ある日はハチミツ、ある日はタマネギ
サイド
#1 人体に腎臓っていくつあるか知ってます?
「先輩、先輩。人体に腎臓っていくつあるか知ってます?」
「は?」
カレンダーの暦は七月中旬に差し掛かり、柱時計が午後三時を指す図書室にて。
期末テストが目前に迫り、参考書と睨めっこをしていた俺、こと市倉史也(いちくら ふみや)へ一年後輩の新谷小絵(しんたに さえ)が声をかけてくる。
小柄な体格とさっぱりとしたショートカット姿で、ぱっと見は人懐っこい印象なだけに、物騒な問いかけが際立ってしまう。
「どうしたんだ、藪から棒に」
首を傾げると、俺の隣に座っていた同級生の片瀬水帆(かたせ みずほ)も同じような仕草を見せた。
彼女は手に持ったシャープペンを止め、俺の正面に座っている小絵へ問う。
「……どうしたの? 急に」
凪いだ湖面のような静かな声に、小絵はちょっと眉根をひそめて答えた。
「いえ、そろそろ勉強に飽きて来たので、何か刺激が欲しいなあと」
「飽きたて。理由が雑だな……」
思わず俺は、ガクリと肩を落としてしまう。
午後の授業が終わり、図書室に集まってからまだ十五分も経ってない。
その上――。
「みんなで集まりましょう! って言ったのは小絵じゃないか」
「それはそうですけど最後の一人も来てませんし、調子が出ないんです」
「そう言われてもな……」
返答しながら、ふと肩口に視線を感じて振り返ると、片瀬が不思議そうな表情で俺を見ていた。
それって関係あるの? ってことなんだろうけど、俺に聞かれても困る。
やがて俺は、参ったとため息を一つ吐いた。
「……分かったよ。で、何だっけ、最初に聞いてたの」
「人体に腎臓っていくつあるか? ですね」
改めて聞いても奇妙な問いだが、答えないと話が進みそうにない。
「えーと……に?」
俺が最後の言葉を口にした瞬間、小絵のスマートフォンがシャッター音を鳴らす。
目を丸くする俺の前で小絵は、「うぬぬ」と渋い顔で唸った。
「うーん、笑顔が硬いですねぇ……。せっかくタイミングを取ったのに」
「合図が物騒すぎるだろ! 普通に一足す一は? でよかったと思うぞ!?」
思わず立ち上がってつっこんでしまうが、試験勉強のために集まっていた生徒達から、「やかましい!」と睨まれ、俺はすごすごと腰を下ろす。
すると隣に座っていた片瀬が、「くすっ」と笑い、目を細めた。
「……怒られたー」
「今のは小絵の責任だと思うんだが」
俺がそうぼやくと、小絵は両手の人差し指と親指でカメラのファインダーを形作り、片瀬へ向ける。
「責任を問われるなら、水帆さんほどの美人を撮っておけばよかったですねー」
「……え」
予想外の発言だったらしく、片瀬は目を瞬かせて顔を逸らし、つい俺も彼女の横顔を眺めてしまう。
「……?」
片瀬は不思議そうな表情を浮かべ、首の半ばあたりまで伸びた髪先が揺れる。
目元は細いが顔のラインは柔らかな丸みを帯びていて、俺は素直に綺麗だと思ってしまう。
そして見つめ合うような形になっていることに気付いた片瀬の頬が赤く染まり、慌てて俺達は視線を逸らした。
頬杖を突きながらこちらを見ていた小絵が、スマートフォンを振りながら苦笑する。
「今のを動画のネタにするのは無粋ですからしませんけど、お二人ともそういうのは時と場所を選んでくださいね?」
「いや、俺と片瀬はそういうんじゃ……」
「じゃあどういうのなんですか?」
小絵につっこまれ、俺は返答につまる。
片瀬と出会ったのは今年の春……つまり三か月ほど前でしかないからだ。
ただ少しづつ話していく中、子供の頃一緒に遊んだことがあると分かっただけで、同級生なのか幼馴染なのか距離感はあやふやなまま。
「……ごめん、小絵ちゃん。もう少し時間が欲しい」
そう片瀬が小さな声で言うと小絵も、「……分かりました」と答えるほかなかったらしく、それ以上の追及はない。
やがて小絵が頭をかきながら、口を開く。
「すいません、問い詰めるつもりはなかったんです。ただ単に動画のネタが欲しかっただけで」
「さっきも言ってたけど、大変なのか? 動画投稿」
「そうですね。いつもアンテナ立ててはいるんですが、なかなか」
俺と小絵の会話に首を傾げていた片瀬だったが、やがて思い出したことがあったらしく一つ、頷いた。
「そっか、小絵ちゃんってチャンネル持ってるんだっけ。確か、ある日はハチミツ、ある日はタマネギ――」
「わーっ、わーっ! ストップです、水帆さん!」
チャンネル名を口にしかけ……というかほとんど口にした片瀬の前で、小絵がぶんぶんと手を振る。
同時に勉強していた生徒達から、ギロリと殺気立った視線を向けられ、俺達は身を縮こませた。
そして片瀬が不思議そうな表情で問う。
「……なんで、言っちゃだめ?」
「ええとですね、そこには微妙な感情の機微がありまして……」
「でも、見られるためのものだよね? チャンネルって」
「うう……。それはそうなんですが……」
「あ、それと意味。ある日はハチミツ、ある日はタマネギって?」
「禍福はあざなえる縄の如しといいますか、昨日過ぎ、明日もまだなら、今日だけさといいますか……」
攻守が入れ替わったのか、片瀬の質問は止まらない。
悪意がないだけに小絵も困り切っているようで、見るからにオロオロしている。
さすがに助け舟が必要か……? と思った時、小絵の後ろから男の低い声が届いた。
「その辺にしてやれ、片瀬。身近だからこそ、知られたくない秘密ってあるだろ? それと一緒だ」
その言葉に小絵は、涙目になりながら身体全体で振り返った。
「あ、セージさん! もうワンテンポ早く来て下さいよぅ! 先輩も助けてくれませんでしたし!」
「いや、俺は言おうとしたぞ? 一番になりたいっていう自己顕示欲はあるけど、それがギラギラ全開になっているところを見られたくないだけだって」
「間違いではないんですが、もうちょっと言葉を選んでくれませんかねぇ……?」
そんな俺達のやり取りを笑って眺めながら征士……牧村征士(まきむら せいじ)は小絵の隣の椅子に座る。
文字通りの筋骨隆々、今年のテニスのインターハイで優勝を狙う実力者、筋トレと練習を禁じられたら死ぬ男と言えばそれ以上の説明は不要だろう。
これ以上チャンネルに関して追及しても何も出て来ないと判断したのか、片瀬は口を閉ざし、代わりに俺が問う。
「テニス部はもういいのか? 征士」
「ああ、試験で赤点取ったら試合に出さねえぞ! って檄が飛んだだけだからな」
「ふーん? 全国狙える選手なんだから赤点くらい許せばいいのに」
「あくまで学生の本文は学業って話だな。とはいえ、思い出作りも大事だと思うけど。な? 小絵」
征士が悪戯っぽく言うと、小絵は腕を組んでむくれて見せる。
「感情と記憶を形にして残しておきたいだけですー。その時にしか出せない輝きってあると思うのでー」
やや、やけっぱちな口調ではあったが何か刺さるものがあったらしく、片瀬が頷いて微笑む。
「……動画のことはよく分からないけど、思うよ、私も。あるよね、その瞬間だけの価値」
「そうです! 全然再生数が伸びなくても、モニターの前で何度泣いても、いつか実を結ぶ日が来るんです!」
小絵は拳をにぎり、感涙にむせぶが、
「万フォロワーがついて、メンバーが増えれば将来の不労所得に……!」
とか裏で言ってる間は厳しいんじゃないだろうか? と俺は思う。
ま、とはいえ。
「めげないのは大したもんだよなあ。協力できるならしたいところだけど」
「じゃあ、もう一枚写真を撮ってもいいですか? せっかく夏が始まるんですし!」
俺は隣の片瀬に視線で問うと、彼女は頷き、征士も同じようだった。
それを見届けた小絵が、がたんっ! と椅子から立ち上がって、スマートフォンを自撮り棒にセットする。
俺の回りに片瀬、小絵、征士が集まって場がちょっと暑苦しくなり、小絵が再び口を開いた。
「では改めて。……人体で売ってもいい腎臓の数は~?」
「だから腎臓から離れろって! っていうか、二個売ったら死ぬぞ!?」
思わずつっこんでしまった俺は図書室の生徒達の突き差すような視線を感じ、慌てて口に手を当てるが、時すでに遅しだ。
四人まとめて奥襟を掴まれ、今度こそ図書室から強制退去させられてしまう。
尻もちをついた俺は夏の日差しで熱くなった廊下の熱を感じながら、「何やってんだか」と頭を掻くしかない。
けど、
「……また、怒られたー」
「これは出禁ですかねー。先輩が大きな声出すから」
「俺なんて、今来たばっかなんだが。とんだもらい事故だ」
どういうわけか他の三人は楽しそうで、つい本音が口からこぼれ落ちてしまう。
「……ま、いっか。夏は人を自由にするっていうし」
「おー、いいね。自由かー」
「時間はたっぷりありますし、好きなことをやり倒すのもいいですよねー!」
「それが、その時だけの価値ってやつかもしれねーしな?」
俺達はそんなことを言い合いながら立ち上がり、手にある参考書へ視線を落とす。
「勉強したくても場所がないな。残念だ」
「だねー」
「不本意ですが」
「不幸な事故だ」
そうして笑い合った後、ぽいっと高らかに参考書を放り投げる。
きっと今、俺達にとって大切なのは将来を心配することじゃなく、ある日はハチミツ、ある日はタマネギの精神だから。
「よし、じゃあコンビニでコーヒーでも飲みながら夏休みの相談をするか!」
そして最後に俺がそう宣言し、四人連れ立って玄関へ向かい、走り出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます