第3部・第4章:Insidia
僕は、静かに、そして周到に罠を仕掛けた。父さんの隠れていた居場所を正確に特定し、父さんの日々の単調な行動パターンを、影のように観察し、調べ上げた後、僕は復讐のための、精緻で冷酷な計画を立てた。それは、父さんが決して逃れることのできない、蜘蛛の巣のような罠だった。父さんがかつて、僕という無力な子供の体に仕掛けた、あの見えない、恐ろしい罠のように。父さんは僕を苦しめることで、彼の心の病的な空虚感を満たそうとした。僕は父さんを苦しめることで、僕自身の内側に広がる、復讐の炎が燃え尽きた後のような、巨大な空虚感を満たそうとしているのだろうか。いや、これは復讐だ。これは、僕が受けた筆舌に尽くしがたい苦痛に対する、正当な、そして避けられない裁きだ。僕が受けた苦痛に対する、当然の報いだ。
父さんは、刑務所を出所後、地方の、名も知らぬ小さな町で、影のように一人暮らしをしていた。支援団体の世話になりながら、世間から隠れるように、細々と生活しているらしい。過去の栄光も、人間関係も全て失い、ひっそりと、孤独に暮らしている父さんの姿を想像するだけで、僕の心は、一瞬だけ、歪んだ満足感で満たされた。父さんは、孤独だ。僕が、あの白い病室で、そして施設で感じていたような、誰にも理解されない、底の見えない深い孤独を、今、味わっているのだろうか。そうだとしても、まだ足りない。父さんは、もっと深く、もっと激しい孤独と絶望を味わうべきだ。
父さんの生活は、驚くほど、そして僕にとっては期待通りに、単調だった。朝早く起きて、支援団体の活動に、義務のように参加し、昼間は簡単な作業をして、夕方には、まるで世界から隠れるようにアパートに駆け戻る。人との交流は極端に少なく、町の住民たちとも、意識的に距離を置いているらしい。父さんは、過去の罪や、僕という存在を隠し、誰とも深く関わろうとしない。それは、父さんの最も脆い弱さだ。再び傷つくことを恐れている。あるいは、自分の過去の罪が、いつか露見することを、病的に恐れている。どちらにしても、その恐れこそが、僕の仕掛けた罠を成功させるための、最も重要な鍵となる。
僕は、父さんが支援団体で、表面的にでも関わっている人間や、町の住民たちには、物理的な危害を加えないことにした。それは、父さんの「本当に大切なもの」ではないからだ。父さんにとって、心の底で本当に大切にしているものは、おそらく、僕の母さんに関する、美化された記憶、そして、かつて築き上げていた社会的な評判、そして…僕という存在そのものだろう。父さんは、僕という存在を利用し、傷つけた。しかし、同時に、僕の存在に、歪んだ、病的な形ではあれ、依存していた。父さんにとって、僕は、彼が「立派な父親」であることの、病的な証明であり、彼の心の奥底にある孤独を埋めるための、唯一の存在だったのかもしれない。父さんは、僕という存在を失ったことを、心のどこかで、少なからず後悔しているはずだ。刑務所での、孤独な日々、父さんはきっと、僕のことを、歪んだ感傷と共に考えていた。
僕の復讐は、父さんの心に、直接的かつ深く突き刺さるものでなければならない。父さんが、最も苦しみ、最も絶望する方法で。
僕はまず、父さんがかつて勤務していた会社に、匿名で、巧妙に接触した。父さんが在職中に、不正行為や問題行動を起こしていた可能性を示唆する情報を、あたかも偶然のように、しかし緻密に計算してリークしたのだ。父さんは、営業職として一定の成績を上げていたらしいが、その光の下に、何か隠していた、暗い過去があるのではないか、と、曖昧に、しかし明確に匂わせるような情報操作を行った。父さんが、僕の病気を長引かせるために、僕の幼い体に細工をしていたように、僕は父さんの、社会的な過去の経歴に、目に見えない細工をする。それは、父さんが長年かけて、脆い砂の上に築き上げてきた、社会的な信頼という名の城を、内側から崩すための、最初の、静かな仕掛けだった。
次に、僕は、父さんが暮らす、閉鎖的な小さな町の噂話を利用した。匿名で、父さんの過去について、根拠のない、しかし真実味を帯びた尾ひれをつけて流したのだ。「あの新しい人、何か大きな訳ありらしいよ」「前に住んでいたところでも、何か隠している、まずいトラブルを起こしたらしい」といった、具体的ではないけれど、人々の心に疑念と不安を抱かせるような噂を、町の住民の間に、まるでウイルスのように静かに広めた。人間は、得体の知れないもの、隠されているものを恐れる。父さんが過去を隠している、何か後ろめたいことがある、と思わせることで、父さんを町のコミュニティから、孤立させ、疎外することができる。父さんが誰とも深く関わろうとしない、彼の病的な性質は、この噂をさらに信憑性のあるものにした。父さんは、再び、僕がかつて味わったような、誰にも理解されない、深い孤独の中に閉じ込められることになるだろう。それは、僕が望む父さんの姿だった。
そして、最も重要で、最も残酷な罠。それは、僕自身の存在を利用することだ。父さんは、僕を傷つけたことで、僕という存在を、物理的には失った。しかし、心の最も奥底では、僕の存在を、病的な形で求め、執着しているはずだ。かつて、僕の病気という「役割」に、溺れるようにしがみついたように、父さんは、僕という存在そのものに、歪んだ形で執着している。僕は、その父さんの、病的な執着心を利用する。
僕は、父さんが利用している支援団体に、匿名の相談者として、慎重に、そして緻密に連絡を取った。かつて、僕自身が幼い頃、筆舌に尽くしがたい病気で苦しんでいたこと。その恐ろしい病気の原因が、僕の最も信頼していた家族の中にあったこと。そして、自分が今、その過去の出来事によって、回復不能なほど深い心の傷を負い、苦しんでいること。しかし、その家族の名前や、具体的な状況は一切伏せ、ただ、過去のトラウマによって心に大きな傷を負った、一人の人間として、彼らに接触した。彼らは、僕の話を、僕の心の痛みを、親身になって聞いてくれた。彼らは、本当に、苦しんでいる人間を助けたいと、心から願っている、純粋な善意を持つ人々だった。その純粋な善意を、父さんへの復讐のために利用するのは、心のどこかで、ほんの少しだけ気が引けたが、これも父さんへの復讐のためだ。父さんの、唯一の安息の場所かもしれない支援団体で、父さんの善意を、いや、父さんが利用しようとしているかもしれない善意を利用しようとしている人々の、まさにすぐそばで、僕は父さんを、精神的に追い詰める。
僕は、支援団体の活動に、少しずつ、慎重に関わるようになった。匿名での相談から、やがて、ボランティアとして、彼らの活動を手伝うようになったのだ。父さんと、思いがけず鉢合わせる可能性は常にあったが、それは、僕の緻密な計算のうちだ。父さんと、復讐のために直接対峙する前に、父さんの日々の行動や様子を、最も近い場所で、誰にも気づかれずに観察することができる。そして、父さんは、僕が彼らの支援を受けている人間の中に、あるいはボランティアとして紛れているとは、夢にも思わないだろう。それは、父さんにとって、最も予想外で、最も恐ろしい展開となるはずだ。父さんは、僕の顔を、長い年月を経て、変わった外見を見ても、すぐに僕だと気づかないかもしれない。しかし、父さんの心の最も奥底、彼が僕という存在に病的に執着している部分には、僕という存在は深く、そして永遠に刻み込まれているはずだ。そして、その記憶が、父さんを混乱させ、恐れさせるだろう。
罠は、静かに、しかし着実に狭まっていた。父さんの社会的な信頼、父さんの居場所での人間関係、そして、父さんの心の最も脆く、隠された部分。それら全てが、僕の復讐の、逃れることのできない標的だ。父さんは、自分がかつて僕という無力な子供にしたように、少しずつ、しかし確実に、精神的に追い詰められていくことになるだろう。僕が感じた、あの白い病室での、出口のない閉塞感と、逃れることのできない絶望感を、今度は父さんにも、全身で味わわせるのだ。父さんの苦痛に歪む顔を、僕はすぐそばで、冷酷に見届ける。そして、その時、僕の内側で燃え盛る復讐の炎は、最高潮に達するだろう。父さんには、もう、どこにも逃げ場はない。僕が、この長い年月をかけて仕掛けた罠は、父さんを、世界の果てまで追い詰めていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます