなわけない。好きな人と両片想いだったなんて、そんな妄想のような現実があり得るわけがない。
「あれから卒業するまで、私達あまり会話できなかったよね。卒業してからも、もう会えることはないんだろうなと思ってた。でも、さっきたまたま出会って、これは運命だと思ってさ」
それはまるで夢のようなことを言われている。
こっそり自分のお尻をズボンの上からつねってみた。ちゃんと痛い。夢ではない。
「君は、私のことを今、どう思っているのかな」
スポットライトの中から彼女が問いかける。
「そ、そんなの……」
そんなの、決まっている。
「……変わらないよ、あのころからずっと」
僕は、栗村日和が好きなんだ。
「栗村さん以上にときめいた女性はいなかった。あの光景を見てからも、ずっと忘れられなかった。だから僕も、さっき栗村さんに出会えて、運命だと思った」
これは多分、天の神様が起こした奇跡だ。
「あの時、意地悪されたのかと正直思ったよ。あの光景は、今でもトラウマで、たまに思い出す。でも、それでも僕は、栗村さん以上に好きになった人がいない」
だから僕は、今ここであの言葉を言うべきだ。あのときは栗村さんから言おうとしていたその言葉を、想いを、僕が告げるべきなんだ。
僕はトートバッグをその場に捨てた。汚れてしまっただろうが、そんなことは今はどうでもいい。
「だから、栗村さん……栗村日和さん……」
すごく心臓が高鳴っている。今までに経験したことのない、勝負のときの緊張。
手のひらが汗でべちゃべちゃだ。顔が熱い。怖くて、そして恥ずかしい。
それでも、震える足を踏み込み、彼女の元へ近づく。
髪形はおかしくないだろうか。唇はカサカサではないだろうか。汗臭くないだろうか。
もし身なりが整っていなくても、もう僕は自分を信じるしかない。
僕は栗村さんのいる街灯の灯りの中に入った。
そして、不安そうな表情を浮かべる彼女の、輝く瞳をじっと見つめて。
「僕は、今でも……」
想いを、勇気込めて。
「うん……」
「あなたが好きだ!!」
気持ちを告げた。
「だから、僕と付き合ってください!」
栗村さんは、あいつとどこまでのことをしたのだろうか。キスすら経験のない僕は、嫉妬の情も抱いている。
でも僕は、元カレ以上との思い出を、君と作りたい。君と素敵な日々が送りたい。
ずっと好きだった人と、恋人になりたい。
「木野くん……」
栗村さんは両手をぎゅっと合わせる。
「私は、私は……」
震えている、栗村さんの声。
彼女も気持ちを込めている。僕への返事を告げようとしている。
僕の気持ちに、答えてくれるだろうか。
期待と不安に身を震わせながら、僕は栗村さんの言葉を待つ。
栗村さんは、はあっと息を大きく吸い込む。
そして言葉を発しようとした。
その瞬間だった。
暗闇から何かが飛び出した。
そして、栗村さんの身体は瞬きをしたうちに、宙を舞った。
その何かに、突き飛ばされたように。
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