第4章:告白と決別
アルベルトは、その日の夜、エリザベートが暮らす館を訪れた。護衛騎士を村の外で待たせ、たった一人で。旅の商人ではなく、王太子アルベルトとして彼女に会うために。
「どちら様でしょうか?」
対応に出た侍女が、アルベルトの顔を見て息をのむ。無理もない。こんな辺境の地に、王太子自らがお忍びで現れたのだから。
「エリザベートに会いに来た。取り次いでくれ」
侍女が慌てて奥へ引っ込むと、やがて簡素なドレスに着替えたエリザベートが現れた。昼間の泥だらけの姿とは違うが、王城にいた頃のような華美な装飾はない。それでも、彼女の持つ気品は隠しきれていなかった。
「……アルベルト殿下。このような場所まで、一体何の御用でしょうか」
彼女の口調は冷静で、他人行儀だった。昼間、畑で会った時、彼女はやはり自分に気づいていたのだとアルベルトは確信する。
「エリザベート……いや、エリー。少し、話がしたい」
かつて親しい者だけが呼んだ愛称で呼びかけると、彼女の眉がわずかに動いた。
「立ち話もなんですから、どうぞこちらへ」
彼女はアルベルトを、客間へと通した。古びてはいるが、きちんと整頓された部屋だった。
向かい合ってソファに腰掛けると、重い沈黙が流れる。先に口を開いたのは、アルベルトだった。
「昼間の君の姿を見た。……驚いたよ」
「そうですか」
エリザベートの返事は、短く、感情がこもっていなかった。まるで興味がない、とでも言うように。
アルベルトは言葉に詰まりながらも、本題を切り出した。
「君を追放した件だが……あれは、私の本意ではなかった。君を陥れようとする、ゲルトナー侯爵をはじめとした一派の策略だったんだ」
彼は、ゲルトナー侯爵が巧妙に仕組んだ罠について語った。リーナ嬢をアルベルトに近づけ、彼女を利用してエリザベートが悪女であるかのような偽の証拠を次々と捏造したこと。当時のアルベルトは、その策略に完全にはまり、エリザベートを疑ってしまったこと。
「だが、彼らの本当の狙いは、君を排除し、王家を意のままに操ることだった。そのことに気づいた時、私には君を守るための選択肢がほとんど残されていなかった。彼らの力が、私が思っていた以上に宮廷内に深く根を張っていたからだ」
アルベルトは苦しげに顔を歪める。
「離婚を宣言し、君を王都から遠ざけることだけが、彼らの魔の手から君を安全に守る唯一の手段だった。政治的に無価値な辺境の地へ追放すれば、彼らもそれ以上は手出しをしないだろうと考えた。……信じられないかもしれないが、離婚は君を守るためだったんだ」
すべてを打ち明け、アルベルトはエリザベートの顔を見た。同情してくれるだろうか。あるいは、理解を示してくれるだろうか。そんな淡い期待は、彼女の次の言葉で無惨に打ち砕かれた。
「そうですか。それは大変でしたわね、殿下」
エリザベートの声は、湖面のように静かだった。
「ですが、それがどうかなさいましたか?」
「な……っ」
アルベルトは絶句した。
「殿下がどのようなお考えで私を追放なさったのかは、理解いたしました。ですが、その結果として、私はこうしてここにいる。その事実は変わりません」
エリザベートは静かに続けた。
「そして、今となっては、殿下のお考えなど、私にとってはどうでもいいことなのです」
「どうでもいい、だと……?」
「はい。私は、この場所が気に入りましたから」
エリザベートは窓の外に広がる闇夜――その向こうにある荒れ地を見つめながら、穏やかな声で言った。
「ここでは、私は公爵令嬢でも元王太子妃でもありません。ただのエリザベートとして、自分の足で立ち、自分の手で未来を作ることができる。王城の誰かの思惑に振り回されることも、窮屈なドレスに身を包む必要もない。……私は、ここで生きていきます」
彼女の瞳には、揺るぎない決意の光が宿っていた。それは、アルベルトがこれまで一度も見たことのない、力強く、自立した女性の光だった。
「だから、アルベルト殿下。お気遣いは無用です。私はもう、王太子妃に戻る気は毛頭ございません」
きっぱりとした宣言。それは、アルベルトにとって死刑宣告にも等しかった。彼は、彼女を「守ってやった」つもりでいた。いずれほとぼりが冷めたら、王都に呼び戻し、妃として再び迎え入れることさえ考えていた。なんと傲慢で、独りよがりな考えだったのか。
彼女は、守られるべきか弱い存在などではなかった。彼がいない場所で、彼が知らないうちに、とっくに自分の力で翼を広げ、飛び立とうとしていたのだ。
アルベルトは、ソファに深く身を沈めた。敗北感と、言いようのない喪失感が全身を襲う。
だが、このまま引き下がるわけにはいかない。
彼は顔を上げ、エリザベートをまっすぐに見つめ返した。
「……わかった。君が王太子妃に戻る気がないというのなら、無理強いはしない」
その言葉に、エリザベートが少しだけ驚いた顔をする。
「だが、これで終わりにするつもりもない」
アルベルトは立ち上がり、彼女の前まで歩み寄った。
「それならば、私は王太子としてではなく、アルベルトという一人の男として、君と、この土地と関わっていく。君がここで何かを成し遂げようというのなら、私は別の形で君の力になろう」
「……どういう意味です?」
「いずれ分かる」
アルベルトはそれだけ言うと、彼女に背を向けた。
「邪魔をしたな。だが、必ずまた来る」
彼は、エリザベートが何かを言う前に、部屋を後にした。
館の外に出ると、冷たい夜風が火照った頬を撫でた。
(失って、初めて気づくとは……なんと愚かな)
だが、彼はもう絶望だけを感じてはいなかった。胸の内には、新たな決意が生まれていた。
王太子妃として彼女を取り戻すことができないのなら、別の関係を築けばいい。彼女がこの地で輝くというのなら、その輝きを国中の光に変える手伝いをすればいい。
それは、元夫婦という奇妙な関係の、新たな始まりを告げる夜だった。
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