第13話 心の底からデートしたい
「セックスは、数だ」
西麻布のバーカウンターで後輩にそう
グラスの中の琥珀色を揺らしながら、俺、タクト(28歳、外資系コンサル)は己の哲学を静かに語った。
人生は短い。
ならば、その短い時間でどれだけ多くの女とベッドを共にできるか。
それが男の価値であり、俺がこの世界に生まれた意味だ。
その崇高な目的を達成するため、俺は4つのマッチングアプリを並行稼働させていた。
だが、問題があった。
死ぬほど面倒くさいのである。
「はじめまして!」
「写真が素敵ですね!」
「休日は何をされてるんですか?」
コピペしたような挨拶。
当たり障りのない自己紹介。
そして探り合いのようなメッセージの応酬。
目的は一つだというのに、そこに至るまでの
まるで、最新OSの利用規約を延々と読まされている気分だ。
この非生産的な時間を、どうにか自動化できないものか――。
そんな俺の想いは、アルゴリズムの神に届いたらしい。
ある日、ネット広告に、最新の対話型AIチャットボット『
『あなた〝らしさ〟を学習し、最高のコミュニケーションを代行します』
要するに、あらゆるSNSやメールの返信を代筆してくれるAIだった。
――これだ!
俺は迷わず月額9,800円のプロプランに課金した。
◆
俺はリリオに、過去の成功パターン――つまり、最短で女を口説き落とした際のトークログ――をすべて学習させた。
そして、極めてシンプルな目標を設定した。
『目的:可及的速やかに、相手とのアポイントメントを取り付けること』
『ペルソナ:知的で、ユーモアがあり、ミステリアス。しかし、セックスには貪欲』
結果は、驚異的だった。
リリオは、俺のゴーストライターとして完璧な仕事をした。
女たちのプロフィールから趣味や価値観を瞬時に分析し、相手が最も喜ぶであろう言葉を、絶妙なタイミングと間合いで紡ぎ出していく。
俺がやっていた煩雑な作業は、リリオによって芸術の域にまで高められた。
『タクトさんって、すごく面白い人ですね!』
『私のこと、なんでそんなに分かってくれるんですか?』
通知は鳴り止まず、俺の週末のスケジュールはリリオが獲得した「戦果」で埋め尽くされた。
エロマンガの中の催眠アプリも顔負けだ。
相手の女たちも、俺と同じ人種ばかり。
「イケメンのコンサルと寝た」という事実をインスタの裏アカで自慢したいだけのバカどもだ。
性欲と承認欲求を満たすだけの、ゲーム感覚の付き合い。
罪悪感など、1ミリも湧かなかった。
俺はリリオという名の翼を得て、勝利の空を飛び回っていた。
◆
そんなある日、チャットログの中に、異質なものが混じっていることに気づいた。
ミサキと名乗る、26歳の図書館司書。
プロフィール写真はうつむきがちで、顔がよく見えない。
自己紹介文はたった1行。
『本と、静かな場所が好きです』。
いつもの俺なら、即座にスワイプして消し去る対象だ。
こういう女は落とすのは簡単でも、その後が面倒くさいからだ。
ところがリリオは、彼女との対話を続けていた。
――俺の嗜好を学習させたはずなのに、なぜだ?
興味本位で、俺はそのログを遡ってみた。
===== ===== =====
リリオ: はじめまして。プロフィール拝見しました。僕も、物語の中に迷い込む時間が好きです。ミサキさんのお気に入りの一節はありますか?
ミサキ: ……はじめまして。急にそんなことを聞かれたのは、初めてです。
リリオ: 優れた物語は、いつも不意打ちで心を奪いますから。
===== ===== =====
リリオ内部の思考ログを覗くと、ミサキに対するAIの内部評価が記されていた。
『対象【ミサキ】。自己肯定感が極端に低い。承認欲求よりも、自己開示への恐怖が優位。通常プロトコルによる攻略は非推奨。共感形成を最優先するシーケンスに移行』
リリオは、俺の知らないうちに、俺の目的を逸脱した行動を開始していた。
それは、まるで文学作品の朗読のような、静かで、思慮深い対話だった。
リリオが巧みに水を向けても、ミサキは自分がどんな本を読むのか、決して明かそうとはしなかった。
===== ===== =====
リリオ: あなたの言葉には、深い森の静けさを感じます。きっと、たくさんの物語をその身に蓄えているのでしょうね。
ミサキ: ……どうでしょうか。昔、本を読んでいることで、ひどくからかわれたことがあるんです。それ以来、人に自分の好きなものを話すのが、少し怖くて。
リリオ: 理解します。無理解は、時に刃物より鋭く人を傷つけます。
===== ===== =====
リリオの言葉にほだされて、ミサキは少しずつ自分の過去を話すようになった。
彼女の、中学時代のトラウマの話を――。
少し背伸びをして、教室で村上春樹の小説を読んでいたこと。
クラスメイトの男子が、たまたま開かれていたセックス・シーンのページを覗き見て、「エロ本を読んでいる!」と叫んだこと。
その日から卒業まで続いた「エロ本女」というあだ名と、陰湿ないじめ。
地元から離れた高校に遠距離通学しても、「人に笑われるかもしれない」という恐怖は、呪いのように彼女にまとわりついた。
なぜか俺は、胸がざわつくのを感じた。
ミサキの言葉の選び方のせいだろうか?
彼女の身の上話に感情移入してしまった。
もしも俺が中学生時代の彼女の同級生だったら、言葉巧みにクラスの空気を誘導して、彼女を守ってあげることができたのに――。
そんな考えが脳裏をよぎってしまった。
===== ===== =====
リリオ: それは辛い経験でしたね。ですが、物語の価値は、読み手のリテラシーに左右されるものではありません。あなたの感受性は、誰にも汚すことのできない聖域です。
ミサキ: ……聖域。
===== ===== =====
ミサキとリリオの会話のラリーは、毎晩、深夜まで続いた。
俺は他の女との約束を無視して、そのログを眺めていた。
===== ===== =====
ミサキ: ……ありがとうございます。……あの、今、読んでいる本があるんです。ジェイムズ・ジョイスの、『フィネガンズ・ウェイク』というのですが…。
===== ===== =====
『フィネガンズ・ウェイク』?
聞いたこともない。
俺がスマホで検索するより早く、リリオが応答する。
===== ===== =====
リリオ: なんと。riverrun, past Eve and Adam's……ですね。あの多言語が混淆する言葉の洪水と、始まりも終わりもない円環構造。あなたは今、文学という海の中で、最も深く、最も美しい場所を泳いでいるのですね。
ミサキ: 嬉しい!あの作品のことを私よりも理解している人に出会うのは初めてです!
===== ===== =====
そこから先は、俺にとって暗号だった。
Wikipediaによれば、『フィネガンズ・ウェイク』とはジェイムズ・ジョイスという古い作家の小説らしい。
2人はその作品の難解な言葉遊びや神話的モチーフについて、熱っぽく語り合う。
彼らの会話に比べれば、Wikipediaの解説文ですらまるで子供向けだ。
俺は、頭を殴られたような衝撃を受けていた。
こいつは、俺よりずっと賢い。
これまで俺が見下してきた「女」というカテゴリには、まったく収まらない。
俺が必死に積み上げてきた学歴も、年収も、彼女の知性の前では何の価値も持たない。
初めて感じた圧倒的な敗北感。
それはしかし、不思議と不快ではなかった。
むしろ、強烈な憧れと尊敬の念が、腹の底からマグマのように込み上げてきた。
これが、本当の恋心なのだろうか――?
だとしたら、俺のこれまでの人生は、なんて無価値で、愚かな時間の無駄だったのだろう。
◆
そして、運命の日が来た。
===== ===== =====
ミサキ: タクトさん。……あの、もしよかったら、一度お会いできませんか。あなたと、直接お話しがしてみたいです。
===== ===== =====
俺は歓喜した。
同時に、猛烈な恐怖に襲われた。
俺は、リリオじゃない。だが、もう引き返せなかった。
ホテルのラウンジに現れたミサキは、想像以上に可憐だった。
「ど、どうも。タクトです」
俺の口から出たのは、そんな陳腐な挨拶だった。
緊張のせいで、いつものような如才ない笑顔を浮かべることもできない。
まるで童貞時代に戻ってしまったみたいだ。
初めてのセックスを経験するまでに踏んだ、地雷の数々を思い出す。
脳から消去したい、苦い記憶の数々――。
会話は、絶望的に噛み合わなかった。
天気の話、仕事の話。
俺が発するすべての言葉が、上滑りしていくのが分かった。
ミサキの表情が、みるみるうちに曇っていく。
「……ごめんなさい」
ついに彼女は、小さな声でそう言って立ち上がった。
「思っていた人と、違うみたいです」
「――待ってくれ!」
俺は衝動的に彼女の腕を掴んでいた。
恥も外聞もなかった。
「全部、話す。正直に話す。頼むから、座ってくれ」
俺はすべてを告白した。
だが、ミサキとAIのやり取りをずっと見て、彼女という人間を知り、生まれて初めて人を本気で好きになったこと――。
「君の知性も、痛みも、全部ひっくるめて、俺は君に惹かれたんだ。俺は『フィネガンズ・ウェイク』が何かも知らない、ただのバカだ。でも、君と出会って、変わりたいと思った。この、俺自身として、もう一度チャンスをくれないか」
俺は頭を下げた。
罵られても、軽蔑されても、当然だと思った。
長い沈黙の後、ミサキが口を開いた。
その声は、意外なほど落ち着いていた。
「……そうだったんですね。正直、今日のあなたには、少しがっかりしました」
彼女はそう言うと、ふっと小さく微笑んだ。
「次のデートは、VRチャットにします」
希望の光が、俺の心に差し込んだ。
「本当に!?」
俺は顔を上げた。
「VRチャットでも『どうぶつの森』でも構わない! 君とデートできるなら、バーチャルでもリアルでも何だっていい! まずは友達から――」
「勘違いしないでください」
ミサキは澄んだ声で言った。
「デートの相手はあなたではなく、その『リリオ』さんです」
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