『折れたヒールとシンデレラ』

志乃原七海

第1話あれ?雨、やんだ…?

「折れたヒールのシンデレラ、ね…!本当に情けない


乾いた笑いが、冷たい雨音に虚しくかき消される。最悪。人生でこれ以上ないってくらい、最悪の一日。


ついさっき、3年付き合った彼氏に「好きな子がいるんだ」と振られた。呆然と店を出て、みっともなく泣きながら歩いていたら、追い打ちをかけるように空から大粒の雨。そして極めつけは、これ。


カツン、と変な音がしたかと思ったら、ぐらりと世界が傾いた。お気に入りのパンプスのヒールが、根元から無残にポッキリと。


「いったぁ…!」


受け身も取れず、捻った足首に激痛が走る。


彼に振られるわ、雨に降られるわ、ヒールも折れるわ!もう、心まで一緒に折れちゃいそうだよ…。だめ!もう、立てない、歩けない!


びしょ濡れのアスファルトに、とうとう座り込んでしまった。行き交う人々が怪訝な顔で私を見ていくけど、もうどうでもよかった。滲む視界の先で、街のネオンがぼやけて揺れている。


その時だった。


ふっ、と。降り注いでいた雨が、不意に止んだ。

あれ?雨、やんだ…?


いや、違う。ザーザーという音はまだ聞こえている。恐る恐る顔を上げると、視界いっぱいに広がっていたのは、紺色の傘の裏側だった。


「大丈夫?」


え?


さわやかな、優しい声?


ゆっくりと傘の縁に沿って視線を上げていく。そこに立っていたのは、私の分の雨まで遮るように、大きな傘を少し傾けて差し出してくれている男性だった。


えー?


逆光になった彼の顔はよく見えない。でも、その声には聞き覚えがあるような、ないような…。


「立てますか?足、怪我したんじゃ…」


心配そうに屈みこんでくれた彼の顔が、街灯の光に照らされて、はっきりと見えた瞬間。


「えーーーーっ!?」


私は、声にならない悲鳴を上げた。

(ま、まさか…!嘘でしょ!?)


「え?俺、そんなに驚くような顔してるかな?」


彼は困ったように笑う。その笑顔に、心臓が跳ね上がった。間違いない。15年前、私に水色のハンカチを貸してくれた、初恋の男の子。


「もしかして…優(まさる)…くん?」


震える声で尋ねると、彼は今度こそ本当に驚いたように、目を丸くした。


「え?どうして俺の名前…」


彼は私の顔をじっと見つめ、何かを思い出すように眉をひそめる。


「君は…もしかして、公園で泣いてた…」

「お団子ヘアの、そばかすの子!?」


私と彼の声が、雨音の中で綺麗に重なった。


「うわ、本当だ!すごい偶然だな!」


彼は心の底から嬉しそうに笑うと、濡れるのも構わず私の前にしゃがみこんだ。


「こんなところで再会なんて、ドラマみたいだな。でも、シンデレラ。ガラスの靴の代わりにヒールが折れちゃったみたいだけど、王子様が迎えに来たからもう大丈夫」


そう言って、彼は悪戯っぽくウィンクする。


最悪で、惨めで、情けなかった一日。

でも、この冷たい雨が、この折れたヒールが、10年越しの奇跡を運んできてくれたのかもしれない。


差し出された彼の手を、私は今度こそ、しっかりと握った。雨上がりの空にかかる虹を、すぐそこに見つけたような気がした。

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