第16話 名もなきものに、名を
世界に異変が起き始めていた。
記録守フェリアが語った通り、
“名前を持たない存在”──**名喪(ナナシ)**たちが、各地で出現し始めた。
それらは最初、ただの霧だった。
形も意味も持たず、ただ漂っているだけのもの。
しかし次第に、“人の記憶”や“言葉”を喰い始めた。
そして、奪われた者たちは——自分の名前を思い出せなくなっていった。
*
《アトリウム・ゼロ》に戻ったルークたちは、
各地からの観測報告を受けていた。
フェリアが震える声で読み上げる。
「記録都市グランフィリアにて、“語彙欠損病”が急増。
日常語彙の80%が失われ、会話不能の市民が3千人超……」
リシアが唇を噛む。
「……言葉が奪われるって……こんなにも“怖い”ことだったのね……」
ルークが立ち上がる。
《命名権限》──解放中
使用可能回数:1(次発動は48時間後)
「だったら、俺が“与える”。名前を。
意味を。存在を。……奪われたなら、取り戻せばいい」
ネブラが前に出る。
「……その前に、主よ。
わたしの名を、呼んでくれないか」
ルークが目を見開く。
「ネブラ、お前……?」
「“ネブラ”は便宜上の名にすぎん。
わたしは古代語で“霧”と呼ばれてきた存在。
もともと“名を持たなかった神獣”だ」
フェリアが言う。
「ネブラ様は、記録に“観測者不在”とされる唯一の守護獣……。
誰にも定義されなかったからこそ、曖昧で曖昧で……それでも、世界を守ってきた」
ルークが息を呑む。
(……この命名で、何かが変わる。
名前を与えるとは、その存在の“物語”を始めるということ)
ネブラが目を閉じる。
「この名は、“お前が知っているわたし”であってほしい。
だから——記録継承者ルーク・アークレイン。
お前が、わたしを“誰にするか”を決めてくれ」
ルークの前に、空中に《命名入力領域》が展開される。
【対象】
《高次存在・無定義神獣(旧称ネブラ)》
【記録状態】
名:未定義/記憶:未定義/起源:未定義
ルークは、小さく呟いた。
「お前は、俺にとって……ずっと隣で支えてくれた、“夜明け”みたいな存在だった」
そして、キーボードに指を添える。
入力——
「ルーネ」
──意味:世界に光を届ける、“霧の光”。
《命名確定》
ネブラの身体が光に包まれ、輝く紋章が額に浮かび上がる。
そして、ルークの《オムニ・レコード》が更新される。
—
■高次名定義完了
■対象名:《ルーネ・ノクティア》
■クラス昇格:霧神獣 → 記録守護神(アーカイヴ・ガーディアン)
■親属定義:命名者 = 第一観測者(ルーク)
—
ネブラ、いや——ルーネが目を開く。
その瞳はかつてよりもずっと、澄み切っていた。
「……これが、“名前を持つ”ということか……。
確かに苦しみも増すが、同時に……これは、救いでもあるな」
ルークが静かに笑う。
「これからは、その名で呼ばせてもらうよ。“ルーネ”」
「ふむ、少し恥ずかしいが……気に入ったぞ」
*
その直後だった。
各地の“名喪(ナナシ)”たちが、わずかに形を変え始める。
記録ネットワークが自動的に反応し、観測者たちに通知を送る。
■新たな定義核を確認
■“名を失くしたもの”が、“名を与えられたもの”の波長に反応
■共鳴効果により、存在の輪郭が安定化中
(……つまり、命名は“世界を癒す”力にもなるってことか)
ルークは拳を握る。
「この力があるなら、俺はすべての名喪を、記録を、存在を……取り戻してみせる」
その言葉に応じるように、
遠く、《黒の観測者》たちがまたひとつ、動き出す。
そして、その中心にいた少女が、薄く笑った。
「……ルーク。あなたは、また名前を忘れている。
あなたが“最初に名前を呼ばれた”日を——」
—
彼女の名は、まだ語られない。
けれど、物語は確実に、“原点”へと向かっていた。
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