第12話
文化祭当日の朝、私は普段よりも一時間早く学校に到着した。
ジオラマの搬入と設置には細心の注意が必要で、十分な時間的余裕を確保しておきたかったからだ。昨夜完成させた作品を、一切の損傷なく展示会場まで運ぶことが、今日最初の重要な任務だった。
校門をくぐると、既に多くの生徒たちが準備に追われている様子が目に入った。各クラスの企画用品を運ぶ生徒、装飾の最終確認をする実行委員、そして早くも制服以外の衣装に身を包んだ生徒たち。普段とは全く異なる、華やかで活気に満ちた雰囲気が校内全体を包んでいる。
教室に到着すると、ソウタ君も既に到着していた。彼もまた、私と同じような考えで早めに行動していたようだ。昨夜片付けておいた工具類と、ジオラマ運搬用の専用ケースが、作業台の横に整然と並べられている。
「おはよう。準備はできているか」
「はい。運搬用の緩衝材も用意しました」
私たちは手慣れた様子で、ジオラマの各部分を慎重に梱包していく。特に照明システムの配線部分は、振動や衝撃で断線する可能性があるため、入念に保護した。
この作品は、私たちにとって三週間の努力の結晶だ。搬入時の些細な事故で台無しになることは、絶対に避けなければならない。
梱包作業を終えた頃、高橋君が教室にやってきた。実行委員長として、各クラスの準備状況を確認して回っているのだろう。その手には、今日のスケジュールや連絡事項が記載されたクリップボードが握られている。
「おはよう、桜井さん、荒木君。準備の調子はどうかな」
「問題ありません。予定通り進んでいます」
私は簡潔に答えながら、彼の表情を観察していた。実行委員長としての職務を遂行する一方で、どこか緊張した様子も見て取れる。文化祭という一大イベントを成功させる責任感からくるものなのか、それとも別の要因があるのかは判断がつかない。
「君たちの作品、本当に楽しみにしているよ。きっと多くの人が感動すると思う」
彼のその言葉には、社交辞令以上の真摯さが感じられた。しかし同時に、何か別の感情も込められているように思える。昨日までの彼の様子を思い返すと、文化祭の場で何らかの行動を起こそうという意図があるのかもしれない。
ただし、今の私にとって最優先事項は、作品の無事な搬入と設置だった。他の要素について考察している余裕はない。
搬入作業は、予想以上に順調に進んだ。
展示会場となった特別教室までの経路を事前に確認しておいたおかげで、無駄な動きを排除できた。ソウタ君との連携も完璧で、重量バランスの調整や角度の微調整を、言葉を交わすことなく行うことができた。
会場に到着すると、搬入を手伝ってくれた先生方から驚きの声が上がった。
「これは……本当に高校生が作ったのですか」
「まるでプロの仕事のようですね。素晴らしい完成度です」
そうした評価は率直に嬉しかったが、私にとってより重要だったのは、作品の技術的な側面が正しく理解されるかどうかだった。見た目の美しさだけでなく、背後にある考証の正確性や製作技法の巧みさを評価してもらいたい。
設置作業も慎重に進めた。照明システムの配線を会場の電源に接続し、各部の動作確認を行う。管制塔、格納庫、滑走路、すべての照明が設計通りに機能していることを確認できた時、私は内心で小さくガッツポーズを取った。
開場時間まで、まだ一時間ほどの余裕がある。私たちは最終的な点検を行いながら、来場者を迎える準備を整えた。
午前九時、ついに文化祭の開場時刻となった。
最初の来場者たちが会場に入ってくると、私たちのジオラマは即座に注目を集めた。その圧倒的な情報量と、細部に至るまでの作り込みに、誰もが足を止めて見入っている。
「すごい……これ、本物みたい」
「どのくらい時間かかったんだろう」
「あの飛行機、すごく精密にできてる」
見学者たちの感嘆の声が、次々と聞こえてくる。私は内心で、深い満足感を覚えていた。三週間の努力が、確実に人々の心に響いている。
時間の経過とともに、見学者の数は増加していった。午前中の時点で、私たちの展示スペースの前には常に十数人の人だかりができている状態だった。来場者の中には、熱心にメモを取る年配の方や、一眼レフカメラで様々な角度から作品を撮影していく人もいる。特にスマートフォンを向ける人の数が、他の展示よりも多いような気もしたが、作品に興味を持ってもらえるのは素直に嬉しいことだった。私は寄せられる技術的な質問に答えることに集中しており、それ以上のことを気にする余裕はなかった。
午後になると、私たちの展示に、ひときわ真剣な眼差しを向ける一人の男性がいることに気がついた。やがて彼は、意を決したようにこちらへ歩み寄ってくる。
「失礼します。模型専門誌『ホビーマスター』の編集部の者ですが」
そう語る男性が名刺を差し出しながら、私たちに話しかけてきた。彼の登場に一瞬思考が停止する。なぜ専門誌の方がここに? 私の疑問を察したように、編集者の方は少し興奮した口調で続けた。
「いやあ、驚きました。今日の昼頃、SNSで『常葉学園にすごいジオラマがある』って、画像付きの投稿がすごい勢いで拡散されていましてね。私たちの編集部でも持ちきりの話題だったんですよ。たまたま私が近くで別の取材がありまして、これは自分の目で見るしかないと、急遽お邪魔した次第です」
なるほど、そういう経緯だったのか。私が知らない間に、SNSという現代的な情報伝達の速さが、この全く想定していなかった事態を引き起こしたようだ。
「この作品について、少しお話を伺えませんでしょうか。学生さんの作品とは思えない完成度で、非常に興味深く拝見させていただきました」
編集者の方は、作品の各部分について極めて専門的な質問を投げかけてくる。時代考証の根拠、使用した材料の特性、そして個々の製作技法について。私とソウタ君は交代で答えていったが、相手がプロということもあり、非常に充実した技術的な議論となった。
「特に、この管制塔の窓枠の精度には驚かされました。これほど細いスケールでありながら、十分な強度を確保されている。どのような技法を使われたのですか」
編集者の方が指摘したのは、まさに私たちが最も苦労した部分だった。新しい樹脂素材の開発から応用まで、その経緯を詳しく説明すると、彼は深く感心した様子を見せた。
「これは間違いなく、誌面で紹介する価値がありますね。もしよろしければ、今後の特集記事で、この作品を大きく取り上げさせていただきたいのですが」
専門誌への掲載という申し出は、私にとって想像を遥かに超える光栄なことだった。趣味として始めた模型製作が、ついに専門的な分野で認められる瞬間だった。
ソウタ君も、普段の無愛想な表情を崩し、わずかに頬を緩ませているのが分かった。彼にとっても、この評価は特別な意味を持つものだろう。
掲載についての詳細な打ち合わせを終えた時、私の心は充実感で満たされていた。技術的な努力が正当に評価され、さらに多くの人に模型製作の魅力を伝える機会まで得られた。
これ以上望むものはない、完璧な文化祭になった。
そんな満足感に浸っていた夕方頃、人混みの向こうに見覚えのある顔を見つけた。
高橋ハルト君だった。
実行委員の腕章を付けた彼が、人波をかき分けながらこちらに向かってくる。その表情はいつもの爽やかな笑顔とは明らかに異なり、強い決意と緊張が混在しているように見えた。
彼は私の前まで来ると、少し息を切らしながら言った。
「桜井さん、お疲れさま。本当に素晴らしい展示だったね」
「ありがとうございます。多くの方に評価していただけて、嬉しく思います」
彼の言葉には心からの称賛が込められていたが、同時に何か別の重要な意図も感じられた。その表情から、これが単なる挨拶ではないことは明らかだった。
「実は……少し、大事な話があるんだ」
高橋君の声には、これまで聞いたことのない種類の真剣さが込められていた。周囲の見学者たちも、その只ならぬ雰囲気に気づいて、こちらに注意を向け始める。
私は瞬間的に状況を分析した。文化祭という特別な日、彼のこれまでの行動パターンの変化、そして今の表情。すべての要素が、一つの結論を示唆している。
彼は、自分の気持ちを伝えるつもりなのだ。
「時間をもらえるかな」
その言葉に込められた重みを感じながら、私は一瞬迷った。今日という日は、私たちの作品が最高の評価を受けた、完璧な成功の日だった。その余韻に浸っていたかったのだが、彼の表情からは、これが彼にとって極めて重要な瞬間であることが伝わってきた。
ソウタ君が小さく頷いて見せた。
「……行ってこい。片付けは俺がやっておく」
彼の言葉に背中を押され、私は高橋君に従うことにした。ただ、高橋君が私に何を話したいのか、その内容は予想がついていた。
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