心音ちゃんのココロのふうせん 〜心音ちゃんとくまのロク1〜

うない ゆうき

エピソード1 ひみつのお話し会

 夕方4時前、今日も小さな音で玄関のドアが開く。

 家の中は空っぽ、だれもいない。だけど、『おかえり』とリビングから声がする。

 部屋にランドセルをおきに行った心音ちゃんは、その事を気にする事なく、手を洗って、ジュースを持ってリビングにやってきた。そうして、ソファにすわっていた、くまのぬいぐるみのとなりに来ると、ふう、と息をつく。


「あのね、ロク…」


 だれもいないリビングで、心音ちゃんはぬいぐるみに呼びかける。

 “ロク”と呼ばれたぬいぐるみ…ぼくは、少しだけ心音ちゃんの方を向いた。

 心音ちゃんはこの春小学校4年生になったばかりの女の子。パパとママはお仕事をしているけど、4年生になってから、学校に家のカギを持って行って、帰ってきてからるす番をするようになった。

 ママもパパも、心音ちゃんがひとりで過ごしていると思っているけど、ママがプレゼントした、水色のちょうネクタイが似合う、くまのぬいぐるみのぼくは、心音ちゃんとふたりきりの時だけ、おしゃべりをしたり、ゆっくりなら動くこともできるんだ。


 そこのきみ。これは、きみにだけ教えるんだから、だれにも言わないでおくれよ?どうして教えるかって?それは…

 これからはじめる心音ちゃんのお話を、もしかしたらきみも同じように感じたことがあるかもしれないから、特別に仲間に入れたいと思ったんだ。


 ぼくが話を聞こうとしているのを見て、心音ちゃんは話しはじめた。


「今日の体育のときに、クラスの男の子から、走り方が変だって笑われて、まねされちゃったの」

「心音ちゃんは、その時どうしたの?」

 

 心音ちゃんは、ジュースを一口飲んでから、首を横にふった。

 これは、“何も出来なかった”の合図だ。


「そっか…。少し苦しいかもしれないけれど、その時の気持ちを音にしてみようか。イライラ?、しくしく?もやもや?それとも、ムカムカかな?」

「しくしくと、ムカムカ」

「うん、うん。じゃあ、今からここをその体育の場所だと思って、今度はそれを言葉にしよう」


 少しの間、口をつぐんだ心音ちゃん。次に口を開くと…


「ひろきくんなんてキライ!笑われて、まねされるのはすっごくイヤ!声も大きいし、急に背中をたたくし、どうして、お昼休みに本を読んでいるだけで、『気持ち悪いやつ』って言うの⁉️うるさい!それから…っ」


 ああ、やっぱり…。

 

 ぼくは、何かがあふれたように話す心音ちゃんの手に、そっと手をかさねた。ふわっとしたぼくの手に、心音ちゃんは、はっとして言葉を止める。


「今は、体育のときの話だよ、心音ちゃん」

「そうだよね…。どうして私はこうなっちゃうんだろう…」


 心音ちゃんは、今にも泣いてしまいそうに顔をゆがませた。


「まねされて笑われて、すごくイヤで悲しかったね。心音ちゃん、その時“あの風せん”はどうなった?」


 “あの風せん”は、心音ちゃんの心の中にある、灰色の風せん。上手く言葉にできない気持ち、その場で言えなかった事…心音ちゃんの心がざわっとするたびに、その中には、空気の代わりに気持ちがたまっていくらしい。


「まねをされる前より大きくなって、中にたまったイヤな気持ちのせいで、だんだんトゲトゲになった」


心音ちゃんは、ぼくとの間の何もないところに両手を持ってきて、バスケットボールよりも一回り大きい丸をつくって見せてくれた。指先で支えるようにして、そのボールを持つ心音ちゃんの手の形で、そのボールがまん丸じゃなくて、凸凹しているんだと、なんとなく想像がつく。


「とっても大きくふくらんだんだね」

「うん…。トゲトゲが飛び出して、もう少しで風せんがわれそうだったから、じっとがまんしたの」


 心音ちゃんの話を聞いていると、今日まねをされてイヤだった、悲しかった…それ以前にも、心音ちゃんの風せんには、それまでのいろんな出来事でうまく吐き出せなかった気持ちも、たくさんたまっていただろうとわかる。

 

 風せんがわれると、それまでの悲しい事や、嫌だった事も一気に破裂してしまう。

 低学年の頃や、学校の後に児童館で過ごしていた3年生までの頃も、そんな事があったそうだ。その時も気がづいたら、前に会った事まで思い出して怒ってしまって、近くにいた友達から、コワイものを見るような目で見られてしまったらしい。友達のそんな顔を見た心音ちゃんは、風せんがわれてしまった時の自分はいけないんだ、コワイんだと思うようになって、人前で風せんがわれそうになると、必死にがまんするようになった。


 それでも、全部がまんできる事はなくて、どうしても人前で心の風せんがわれてしまったり、今みたいに、ぼくの前でこうなる時がある。


「もし、風せんがわれる前に、少しずつ空気を抜くみたいに、心音ちゃんのトゲトゲした気持ちを外に出せたら、今より風せんがはれつする事が少なくなって、心音ちゃんの心も楽になると思わない?」

「そう思う。でも、どうやったらいいかわからないよ」


 ぼくは、今にも泣き出しそうにまゆをハの字にする心音ちゃんのほっぺを、そっとなでる。


「だれかに気持ちを伝える方法は、こうやってお話するだけじゃなくてもいいんだよ。たとえば手紙もいい。手紙って、書き直せるだろう?風せんがわちゃいそうで、思わず良くない言葉を書いた事に気がついたら、ていねいに消して、言葉をえらびなおせばいいんだ」


「ひろきくんに手紙を書くの…?」


 悲しい顔から、少し不安な顔になった心音ちゃんに、ぼくは『ちがうよ』と首を横にふる。


「まずは、心音ちゃんを大切に思ってくれている、ママとパパに、風せんの事を相談してみよう。良くない気持ちがたまってしまうこと、それを上手く外に出せなくて、苦しくなる時がある事。心音ちゃんが困っていることを知れば、きっと…いや、絶対に助けてくれるよ」


 心音ちゃんは、目を丸くしておどろいて、それから迷っているようだった。少し考えてから、ジュースを一口飲んで、小さくうなずく。


「手紙…書いてみる。ロク、一緒にいてくれる?」

「もちろん!」

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