婚約破棄されたので貧乏令嬢の私は夜職に励みます。強いので冒険者もやりますし、隠れ聖女も。

川嶋マサヒロ

第1話「ああ無情の足蹴、二十一歳」

「リューディア。僕との婚約を解消してくれないか?」


 その一言に、一瞬私の時間が止まったような気がします。

 幼なじみの婚約者ユリウスは、言葉とまったく一致しない表情で言いました。


「はい?」


 耳を疑いました。

 今のは幻聴だったのではないか? 心の中で誰かが冗談を言ったのだと、そう信じたかった。

 けれど彼はもう一度口を開きました。


「婚約を破棄したいんだ……」

「はあ?」


 私は声を裏返して聞き返すしかありません。意味がわからないのです。まるで夢の中の出来事みたいなのです。


「すまないっ!」


 そう言って婚約者のユリウスはその場に膝をつき土下座しました。

 目の前で、貴族の長男が、よりにもよって私に、頭を床に擦りつけているのです。


「ちょっと何を言ってるのか、分からないのですが」

「どうか了解してほしい。このとおりだ」


 と言って、床に額を打ち付けます。

 冷静に考えてみると、どうやらこれは婚約破棄の宣言のようです。

 つまり私、リューディア・ニクライネンは幼なじみの婚約者、ユリウス・リュハレルから婚約破棄を突きつけられたのです。

 長年心を寄せ合ってきた婚約者から、突如として完全に一方的に、婚約破棄を言い渡された、ということになります。


「……」


 一瞬思考停止していた私の頭が、ぐるぐると回り始めました。いきなり、とんでもない話ですよ、これは。

 笑えない冗談です。そうこれは冗談なのです。違うのかしら?


「一体どういうわけなんですか? 私にもわかるように説明しなさいっ!」


 私はしゃがみ込み、ユリウスの胸ぐらをつかみました。ぶんぶんと振り、こちらを向かせます。

 無意識のうちに、泣きたい気持ちを怒りに変えていました。

 そして目と目が合いました。私は睨みユリウスはすぐに目を逸らします。視線が泳いでいました。


「いろいろと事情があって……」

「いろいろ? だからその事情とは、一体全体何なのですかっ!」

「君の家の領地経営だけど、ずいぶんまずいみたいだし……」

「うちが貧乏貴族だなんて、今更なにを言って――」


 そんなことは、最初から分かっていたはずです。なのに、それでも彼は私を選んだのではなかったのですか?


「それに僕には愛する人ができた。彼女と結婚したいんだ……」

「なっ、なっ――。私のことは愛していなかったのですか!?」

「愛していたよ。しかし今は……」

「なーっ!」


 ユリウスは立ち上がりました。


「詳しい内容は正式な書類に書いて送るから。話し合いはしよう。お互いが納得するまで」

「ちょ、ちょっと待って――」


 私は退室しようとするユリウスに追いすがります。彼は体を振るってそれを拒否しました。


「ああっ!」


 倒れながらも、それでも私は足にすがりつきます。


「ふんっ!」

「ひえっ!」


 しかし私は軽く足蹴にされてしまいました。

 私は冷たい床に崩れ落ちます。バタンと閉じられた応接室の扉は、彼の心のようでした。


 私はよく分からないままリュハレル家の屋敷を出ます。門をくぐり振り返りました。


 いったいぜんたい何が起こったのですか?

 私は心の整理ができないまま、一人とぼとぼと家路につきます。

 貴族といっても馬車などは使えない貧乏貴族です。

 服装も一応平民よりはちょっとは上ですけれども、いかにも底辺。普通の人とあまり変わりばえいたしません。


「はあ〜」


 私の名前はリューディア・ニクライネン。


 ニクライネン家とユリウスのリュハレル家は、昔から商売上の付き合いもあり協力関係にありました。

 お互いに気心の知れた幼なじみで、婚約も自然の流れでした。私は彼を愛していましたし、彼もそうだと……。


「うっ、うう――」


 嗚咽と共に涙が流れました。

 共に歩むはずだった人生は、たった数分の会話とひと蹴りによって無残に断ち切られます。

 その愛する人から婚約破棄を言い渡された、最悪の日となりました。


 ああ、今日は私の婚約破棄記念日……。

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