Monoculus モノクルス 〜闇の扉 繋がる魂〜
TA-gu
1話 孤独な魔物
窓辺に揺れる白い花。
彼はいつだってそれを窓辺に飾っていた。
一度、何故、と問うたことがある。遠い昔に。
彼は「好きだから」と答えた。花よりも美しい笑顔で。
今でも、時々その花を見かけることがある。
結局、彼がどうしてその花が好きだったのか知らないままだ。
だがその疑問に答えてくれる声はもうなかった。
~序~
「最近、あの街道には野盗が出るって言うよ」
リリアの母であるマリアがそう言う。
先日は隣の集落のキーラが襲われたらしい。と彼女は難しい顔で言った。
「私が行ければいいのだけど」
そう彼女は言うが、足が衰えてきた母に行かせるには、隣の町は少々遠く、また山道は険しかった。
「大丈夫よ、朝に出て昼過ぎには戻るから。明るい時間には悪い人は活動しないものよ」
リリアは笑ってそう言った。
実際、襲われたキーラは男と逢引をするために夕方に出かけたのだ。自分は違う。
母が繕った服を隣町へ届けに行くだけだ。
父がいればと思うが、生憎、数ヶ月前に他界してしまい、今の生活を支える糧は母の手仕事だけだった。これから母の代わりにそれを売るのがリリアの大事な役目なのだ。
「気をつけてね」という母の言葉を背に、リリアは隣町へと出かけていった。
隣町に着いたのは昼で、だから街道には明るいうちに引き返して来たというのに。
どうして?どうして?どうして?
リリアは必死に走っていた。嫌だ!助けて!と叫んでも、誰からの返答もない。
娘の足ではとても逃げおおせる事は無理だった。リリアはとうとう力尽き、木の根元に倒れ込んだ。リリアを追い込み取り囲む男たちは全部で5人いた。
ニヤニヤと嫌らしい笑いを顔に貼り付け、じりじりと娘に迫ってくる。
「こんな地味な子どもみたいな女でも、多少の金にゃあなるだろう」
ガラガラとした気味悪い声の、髭もじゃの男がリリアを値踏みするように見てそう言った。
「た、たすけて、、」
震える声で懇願しても、男どもは下卑た笑いを漏らしただけだった。
「お嬢さん、運が悪かったな。諦めな」
先ほど、繕い物の報酬として受け取った少しばかりの金は男の手の中だ。リリアに差し出せるものはもうないし、あったとしても逃がして貰えないことぐらい彼女にだって理解できる。
『気をつけてね』何度も言った母の言葉が思い出された。気をつけていた。だが、気をつけていたところでリリアはあまりにも無力だったのだ。
「なぁ、どうせ売るなら、ここで味見もよかろうよ」
男の仲間のうちの誰かが言った。歯も噛み合わぬほど震えているリリアは、その言葉をどこかぼんやりとして聞いていた。
「そうだな、初物ってのは案外嫌がられるもんだしな」
目の前にいる髭の男が言い、唐突にリリアへ手を伸ばした。
「いやあ!!!!」
その手で腕を掴まれた瞬間、リリアは自分が今から何をされるのかを悟った。
大きな悲鳴は林の中に木霊したが、ここはどの町からもまだ遠い。
男どもの手から逃げるのは絶望的だった。嫌だ、嫌だと首を降っても助けは来ない。
男の手が、スカートの裾を掴んだ。
ばっ!
その時、リリアの顔に生暖かい何かが降り注いだ。
眼前の髭の男が驚いたように目を見開いていた。
男の腕。
リリアのスカートの裾を確かに掴んだ、その腕が肘の下あたりからぽっかりとなくなっていた。
リリアの顔に降り掛かった温かなものは、男の腕からおびただしく吹き出した血潮だった。
「いやあああ!!!!」
リリアは叫んだ。同時に男も叫び声を上げた。
「あ!?ああああ!うで!俺のうでがぁ!」
男はその場でのた打ち回った。
野盗たちは皆驚き、慌てふためいて腰に提げていた剣やナイフを抜き払った。
「どこのどいつだ!?」
長い剣を持った若い男が混乱の大声で言った。
血を浴びたリリアは、腰が抜けていたが必死に後ずさって木の根元に身を伏せる。
何が起こったのかわからないが、何かが起こったのだと思った。
尋常でない、何かが。
男たちのざわめきの先に、青みがかった緑色のマントを被った人物が立っていた。
頭まですっぽり覆われたマントのせいで、風体はまったくわからない。
だがその手には、髭の男のちぎられた腕が握られている。
「ば、ばけもの?」
誰かが怯えた声で言ったとき、マントの人物が音もなく動いた。
リリアが次に目を開くと、むっとした嫌な匂いが充満していた。
いつのまに気を失っていたのだろうか。
倒れていた草の上から身を起こす。
辺りは真っ赤に染まっている。あちこちに何かが落ちていて、それが、人であったものだと理解するのには時間がかかった。
残骸と呼ぶにふさわしいものは、人の形を留めていないものもあったから。
「ひっ!!!!!」
思わず悲鳴を上げると、残骸の中でこちらに背を向けて座っていた何かがのそりと動いた。
気を失う前に見た、緑のマントの人物だった。
今は頭から被っていたマントのフードを脱いでいて、リリアを振り向く。
顔だけでは性別は分かりにくく、だが男のようだった。金色に輝く髪は、リリアよりも少し濃い色だった。
そしてその口には、べっとりと血がこびりついていた。
彼は手に持っていたものを放り投げる。それは人の、腕だった。リリアにはわかった。彼はそれを食べていたのだ。
「あ、、あああああ、神様、、」
リリアは祈った。もう祈るしか自分に術はなかった。男は立ち上がり、そうしてリリアの前にやってきた。
リリアは目を閉じることも忘れ、その男の顔を正面から見つめた。
大きな丸い瞳は目の冴えるようなブルー。
ゆるやかにうねる蜂蜜のような色の髪。
丸みのある穏やかな輪郭。
真っ赤な血糊がまるで口紅のようにぽってりとした唇を彩っていた。
綺麗。とリリアは思った。彼は美しく、神々しくすらあった。
男は何も言わず、リリアをじっと見つめるとリリアの前に革袋をちょこんと置いた。
リリアが野盗に取り上げられた革袋は、血で赤く染まっていたが中身は入ったままだった。
呆然としたままのリリアに男は何も言わずに立ち上がる。ぐいと自分の口についた血を手の甲で乱雑に拭うと、フードを深く被って風のように消えた。
リリアはしばらくその場所でぼんやりとしていた。無意識のように、血のついた革袋を震える手で拾い上げて、胸に抱く。それと同時にどやどやと人の声がした。
「いたぞ!!!うわあ!なんだ!こりゃ!!!!」
村の男衆だった。母が帰りの遅い自分の身を心配し村長に頼んだのだとリリアが知ったのは、家に帰ってからだったが、たくさんの人の声にそのときのリリアはようやく自分が助かったのだと実感した。
「野犬でも出たのか?!」
人の破片がバラバラと落ちている凄惨な現場に遅れてやってきた街の警吏は首をひねった。
「お嬢ちゃん、何があったんだ?これは一体誰の仕業だ?」
警吏は唯一の目撃者であるリリアを問い詰めた。
「野盗同士の殺し合いか?」
リリアは、緑のマントを思い出した。
蜂蜜色の髪が光を照り返した美しい光景を、強烈に思い出した。
丸い大きな瞳と、美しい湖面のような瞳の色。あの人は。
「天使様が、きたの」
リリアは皆にそう言った。
警吏はあきれた顔をして、それからリリアを痛ましいような顔で見た。
結局、リリアは「天使様だった」と言い続けた。
家に送られると、母が泣いて自分を抱きしめた。
「かなりショックを受けたようで」と警吏が言った。だからおかしな事を言うのだ、と。
「ゆっくり寝かせてやってくれ」
「そうします、ありがとう、ありがとう」
母の手によって血まみれの全身を洗われて、リリアはベッドに入る。
「天使様だった」
リリアはもう一度呟いた。
「いいから眠りなさい」
母がランプを吹き消した。
暗闇の中、目を閉じると天使様がいた。だからリリアはもう不安ではなかった。
結局リリアの言ったことは誰も信じなかった。
美しい天使のような男が凄惨な殺人現場にいたことすら誰も信じなかった。
何人かの男の遺体は喰い荒らされていたが、野犬の仕業だろうということになった。しばらくその道に警吏が詰めたが、人を喰い殺すような野犬は現れなかった。人々は野盗が消えたことにほっとして、だからその内にリリアの事件はみなの記憶から薄れていった。
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