water blue



相原あいはらさん」


「はい?」


 古文の予習の手を止めて、わたしの前に立った男子の顔を見上げた。


「えーと……あの、さあ」


「うん。何?」


 表情を確認した時点で用件はわかったけれど、一応、続きを待つと。


「その……相原さんって、つき合ってる人いるの?」


 出てきたのは、予想どおりの質問。やっぱりね。いつものように、そう心の中で唱えてから。


「いるよ」


 なるべく、感情を込めないようにして、あっさり返す。


「あ……そう、なんだ?」


「そうなの」


 居心地の悪さを感じて、視線を落としたところで。


「……わかったよ」


 まるで、わたしが悪いかのように恨めしげな視線を残して、男の子が教室を去っていく。何回経験しても、納得のいかない気持ちになる。理不尽なのも、いいとこ。こんなに頑張って、いらぬ気まで遣ってるのに。


「はい、お疲れ様」


里沙りさ


 目の前に現れた顔に安心する。中学校も同じだったなかばやし里沙は、いわゆる美少女で、モデル並みの小顔。しかも、背も高いという恵まれたルックスに加え、運動神経まで優れていて、中学の頃からバスケを続けている。


 そんな里沙に憧れている子は、男女問わず多いはず。わたしにとっても、夢中になれるものを持っていて、充実した毎日を送っている里沙は、まぶしい存在。でも、飾らない性格で、何でもはっきり言う里沙は、ある事情でひねくれてしまったわたしの、唯一の理解者でもあった。


「言ってやったら? 『わたしも相原ですけど』って」


「いちいち、関わりたくないもん」


 なんだか、予習をする気もせてしまった。教科書とノートをバッグの中に収める。


「よかった。わたしには、あんな小動物みたいな愛らしい双子の妹がいなくて」


「まあねえ」


 そう。わたしには、自分と似ても似つかない、天使とまがうような双子の妹がいる。さっきみたいな思いをしたこと、今までに何度あっただろう? わたしに寄ってくる男子なんて、全部そっち目当て。


「顔の造り自体は、同じなのにね。あ、でも。名前だけは、あんたが勝ってるよ。そうゆめ。可愛いじゃん? 夢子って名前」


「冗談みたいな名前だよ」


 ちっとも可愛くなんかないし、せめて、逆だったら、まだよかったのにと思う。昔から泣き虫で、人に甘えるのが上手だった、誰からも愛される想子と。


「たしかに、やっちゃった感あるね。あんたの方が、夢子だなんて」


「さっきから、言いたい放題じゃない?」


 横目で里沙をにらみつつ、ちゃんとわかっているんだけどね。里沙のこういう態度は、変に気を遣われたり、同情されたりするより、よっぽどありがたい。


「でも、まあ」


 里沙が、わたしの前の席に腰かけた。


「そろそろ、ああいうのも落ち着いてくると思うけどね。さすがに、気づいてる人の方が多いでしょ? あんたの妹と大輔だいすけ先輩が、つき合ってること」


「……そうだね」


 里沙にとっては、中学時代からバスケ部の先輩後輩の関係だから、大輔先輩と呼んでるけれど、わたしと想子にとっては、隣の家に住んでいる、ひとつ年上の幼なじみ。名前は、上北沢かみきたざわ大輔。大輔だいすけだから、大ちゃん ————— わたしの初恋の人。


「告ったの、先輩の方からだって? 卒業式の日」


「そうみたい」


 興味のないふりをして、答える。もっとも、わたしが大ちゃんを好きだったことなんて、里沙にはとっくにバレてるはずだけど。


「それにしても、意外だったなあ」


「何が?」


 その先は、簡単に想像がついた。


「先輩は、夢子の方に気があるのかと思ってたのに。いい雰囲気だったじゃん。けっこう」


「そんなわけないし」


 口では、当然のことのように否定しつつも、頭に中では逆のことを考えていた。そのとおりだよ。わたしだって、そう思ってた。


 わたしと想子と大ちゃん、三人でいたときのことを回想すると、大ちゃんは、すぐに他人に頼ろうとする想子に、いつもあきれた表情を見せていた。そして、何に対しても努力してきた、わたしのことをちゃんと評価して、ほめてくれた。


 そんな人、わたしの周りで大ちゃんだけだったから、すっかりカン違いしちゃったんだよね。好きな女の子に、わざと意地悪な態度を取るという、単純すぎる心理に気づかないで。わたしって、本当にバカ。


「そろそろ、行かなきゃ」


 里沙が時計を見上げた。


「バスケがある日だっけ。大ちゃんに、よろしく」


「夢子も、どっかの部に入ればいいのに」


「そのうち、気が向いたらね」


 大ちゃんと想子の報告を受けてから、もう数ヶ月。さすがに、今は胸も痛まない。だって、わたしには ————— 。


「あ」


 その姿を確認して、思わず声を上げてしまった。


「何? どうしたの?」


 着替えを持って、体育館に向かいかけた里沙が、立ち止まる。


「や……ううん! 何でもない」


 あわてて、首と手を振ったんだけど。


「ふうん。今度、教えてよ?」


「何もないって」


 意味ありげな笑顔で教室を去った里沙が見えなくなると、わたしはそっと廊下に出て、里沙と反対方向に歩いていく背の高い後ろ姿をながめた。会話すらしたことのない、一ノ瀬 さとしくん。これから、帰るところなのかな。


 急いで教室の中に戻り、バッグを手に取ると、先に歩いていった一ノ瀬くんを追いかけるために、わたしも教室を出る。どうせ、話しかけたりできるわけもないんだけど。


 一ノ瀬くんを知ったのは、この高校の入学式の日。あの頃は、好きだった大ちゃんに失恋した痛手から、全然立ち直れていなかったっけ。こんなことになるとは想像もしないで、想子と一緒に大ちゃんと同じ高校なんか受けちゃったことを、悔やんでも悔やみきれずにいた、そんなとき。


 自分でも意外だった。このわたしが、ヒトメボレなんかするはずない。そんなふうに思っていたから。そう。あのときのことなら、今でも昨日のことのように思い出せる。


 校庭で楽しそうに談笑する大ちゃんと想子を見ていられなくなって、一人でふらりと立ち寄った裏庭。満開の桜吹雪の中、涙で視界がぼやけた、その先に ————— 花びらの間から空を見上げながら、やっぱり一人で立っていた一ノ瀬くんが、ゆっくりと振り向いたの。


 目が合ったのか、合っていないのか。確認する間もなく、友達に呼ばれて、一ノ瀬くんは去っていってしまったけれど……何度思い出しても、あの日と同じように、心臓がドキドキする。


 もう、一生恋なんてしないと思っていた。そんなかたくなだった、わたしの心が崩れた瞬間だった。と、思い出に浸っているうちに。


「あれ……?」


 気づいたら、一ノ瀬くんの姿を見失っていた。ひそかに憧れている一ノ瀬くんと時間を合わせて帰るのが、今のわたしのごくごく小さな楽しみなのに。ぼんやりしちゃって、わたし、何やってるんだろう?


「あ、夢ちゃん」


「…………!」


 しかも、すぐ後ろから、声をかけてきたのは。


「想子」


「うれしい。一緒に帰ろ? 夢ちゃん」


 天使のような、ほわんとした笑顔。わたしを見つけたことが、うれしくてたまらなそう。こんな顔を見せられたら、さっきの男子も大ちゃんも夢中になるわけだ。


「いいんだけどさ。大ちゃんのこと、待ってなくていいの?」


 家に帰れば、嫌でも同じ空間にいなきゃいけないんだもん。できることなら、帰り道まで、一緒になんかいたくない。


「大ちゃん? どうして?」


 無邪気に笑って、わたしをのぞき込む想子。


「彼女なわけだし」


「彼女、かあ」


 わたしの言葉に、想子があいまいな反応を示す。


「いまだに、そういう実感がわかないの。ずっと、お兄ちゃんみたいな感じだったでしょ?」


「そう?」


 だったら、断ればよかったのに。そんなふうに考えてしまうわたしは、性格がねじ曲がっているのかな。


「練習でも見に、顔出してあげればいいじゃん」


「わたし、バスケのこと、全然わからなくて」


 今度は困ったように、眉尻を下げる想子。


「それでも、よろこぶよ。きっと」


 なんて、どうして、わたしがこんなこと……。


「あ。待って、想子」


 門を出る直前に足を止めた。


「どうしたの?」


「…………」


 わたしの目に留まったのは、日陰に隠れて枯れかけていた、紫のパンジー。そのすぐ前には、きちんと管理された花壇に綺麗な花が咲き誇っていたから、そのパンジーがなおさらみじめで、かわいそうに感じられた。


「夢ちゃん?」


 周辺を見回すと、園芸用品の置かれた棚を発見した。そこから、小さなスコップを借りて、パンジーを根元から慎重に掘り起こす。思ったとおり、根に大きなダメージを負っている。


「ダメかもしれないね」


 そう、悲しそうに言う想子に。


「ダメじゃないよ」


 自分に言い聞かせるように力強く答えて、花壇の中でいちばん日の当たりそうな場所に、深い穴を掘る。


「向こうにジョウロがあったから、水をんできてくれない?」


「うん」


 素直に駆けていく想子を途中まで見守って、わたしは植え替えの方に専念する。べつに、このパンジーと自分を重ね合わせてるわけではないけれど。でも、なんとなく、放っておけなかったというか……と、そのとき。


「きゃ!」


「想子?」


 想子の叫び声に驚いて、振り向く。


「想子、どうし……」


 その瞬間、言葉を失ってしまう、わたし。嘘みたい。きっと、よろけてしまったんだろう。ジョウロを持ったまま、その場を動こうともせずに弱った表情の想子と、その横に、びしょ濡れになった自分のシャツを呆然ぼうぜんと見つめている、一ノ瀬くんが。


「だ、大丈夫!?」


 反射的に、一ノ瀬くんに駆け寄っていた。


「ごめんなさい。こんなに濡らしちゃって」


 真っ白な頭で、ポケットからハンカチを取り出すと、一ノ瀬くんのシャツの濡れている部分を、力を入れてゴシゴシとこする。想子のバカ! よりによって、一ノ瀬くんに何やってるの? と、そこで。


「大丈夫だよ。どうせ、すぐ乾くから」


 心地よい声に顔を上げると、すぐ真上に、一ノ瀬くんの笑顔が。


「あ、わたし」


 一心不乱な状態から、我に返る。こんな状況とはいえ、一ノ瀬くんの体をベタベタ触りまくっていた。想子は、といえば。


「本当に……ごめんなさい。わたしのせいで」


 重そうなジョウロを両手で持ったまま、泣くのを必死でこらえているような表情で、一ノ瀬くんを見ている。生まれながらの女の子らしさの差を見せつけてしまった気がする。


「その、えっと」


 おそるおそる、一ノ瀬くんを見上げたら。


「評判どおり、全然違う」


 クスクスと、一ノ瀬くんが笑い出した。


「えっ? あ……」


 最も言われたくなかったことを、一ノ瀬くんに言われちゃうなんて。こんな派手に水なんかぶちまけた想子を、恨みたい。


「じゃあ、もう行きます。すみませんでした」


 もう、何も考える余裕なんてない。この場に想子がいることも忘れて、いたたまれない気持ちで、走り去ろうとしたときだった。


「あ、待って」


「…………!」


 一ノ瀬くんに腕をつかまれた。


「相原さん、だっけ?」


「は、はい」


 動揺しすぎて、声が震えてる。


「ごめん。変な言い方しちゃったけど、悪気はなかったんだ。信じて」


「あ、の……」


 あわてた、真剣な顔。


「深い意味があったわけじゃなくて。双子なんか、似てなくて当然だし。でも、ごめん」


「ううん」


 首を振りながら、初めて、一ノ瀬くんの顔を間近で見た。柔らかそうな髪と、真っ白な肌と、ビー玉みたいな目がすごく綺麗。


「あ……想子、下ろしなよ、それ。重そう」


「そっか」


 わたしに指摘されて、やっとジョウロを下に置いた想子の方を見て、ふっと笑う横顔。嫌みなく、体に張りついたシャツを長い指ではがす、少し色気を感じるしぐさ。そのどれもに心が引きつけられる。


「そうだ。一ノ瀬くん」


「ん?」


 迷ったけど、聞かずにはいられない。


「なんで、わたしたちの名前を知ってたの?」


「普通に、有名だし」


「一ノ瀬くんの方が有名だよ」


「え? 俺が? どうして?」


 そんなふうに、不思議そうに首をかしげる、自然さ無邪気さも。


「どうしてって」


 かれずにいるなんて、無理。遠くから見てるだけでいいと思っていたはずなのに、一瞬ごとに想いが募っていく感覚。


「あ、でもね。実は、俺も……」


「一ノ瀬!」


 そこで、一ノ瀬くんの友達らしき人の声。


「じゃあ。本当に、気にしないでいいから」


「う……ん」


 もう一度、さらりと笑って、友達と去って行った一ノ瀬くんに、わたしは二度目の恋にちた。わたしのことを好きになってほしいなんて、贅沢は望まない。でも、どうか、想子にだけは、惹かれないで。そんなふうに考えてしまうわたしは、やっぱり、心がゆがんでしまっているんだろうね。

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