第38話 『心なき革命──ルクシィアの遺骸と揺らぐ忠誠』

 ネメシス本部・第七議決ホール。




 光の届かぬ半地下の円形会議室は、重苦しい沈黙に包まれていた。壁一面に張り巡らされた暗色の金属パネルには、かすかなノイズのように警告灯が瞬いている。




 中心に設置された円卓を囲むように、怪人研究部門の幹部たちが並ぶ。その最奥には、ゼクスの姿。




「……議題は、L-Disaster計画に関わった三体の怪人の自我覚醒と暴走。責任の所在についてだ」




 静かながらも凍てつくようなゼクスの声に、誰も口を開けない。




 そのとき、ゆったりと足音が響いた。




 ドクトル・メディアスが現れた。




 白衣の裾を引きずりながら、無表情で入室した彼は、その場にいる誰とも目を合わせず、悠然と指定席に腰を下ろす。




「遅れてすまんな、少々実験の片付けが長引いてしまってね」




 皮肉めいたその一言に、誰も笑わなかった。




 ゼクスが椅子に背を預け、ゆっくりと彼を見据える。




「L-Disaster計画の主導者として、何か釈明はあるか、ドクトル」




 沈黙。




「三体すべてが命令を無視し、人格異常を示し、最終的に制御不能。結果、ネメシス本部への反逆未遂、及び組織内への衝撃と不安を招いた。……これが“成果”か?」




 メディアスは眉一つ動かさず、ふと手元の端末を撫でながら言った。




「“暴走”とは、常に進化の兆候だと、私は考えております。自我を持つということは、知性の証明。美しき逸脱なのです」




「それは暴走の肯定だ」




 参席していた幹部たちが騒然とし始める。




「──制御できないならそれは兵器ではない、ただの災厄だ」


「そもそも人格形成なんてリスクだらけの構造をなぜ採用した!」


「ドクトルは昔から、倫理規定のグレーを踏み越えていた……!」




 責任を問う声が一斉にメディアスに浴びせられる。




 ゼクスが右手をすっと上げると、場が静まった。




「ドクトル・メディアス。貴殿には“技術凍結”を命じる」




 その言葉に、場の空気が一変した。




「……技術凍結?」




「今後一切の研究設備の使用を禁じる。外部実験体との接触も、過去の論文データの閲覧・更新も禁止。全ての研究活動は凍結され、監視対象とされる。理由は明白だ。貴殿の知識と技術は、今やネメシスにとって“潜在的脅威”と見なされている」




 メディアスは端末を閉じ、立ち上がると、ゆっくりと視線をゼクスに向けた。




「つまり……私は研究者として“死んだ”ということですな」




「そう受け止めるなら、好きに解釈すればいい」




 ゼクスの声に、少しの情もなかった。




 だがその目は、どこか硬く、何かを押し殺すような色を湛えていた。




「自由を奪われた研究者は、ただの抜け殻……。そうなる前に、私は幾つかの“種”を蒔いておりますので」




 それだけ言うと、メディアスはゆっくりと頭を下げ、会議室を後にした。




 その背を見送る誰の目にも、哀れみも怒りもなかった。ただ、静けさと警戒のみが残された。




 ゼクスは深く椅子にもたれ、手元の端末を見つめた。




「……“種”か」




 誰にも聞こえないように呟いた彼の指先が、かすかに震えていた。




 その震えに気づいたのは、補佐官ヴェリアだけだった。







「よもや……この私が、身を屈する日が来ようとはな……」




 深夜。世界が沈黙し、冷たい闇がネメシス本部を覆っていた。誰もが眠りにつくその時間帯に、ただ一人の影が静かに歩を進める。




 戦術研究区の奥深く──光の届かぬ隠し通路に、硬質な足音が微かに響いていた。




 ドクトル・メディアス。


 かつて“怪人創造の神”とまで呼ばれたネメシスの最高頭脳が、今は亡命という逃避行の只中にいた。




 その手には、重々しい金属ケース。中には、L-Disaster計画の完全データが封印されている。誰の干渉も許さぬよう幾重にもセキュリティが施された、文字通り“最後の切り札”。




「……これが、私の全てだ。私の罪でもあり、誇りでもある」




 自嘲めいた囁きが、冷たい壁に吸い込まれる。




 AI制御の扉が、彼の接近に反応して無言で開く。その機械的な光は、まるで「ようこそ、敗者」とでも言いたげな無感情を湛えていた。




 彼の胸の奥では、感情が静かに波打っていた。焦燥、怒り、後悔、そして……恐怖。




 ネファリウム、ベルゼヴュート、ルクシィア──自ら生み出した存在たちが次々と逸脱し、破滅へと突き進んでいく様を、ただ“記録者”として見守るしかなかった。




 かつて、自分が神だと信じて疑わなかった。その掌の上で踊るはずだった怪人たちが、自我を得て、舞台から降りてしまった。しかも、その末路はあまりに皮肉で、哀しかった。




「この悪魔を……受け入れられるのは、同じ業火を背負う者だけだ」




 その言葉は、やがて一つの名前へと結実する。




 九頭ドクター──セイガンに属するもう一人の“異端”。




 ドクトルは過去に数度、その名を耳にしていた。正式な面識こそないが、彼が行ったという非倫理的改造、肉体の限界を超える実験の数々──その狂気の在り様に、かすかな共感と、ある種の嫉妬を抱いたこともある。




 敗北者である自分が求めるのは、救済ではない。共犯者。




 共に“悪”を描ける新たな舞台──それがセイガンであるならば、迷う理由はなかった。




「おそらく、拒絶されるだろう……だが、それでも行く。生き延びるためにではない。継続するために、私の創造を」




 研究棟の非常階段を降りると、秋の夜風が白衣をはためかせた。ひととき、その顔に疲労と虚無が漂う。




 だが、その瞳の奥には確かな炎が灯っていた──狂気と執念の、決して消えぬ火。




 ネメシス本部の出口が見える。


 そこを越えれば、裏切り者となる。


 いや、もうとっくに裏切っていたのかもしれない。自我を得た怪人たちを否定せず、抑えず、傍観したあの日から。




「私は逃げるのではない……選ぶのだ。次の“悪魔の舞台”を」




 彼は振り返らなかった。


 誰一人として彼を止めず、誰一人として見送らなかった。




 ただひとつ──


 冷たく光る記録媒体が、彼の歩みとともに静かに揺れていた。




 新たな悪夢の種を携えて、最狂の科学者は闇に消えた。







 薄曇りの空から、冷たい霧雨が静かに降り注いでいた。




 ここは、ネメシス本部・医療隔離区画。


 ルクシィア・メイルシュトロムの遺体が回収されたという報せは、雷のように静寂を破った。




 白く曇った廊下の片隅。


 ラミアは、雨に濡れた銀髪を無造作に払いながら、目の前の冷凍カプセルを見つめていた。




「……本当に、彼女なのか」




 かすれた声で問いかけるラミアの隣には、冷静な様子で端末を操作するレイヴンの姿があった。




「ああ。DNAは完全に一致している。形状の異常についても……吸血行為によるものと断定されている」




「吸血……?」




 ラミアの瞳が大きく揺れた。




「まるで、体内の液体も、組織も……すべて吸い尽くされたような状態だった」




 彼女の喉が小さく鳴った。


 この世の終わりのような静けさが、ラミアの内側に響く。




 ルクシィアは、死んだ──。


 誰かに“喰われる”ようにして。




「……彼女が“なぜ消えた”か、あんたは知ってるのか」




 ラミアの声には、怒気と戸惑いが交じっていた。




 レイヴンは目を伏せ、小さく息を吐いた。




「正確にはわからん。だが、彼女が残したデータログの一部が復元されている。それによれば、彼女は“誰かに会うために”本部を離れた形跡がある」




「誰に?」




「特定不能だ。通信記録も、行動データも……途中で遮断されている」




 沈黙。


 霧雨の音だけが、冷凍室の中に響いていた。




 ラミアは震える指先で、冷凍カプセルの透明なガラスにそっと手を添えた。


 その向こう側、変わり果てた彼女の姿。


 すべての色を失い、無残に干からびた肉体──だが、ラミアにはそれが、なお美しく思えた。




「私たちは……“生き延びるための怪物”だった。誰もが、そう作られ、そう教えられてきた……でも、彼女は──」




 ラミアの声が震えた。




「彼女は、怪物なんかじゃなかった。……あれは、“誰か”を護ろうとしてた」




 レイヴンは視線を落とし、やや戸惑いながらも口を開いた。




「……ネメシスは、変わりつつある。ゼクスも、総帥の意向に逆らう形で“自由意思”を認めていた。


 君の仲間たち……L-Disaster計画の彼らは、その象徴だったのかもしれない」




「でも、彼女は“否定”された。殺された」




 ラミアの声は、悲しみに濡れ、怒りの色を帯びる。




「だったら……私たち“存在”は、いったいどこに向かえばいいんだ……?」




 レイヴンは答えなかった。


 ただ静かに、ラミアの顔を見つめていた。




 やがてラミアは、カプセルから手を離し、濡れた瞳を閉じる。




 そして──誰にも届かないほど小さな声で、呟いた。




「……イツキ。あなたに、伝えなきゃならない」




 それは、かつて兵器として作られた彼女が、初めて祈りにも似た感情を言葉にした瞬間だった。




 雨は止まなかった。




 


 ネメシス本部・戦略局会議室。


 厚い防音処理が施された空間に、異様な沈黙が広がっていた。




 中央のモニターには、ドクトル・メディアスの顔写真とともに、赤く点滅する警告文が浮かんでいる。




『機密保持対象:L-Disaster計画 指導者』


『状態:所在不明・裏切りの可能性あり』




 ゼクスは椅子にもたれながら、その画面を静かに見つめていた。怒りではない。失望でもない。ただ冷徹な思考だけが、その瞳の奥に光っていた。




「……セイガンに亡命したと?」




 彼の低い声が室内に響く。補佐官ヴェリアは無表情のまま頷いた。




「確定情報ではありません。しかし、幾つかの情報網が“九頭”と名乗るセイガン側の科学者と接触した可能性を示唆しています」




「……九頭。皮肉な名前だ」




 扉が開き、ラミアが無言で入室する。手には報告書を持っていたが、視線は会議室の空気に向けられていた。




「L-Disaster計画の中核が敵に渡れば、どの程度の損害になる?」




「壊滅的です」ヴェリアは即答する。「既に第三世代以降の怪人開発は全面停止中。加えて、旧世代の怪人はセイガン側の新型ヒーローへの対応が限界に達しつつあります」




 ゼクスの唇がわずかに歪んだ。




「つまり、我々が誇った怪人たちは──もはや“時代遅れ”だと」




 席の端にいたブラックエイド副指揮官・クラウスが立ち上がる。




「ここ三ヶ月で五つの拠点が陥落しました。全て、セイガン・ブルーとピンク……レンとサクラによるものです」




 ラミアが顔をしかめる。




「ルクシィアの記録にあった通り、奴らはもう“ヒーロー”じゃない。化け物そのものよ」




「……怪物には、怪物を」




 ゼクスの囁きのような言葉に、会議室が静まり返る。




 全員の視線が彼に注がれた。




「新たな戦力の構築が急務だ。だがドクトルのような“暴走因子”にはもう頼れん。必要なのは……“制御された狂気”だ」




「新型怪人の開発を再開するということか?」ラミアが問う。




 ゼクスは深く頷いた。




「かつて凍結されたある計画がある。L-Disasterとは異なる、もう一つの“極限設計”。今こそ、それを再構成する時だ」




 その言葉に、空気が一変した。




 それは、ネメシスという組織が生き延びるための、最後の一手だった。


 だが、その刃が向く先がセイガンだけとは──誰もまだ、気づいていなかった。


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