4章6話 誤解と真相


 帰宅した楓の父は静流を見て、そして楓を見てため息をついた。

 静流はその反応を見て、やはり、と思う。そして改めて、今このタイミングで良かったのかもしれないと感じながら楓をちらっと見ると、不思議と肚が決まった。


「この度は突然お邪魔して申し訳ありません」


 立ち上がって、まずはそう謝罪する。


「話があると聞いた……そして、私も一度君とは話をしてみたかった。橋本静流……いや、今は内藤静流と名乗っているのだったね」


「はい」


「ここではなんだ。こちらへ。君だけでいい。君も、


 楓の父は、把握してるとでも言うように、静流に言った。


「お父様!?」


 すぐに、その言葉に楓が激しく反発するようにして席を立つ。カップに入った紅茶が波打っているのが、まるで楓の心境を表しているようで。

 静流は楓をなだめようとして、止まった。


『そこに私の気持ちがない』


 部屋で胸ぐらを掴むようにしながらの楓の言葉に、静流はその通りだと思ったのだ。

 静流も、楓も、きっと楓の父や母から見れば、子供なのだろう。

 実際大人にはなれている気はしなかった。賢さも、狡さも、経験も。でも、かつての小学生だった頃の二人でも無いことは事実で。


 以前の静流は、一人で決めてしまった。それが良い未来に辿り着けるのだと、信じて。でも、今はきっと、一人でそうあるべきではないと、そう思えるようになっていた。


 改めて、楓の父の言葉を考える。何故、静流が楓がいないほうがいいと思ったかも、そして実際静流と一対一になろうとしたのかも想像した。目の前の男性を見つめる。


「いいえ、できれば楓さんも一緒に、話させていただいていいでしょうか」


 静流がはっきりと言うと、そこで初めて、楓の父は意外そうな表情を浮かべて、静流の顔を見た。そのまま背中を向けて奥へと歩いていく。


「…………着いて来なさいということだと思うわ」


 楓の母が、静流と楓にそう告げて、静流は楓と目を合わせて頷いて、後ろをついて行った。



 楓の父の書斎は、紙の香りのする部屋だった。

 どこか、図書館と似た空気を感じて、それが静流を改めて落ち着かせてくれる。


「それで?」


 楓の父は、感情を読み取れない視線をこちらに向けて、短く言った。

 静流は、頭の中でこれまでを整理して、重要だと思うことを告げる。正直、駆け引きなどというものをして、経験豊富であろう相手に通じるとも思わなかった。

 それに、娘のことを信じる父なのだと、そう静流には思えたのだ。


「先ほど、玄関先で楓さんを送って来た際に、写真を撮られた気配がありました」


「……何?」


 楓の父の表情が少しピクリと動く。


「もしかしたら、俺……いえ、私のことを含め、楓さんとの関係を物語にして、交渉材料の一つにしようとしたのではないかと思います。後、こちらに、私に接触してきた関係者とのやりとりがあります」


 そして、続けての静流の言葉に、楓の父の表情が、今度こそ考えるようなものになった。少しだけ思考を巡らせるようにして、楓の父は静流に端的に尋ねる。


「…………どうやら勘違いしていたのかもしれん。一つだけ確認させてくれ。君は、義憤、あるいは脅しのために来たのではないのか? そして、口調も俺で構わんよ、形式よりも、意図が知れればいい」


 その楓の父の表情に、静流は伝わったらしき安堵感と共に、答えた。 


「ありがとうございます。お話はこれからだと思いますが、そうではないことを先にお伝えしたくて。まず口にしました…………その、勿論、聞きたいことはありますが」


 すると、楓の父が難しい顔をして。そして、置いていってしまった自覚のある楓の声が割り込んだ。



 ◇◆



「ちょっと待って……二人共、さっきから何の話をしているの!? どういうこと?」


 私は、静流と父の間で始まった会話に、思わず割り込んでしまっていた。

 話す内容については、以前ここの書斎で見た内容、あれが関係しているのだろうかと思っていたが、出てくる言葉に混乱ばかりが先に立つ。


「……だよな。悪い、本当は先に話すつもりだったんだ。その上で、繋いでもらおうかと思っていた」


 静流が申し訳無さそうな声でそう言って、父がため息を吐きながら問うた。


「楓はどこまで?」


「五年前のお話くらいです。後は、俺自身のことはほぼ全て」


「そうか……」


 父はそれだけ言うと、黙り込む。そして、代わりに静流が口を開いた。


「さっきの白いバン、あったろ? あれは多分俺のせいなんだ……過去の事故に関連した秦野グループのスキャンダルを探して交渉を狙った人達によるもの、というか多分脅しとも言えるのかな」


「ごめん静流、あまり意味がわからないわ」


 私がそう言うと、静流がまぁそうだよなと言ってどこから話すかと迷っている。そこに、父が口を開いた。


「まず、君に一つだけ。五年前の一件は不幸な事故だった。会社として、法定労働を超えていたという形跡もなかったし、また、君の父の過失でもない。そう内部でも、第三者機関における調査でもそうなっている。そこにくだらない陰謀論もなければ、会社や私の恣意もない。それだけは、断言しておく。金銭的な支援については、規定の範囲内だ。少々まとめて片付けるという意味があったことは否定しないがね」


 父の説明は、私にではなく、静流に対してだった。

 静流がそれに反応して、何故か深々と頭を下げて、そして私に向けて話し始める。


「俺の父親については、楓に話をしたよな」


「ええ」


 忘れるはずがない。そう思って私は頷く。


「でも、あの時はまだ話せてないことがあった。俺の父親が事故に遭うときに所属していたのは秦野グループの主幹である、建設会社。つまり楓の父さんの会社だった」


「……そうなのね。でもそれがどう関係するの?」


 静流の父が私の父の会社の社員だったとして、でも、それがどう関係してくるのかがまだわからずに、私はそう尋ねると、静流は答えてくれた。


「そうだよな。少しだけ込み入った話になる。まずは、父親の葬儀のとき、父の同僚という人間が訪ねてきたんだ。そして、色々と俺に話をした。例えば、父親が優秀だったということや、急激な改革によって、労務基準から逸脱したり、安全管理を怠った結果の事故だったんだ、ってな」


「……え?」


 私は声を上げて、静流と父を見た。静流が私に向けて首を横に振って続ける。


「最初はさ、ふうん、って思っていたんだ……父親は正直、くそみたいな人間だった。でも先生の下に引き取られて、少し時間が経ってさ。落ち着くと不思議と、子どもの頃の幸せだった時間も蘇ってきて」


「……うん」


「去年のことだったかな。また、その元同僚って人が訪ねてきたんだ」


「え?」


「その人は親切に見えた。それでさ、俺が昔に比べて父親のことに関心をもっていると判断したのか、更に色んなことを話してくれた」


 今思えば不思議なくらい熱心だった、と静流は静かに話した。


「君には会社を告発する権利がある。はした金で別の市に追いやっている会社はずるい。そして、君は父の汚名を晴らして幸せになるべきだ。そう言われたよ」


「あ……」


「情けないことに、母親の手紙の件と、父親の死があった俺には、それは少しだけ刺さった。勿論さ、勉強を頑張ってたのも、奨学金でいける学校を探していたのも本当だ。でも、敢えてその中から雨音学院を選んだのは、そう言う事情もあった。知りたかったんだ…………だから、俺はこの街に戻ってきた。髪も染めて、身なりも整えて、名字が変わった状態で。そして、そこで偶然、楓、お前に再会した」


 静流が言い終わると、静かな書斎に、空調の音だけが聞こえた。

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