#8 修正
(録画開始。画面が少し揺れ、室内の天井が映り込んでいる。やがてカメラが固定され、青白い顔の、20代後半の女性が映る)
「……あ、えーっと、マイク、入ってる、かな。
もし、これを誰かが見てるなら……警察の人か、
あるいは、お父さんか、お母さんかな…。
ごめんなさい。これは、多分、遺言に、なるんだと思います」
(女性は一度、視線を落とし、息を吸う)
「私の、婚約者のこと、話します。浩司さん、ていうんですけど。
浩司さんは…本当に、完璧な人なんです。誰が見ても。
仕事もできるし、背も高いし、いつも、綺麗なシャツを着てて…。
怒鳴ったりとか、そういうの、一度もなくて、本当に、優しくて…。
なんで好きになったかって…そりゃ、そういうところでした。
ちゃんとしてて。私の、あの、自堕落だった生活が、
浩司さんと会ってから、全部、
なんていうか…ちゃんとしたものになったから。」
「でも、気づくべきでした。最初から、ちょっと、おかしかったんだって。
その、浩司さんは私の本棚を、タイトルとか、作者順とかじゃなくて、本の『高さ』順で並べ替えるんです。きっちり、隙間なく。私が一冊読むでしょ? そうすると、私が寝た後に、絶対、元の場所に戻ってる。完璧な高さの順番に。
食器もそう。私が集めてた、柄がバラバラのマグカップ、いつの間にか全部なくなってて。代わりに、真っ白な、同じ形のカップが、お店みたいに、綺麗に並んでました。『同じ場所に置くなら、同じ土で作られた陶器の方がいいよね』って。
そう、彼は、悪気があってやってるんじゃない。全部、優しさなんです。
それが、一番、怖い…」
「私が編んでた、ちょっと目が不揃いなマフラーは、
いつの間にか、ただの毛糸玉に戻ってた。
『目が揃ってないと、可哀想だから』って。
私が描いてた、未完成の絵も、捨てられてた。
『完成していないものは、不完全で、見ていて辛いんだ』って。
私の、個性とか、思い出とか、そういう、ちょっと歪で、ぐちゃぐちゃした部分を、彼は、一つ、一つ、丁寧に、『修正』していったんです。
すごく、優しい笑顔を浮かべて」
(女性、一度言葉に詰まり、唇を噛む)
「友だちにも、相談しました…。でも、
『なにそれ、ただの潔癖症でしょ?
マメな彼氏で、むしろラッキーじゃん』って…。
誰も、わかってくれなかった。
この、静かな、恐怖を」
「… 1ヶ月前。
彼は、左目の下にあった、小さな、泣きぼくろを見て
『これ気になるよね。取ってもらおうか』って。
彼は、私を、有名な美容皮膚科に連れてって…
レーザーで、綺麗に、消してくれました。
お金も、全部、彼が。
私は、ありがとうって、言うしかなかった」
「そして、昨日の夜です。
もう、ほとんど傷跡も残ってない、その、ほくろがあった場所を、
彼が、ずっと、指でなぞるんです。
ベッドの上で。
愛情とか、そういう目で見てるんじゃない。
なんていうか…職人、みたいな目で。
完璧な製品に、たった一つだけ残った、
許せない『誤差』を、どうやって消そうか考えてる…
そういう、冷たい、技術者みたいな目で。」
「彼は、私を見て、いつものように、
本当に、いつものように優しく、笑いました
『まだ、少しだけ、周りの肌と、色が違うね。ざらつきも、残っている』
『大丈夫。僕が、完全に、綺麗にしてあげるね』
『今度は、機械じゃなく、ちゃんと、僕自身の、手でね』
『少しだけ、肌を削って、均してみようか。
そうすれば、何もなかったように、滑らかになるよ』
(女性の呼吸が、浅くなる)
「…彼は、今、部屋にいません。
そのための、特別な『道具』を、買いに行きました。
模型用の、精密なヤスリと、コンパウンドを、買いに。
さっき、メッセージが来て。
『一番、目の細かいものを見つけたよ』って」
「逃げられない。
このドアを開けても、彼は、きっと、
あの笑顔で、私を部屋に連れ戻す。
だから、これを、撮ってます。
これが、最後の、不完全な、
修正される前の、私の、記録です」
(女性は、そこで一度、言葉を切る。そして、カメラに向かって、諦めたように、僅かに、震えながら、微笑んだ)
「傷一つない、完璧な私になるのが…少しだけ、楽しみ、です」
(女性の手が、ゆっくりと、録画を停止するために、カメラに伸びてくる。
画面が暗転する。)
了
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