第8話 特別な準備
待ちに待ったクロード様とのお茶会当日。
いつもの書斎の肘掛け椅子ではなく、自室のドレッサーチェアに腰掛けている。
周囲では、侍女達が迷いなく、きびきびと動き回っていた。
彼女達の邪魔にならぬよう、極力動かず目の前の大きな鏡をじっと見つめる。
丁寧に髪を梳かれる感触に身を預けながら、自然と思い返すのは、今日までの準備の日々。
クロード様から都合の良い日時の連絡が届いてから、私達は大忙しだった。
いえ、正確には侍女達が奔走してくれたのだ。
最初に取り掛かったのは、ティーセット選び。
クロード様にお出しするならばと、侍女達は目を輝かせながら、数ある王室所有の名品の中から特に繊細で上品な意匠をもつ一揃いを選び出してくれた。
紅茶の銘柄選びには、私も参加した。
春らしい、香り高く、重すぎないものをと、皆であれこれ試飲を重ねた末に選んだのは、野苺の甘酸っぱい瑞々しさと華やかな香りをもつ茶葉。
爽やかで優しい余韻が特徴である。
……クロード様のお好みに合うだろうか。
お茶菓子には、季節の果実を用いた焼き菓子と、軽やかなメレンゲ菓子を。
あまりお腹が膨れては後々のお仕事に障りがあるかもしれないと、職人には小ぶりなサイズに仕立ててもらった。
そして、ーー数日前から今も、彼女達が全力を傾けているのが、私自身の支度である。
お肌を滑らかに整えるための特別な湯浴みに、髪に艶を与える秘伝の香油。
身体の血行促進に効果抜群のマッサージ、ツボ押し、体操。
「姫様を最高に美しく」
冗談めかして笑っていたけど、目は真剣そのものだった。
彼女達の本気の熱量を前に、私はただただ身を任せた。
体操だけは頑張ったおかけで、以前よりも体が柔らかくなり、冷え知らずの体になったのは嬉しい限りである。
「さあ、姫様。いかがでしょうか」
侍女の声に、私は改めて鏡を見つめた。
上品に結われたまとめ髪は天使の輪のように艶やかな光を宿している。
そっと添えられた繊細な細工の髪飾りが、普段より少しだけ大人びた印象を与えていた。
纏うドレスは、春の花を思わせる淡いローズピンクのアフタヌーンドレス。
足元には、淡い茶色の低いヒール。
磨き上げられた肌はきめ細かく、透明感に溢れ、指でそっと触れれば絹のような滑らかさ。
思わず頬をもちもちと押して、うふふ、と小さく笑ってしまう。
鏡の中に映るのはーー侍女達の尽力の結晶。
今日という一日に、相応しい私。
自然と小さな笑みがこぼれた。
侍女達も、誇らしげに私を見つめている。
「…大丈夫、きっと大丈夫」
心の中でそっと呟き、膝の上でぎゅっと手を握りしめる。
ちらりと視線を向ければ、ソファの脇のテーブルに恋愛指南書が置かれている。
「これさえあれば間違いなし」と心強く思ってはいるものの、実際には読む度に不安が募るばかりである。
今朝も支度の合間を縫って頁を捲った。
ーーそこで目に留まった一文。
『相手の仕草や表情には、言葉以上の想いが隠されていることが多い。目の動き、手の動き、ちょっとした溜息等々を見逃さず、心の声に耳を傾けるべし』
ーーこれを読んだ途端、顔が引き攣る。
私立探偵さながらの洞察力を要求する記述に、思わず頭を抱える。
「…私が、」
あの怜悧冷徹とも言われるクロード様の仕草や表情から、その心の声をーー
…無理では。
「姫様、お時間でございます」
侍女の明るい声に、ハッとして顔を上げた。
鏡の中には、少し緊張した表情の私。
けれど、その奥には、確かな決意が宿っている。
皆が私を支えてくれた。
だから、私も精一杯応えたい。
鏡の映る自分にそっと微笑みかけ、小さく頷き、静かに立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます