【SF短編小説】デジタル・ソウルに刻まれた聖痕(スティグマ) ~魂の調律師は踊る~(約12,000字)

藍埜佑(あいのたすく)

プロローグ 「檻からの解放」

 その男にとって、


 不条理なバグに満ち、非効率な化学反応に支配され、そしていずれは必ず腐り落ちる、タンパク質でできた忌まわしい檻。


 四方堂しほうどうあきらは、自らがその檻から解放されることを切望していた。


 彼が住まうのは、東京湾岸のデータセンターの最上階に設けられた純白のクリーンルーム。クラス1000の清浄度を保つその空間は、外部から完全に隔離され、濾過された空気だけが静かに循環している。彼はここ数年、この部屋から一歩も外に出ていない。


 彼の目が見つめるのは、生身の人間の曖昧で不確かな表情ではない。目の前のホログラフィック・ディスプレイに映し出される膨大なデータストリームだ。故人の遺した蔵書、手紙、日記、SNSの投稿、検索履歴、購買データ――。それら人間の精神活動が生み出した純粋な「情報」の痕跡。


 彼の会社「記憶の箱舟社アルカ・メモリ・インク」は、それらの情報をAIに学習させ、故人の人格を「ゴースト」として仮想空間に再構築する新しい形の葬儀社だった。


 晶は信じていた。


 人間の本質とは肉体ではない、と。


 それはその人が生涯をかけて外部世界との相互作用によって生成し、蓄積してきた情報そのものなのだ、と。肉体は、その情報を記録するための一時的で不完全な媒体メディアに過ぎない。


 死とは、肉体という檻からの魂の解放。


 そして彼の仕事は、その解放された魂――純粋な情報――を汚染される前に回収し、永遠に存続可能なデジタルの天国サーバーへと移し替えること。


 彼は自らを現代の「魂の調律師」だと自負していた。


 ディスプレイに新しい通知がポップアップする。


『現場担当・音無おとなしより、第一次回収物、搬入完了』


 晶はわずかに眉をひそめた。


 音無まゆ


 彼の唯一にして最大の問題点。

 彼の完璧なデジタル世界にどうしても混入してしまうアナログなノイズ。


 彼女はあのバグだらけの生々しい「現場」に平気な顔で足を踏み入れる。

 そしてそこから、彼が最も嫌悪する有機的な汚物データを持ち込んでくるのだ。


 晶はクリーンルームと外部の滅菌室を繋ぐエアロックのハッチを遠隔操作で開いた。


 さあ、穢れた物質ハードウェアから聖なる情報ソフトウェアを抽出する時間だ。


 今日も、この忌まわしい儀式を始めよう。


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