鳴りやまぬ音楽を、胸に。 ―あの日の空の下で―

柊野有@ひいらぎ

001 フェスの誘いと、98年の記憶

「フジロックへ行こう。」


編集に携わるタイチから連絡が来たのは、夏休みも目前のある晩だった。

仕事帰り、友人たちと居酒屋で一杯ひっかけていたときのことだった。


20代の頃、まだキヨシローが生きていた当時、京都の磔磔たくたくっていう小さいライブハウスで意気投合して以来、つかず離れずの距離で過ごしてきた。


ロックフェスへは、当時欠かさず参戦した。

良質なバンドチョイス、今のように柵もなく、より身近に奏者を感じられる、そんな場所だった。


***


自分が初めて行ったロックフェス’98は、記念すべきお台場で第2回目のロックフェス。

第1回は台風で流れてしまったから、その分、期待も大きかった。

夏休みに入るなり上京し、兄の部屋に転がり込んで、フェス本番に臨んだ。


都内のじりじりと焼けつくような炎天下、激しく縦に揺れる観客席には、ホースで水が撒かれた。

あの日のミシェル・リー・エレファントは、間違いなく主役だった。

まだアベタカシが健在で、熱をステージに叩きつけていた。

ドラムのキューちゃんがシャツだった以外は、3人とも黒のスーツにネクタイだったが、すぐにジャケットは脱ぎ捨てられた。

ステージ上で、白いシャツは汗だくになって透き通った。


前列に詰め掛けた観客席で倒れた誰かを助け出すために、2曲めは一旦停止された。

キバユウスケが、野良犬みたいにステージをうろついて苛立ったように見えていたのが、マイクをかまえて、しゃがれた声で、うながす。


「あのー楽しくやりてぇから下がれるもんなら下がろうや、倒れてるやつはちゃんと起こしてやろうぜ」


モッシュのしたから、何人か運びだされて、演奏は再開した。

何度も停止したけれど、そのたびキバは観客を気遣った。


撒かれた水は一瞬で湯気となり、俺たちは熱気でこもった客席のど真ん中にいた。


「ゲット・アップ・ルーニー」でもみくちゃにされて、そこそこ背の高い方だった俺でも明らかに酸素が薄い感じで、苦しくて、それでも最高に楽しかった。


荒々しくて、ロックンロールで、なおかつ品行方正。

何年も後になって、その動画を繰り返し見た。

音楽の持つ暴力的で一瞬だけきらめく力が、そこにあった。

その中に、本当に自分もいたのだと考えるだけで、あの震えるような歓喜を思い出す。


***


キヨシローが亡くなった2009年の「フジロックフェス'09」は特別な思い出なんだ。

追悼スペシャルバンドがGreen stageに集合するセットリストになっていた。

NICE MIDDLE with New Blue Day Hornsのほかに、tyabo、Leyone、Chari、甲木ヒロト、真島マサトシ、トータル松本、YUA、CHAR、

WILKO JOHNSON & NORMAN WATT-ReY、BOOKer T.、泉谷シゲル。

思い出しただけで首筋がざわっとする。


タイチも、フェスを見たいと集まってきた参加メンバーにいた。

声をかけて集まった皆は、キヨシローが本当に大好きだった。


そして、そのGreen stageでの出来事だ。

しょっぱなに出てきたバースデイズのMCで、キバユウスケが、今日のライブは、俺たちの大親友だったアベタカシに捧げますと言った。

一瞬、客席はしんとなった。

あんなに好きだったアベタカシが、2003年にミシェルリーが解散した後どんなふうに生きていたのか知らず、あとで調べると広島に戻り、実家の左官屋を手伝ったとあった。

彼はフジロックフェス3日前の22日に、硬膜外血腫で42歳の生涯を終えた。


誰がなんと言おうと、ミシェルリーエレファントは、日本のガレージバンドの最高傑作だ。

ウシノ、キハラの走るリズム隊に加え、アベタカシの暴れながらも端正なギター、その上にチバのかすれた声が乗せられると、ジャンクなのに重厚な、完璧なロックが形作られて、後にも先にもなくて伝説としか言えない。

ミシェルリーエレファントが解散して、今やバースデイズはミシェルリーよりも長い時間活動している。

ミシェルリーは「世界の終末おわり」のように疾走を伴った孤高であるのに対し、バースデイズの曲は、死を内包して、少しだけ優しい。


そしてそれが悲しさを呼ぶ。バースデイズの曲、キバの声が沁みた。

終わりの予感はあったけれど、その場では喪失感というには、高揚してよくわからなくて、追悼ライブに、ただ熱狂した。

誰かとの別れを、どう消化するかなんて、俺はまだ知らなかった。


***


俺の中で生きた時間の単位であるキヨシローは、物心ついた頃からそこにいて、最高のロックスター だった。

小学5年の時に兄が大事に持っていたipodをこっそり聞いて、雷に打たれたみたいに衝撃を受けて、その声が天啓のようにまとわりついて、音楽を聴き始めた。

キヨシローバージョンのimagineだった。


兄のCDを漁っては傷がつくからさわるなと怒られた。

親の古いレコードの中にビートルズを見つけ聴いてみたが、ジョンレノンの歌うimagineは、キヨシローよりも爽やかで、ウィットに富んだ曲に聴こえた。

同じ曲でもキヨシローの歌は、泥臭くて湿った感じがして好きだった。


俺の生まれ育った造船の町に溢れる、錆びた鉄の匂いと溶接の音に、キヨシローの音楽はぴったりだと思った。

そのうち、兄にipodのお下がりを貰って、毎日工場と田んぼのあぜ道の通学路で聴いた。

1人一台持てるようになった携帯が、急速にスマホやiphoneに取って代わられていく時代だった。


バンドブームでもあり、イエローチャンキーや アンジーやブランキーやいろんなバンドがあったけれど、キヨシローはどの曲もキヨシローだった。


金属で引っ掻くような声は、誰にも真似のできないその人となりを表して、それこそがロックの奥深さだと思った。


暇さえあれば、レコードショップに足を運び、ジャケットと音楽雑誌を見ては絵を描いて、兄のギターを借りて練習し、バンドを組み、自分が成長していく先には、いつも音楽があった。


先に上京した兄にくっついてライブハウスに潜り込み、コンサートで設営をして、友人のバンドに見よう見まねでフライヤーを作った。

デザインの仕事を始めてからは貯めたお金を使って、タイチとあちこちライブに行った。


***


思い起こせば、ここ数年は友人のバンドの応援で見には行くものの、タイチとは職場が離れ、彼が父親になり、自分の父が病に倒れ見送り、なんとなく会えずにいた。

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