第15話 未送信のまま

夜が明けきらないグレーの空の下、居住ブロックの廊下は静まり返っていた。


支倉タクミは、共有端末の前にひとり座っていた。


指先はキーボードにかけられているのに、入力は一文字も進まない。


画面には、まだ「送信」されていないメッセージが浮かんでいた。



To:AIシステム観察ユニット


柊ユズハの心理変動に関する詳細記録。

特に椎名レイとの接触時における言動に、感情的自己抑制傾向が見られる。

………また、観察者としての立場を一時的に逸脱した可能性がある。


(以下、個人ログ)


自分が彼女に抱いているものが、“恋”かどうか、まだ定義できない。

だが、少なくとも今、彼女の心の内をもっと知りたいと思ってしまっている。


……それは、研究者としての関心ではないかもしれない。



タクミは、そこで入力を止めた。

そして、「送信」ボタンの上にカーソルを合わせる。


が、指は動かない。


「……まだ、確定じゃない」


誰に聞かせるでもなく、呟いた。


恋愛感情は、ここでは死に直結する。


AIは“感情の芽生え”を検出し、“恋”と判断すれば容赦なく裁く。

だが──


(じゃあ、自分のこれは?)


観察か、感情か。

探求か、共感か。


支倉タクミの中で、それらの境界が曖昧になっていた。


──その時、部屋の外から足音が聞こえた。


「……いた。こんな朝から何してんの」


扉の隙間から現れたのは、東條ミコトだった。


「ああ……ちょっと、整理してただけだ」


「ふーん」

ミコトはひとつあくびをしながら近づいてきた。


「タクミくんって、なんか危ういよね」


「危うい?」


「そう。いつも冷静ぶってるけど、たまに視線が“人間”じゃない時あるし。

で、昨日のユズハ見てたとき……ちょっと、男だった」


「……」


「まぁ、応援するけど?」

ミコトはそう言って、にやりと笑う。


「でも気をつけて。惚れたら、死ぬってよ?」


からかうように投げたその言葉が、今朝の空気を一瞬だけ震わせた。


──タクミは、返事をしなかった。


画面の「送信」ボタンだけが、虚しく光り続けていた。


だが、それが押されることはなかった。


メッセージは、未送信のまま。

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