魔女と人間4
春先とはいえ、日が暮れるのはまだまだ早い。イルカショーを見て、隣接するショッピングモールへと足を延ばすと、あっという間に外は真っ暗になり、同じように帰途につく人達の雑踏で、駅までの道は騒がしさを増した。
そんな人込みを横目に見ながら、三人は建てられた柵に体重を傾ける。帰ろうと言い出すには、少しだけ早い時間。もう少し話そう、そう、誰か言いだすことはなかったけれど、自然と三人の足はそこで止まった。背後には、黒い海。耳には、さざ波の音が揺れている。
「あとね、あそこのドーナツがおいしいんだよ。丸い奴で、サーターアンダギーとかみたいな感じだけど」
「太るよ」
「なんてこと言うの!」
「運動苦手なくせに食べるのは好きだもんね、澄香」
「昴ちゃん!!」
このやろこのやろこのやろ、と昴とじゃれつく澄香は賑やかで、すれ違う人たちから見られているのに気が付いていない。ははは、と昴は笑ってそれを受け止めて笑う。それを横目で見ながら、はは、とつみきも笑った。楽しい、と思って、楽しいと思っている自分に、つみきは驚く。
別に誰かと仲良くなるのを避けてきたわけではないけれど、魔女というものになって、あんなことをした自分が、普通の人と一緒に居るのがなんとなく嫌で。そんな事はないと言ってくれたあの人に、申し訳ないと思いながら、一人でいることが多かった。
こうして複数人で行動するのは久しぶりだ。なんなら、つみきから話しかけた人だって、本当は澄香が初めてだったかもしれない。
昴の言ったことは当たっている。かつて、幾度となく夜の街を駆けた魔女の仲間は、リーダー格の第一の魔女と、協力して倒すべき組織の壊滅をもって、ゆっくりと空中分解した。他の皆が、今どうしているのかつみきは知らない。彼女自身も、やり場のない使命感を、誰かを守り、人狼を殺すことで守っている。
人狼は憎い。殺さなくてはいけない。だから殺す。
そう生きることに悔いはない。そう生きるべきだと思ってもいる。
でもこうして、誰かと一緒に居る時間は、やはりどうしようもなく心地よかった。
瀬尾昴。鈴鳴澄香。
澄香とは、もう少し。少なくとも、昨日逃がした人狼を仕留めるまでは一緒に居るだろう。きっと、そうすると昴とも一緒に居ることになる。もし二人が許してくれれば、高校三年間は三人でいたら楽しいだろうな、と、そんなことを思った。一緒に授業を受け、テスト前には自分の、あの両親が遺していった誰もいないがらんどうな家に呼んで、いや、あそこに入れるのはやっぱりいやだから、どこかのファミレスにでもよって。
そうなれば、きっと楽しい。
そうなれば、いいな。
姦しく話している澄香と、昴を見ながら、そんな事を思った、つみきは。
その瞬間に、首筋を指すような殺気を感じて、全身に鳥肌を立てた。
「ああ、あああああああ、あああああ」
殺気の主を探すが、見当たらない。そう思った瞬間に、人ごみの中を移動する大きな影が視界に入る。それを確認したと同時に、昴と澄香の方に向かってつみきは駆けた。体当たりの様に二人を押した瞬間、人ごみから出てきた獣が三人の立っていた場所に、音を立てて飛び掛かる。
ぎしゃ、と、金属が拉げる音がして、もたれかかっていた鉄の柵がつぶれた。黒い海が大きく口を開ける。
それをつぶした張本人は、緩慢な動作で、三人を振り返った。二メートルはあろうかという体。背骨が大きく湾曲しており、人間が極端に前傾したような姿勢に見える。両足と両腕は大きく伸びていて、それが異形のものであることを声高に示していた。
「……。なに、あれ」
茫然とつぶやく澄香の声。それに呼応するかのように、駅に向かう人たちからも悲鳴が上がった。その怪物に近い人間から我先にと駆けだして、人ごみが騒然とうごめきだす。
「昴さん、澄香さんを連れて、ここから離れて」
そう声を発すると、昴から、いぶかし気な声が上がる。だが、昨日のことを知っている澄香がそれをなだめるようにして離れようとしているのが分かった。
それでいい。これで少なくとも、二人があのパニックに巻き込まれることはなくなるだろう。
怪物が、徐々に広がりだした悲鳴に反応するように首をもたげる。
つみきは、当然その正体も知っていた。これは、人狼だ。姿かたちは人間と大きく異なっているが、それは体内の魔力が大きく均衡を損ねているからだ。
人狼がこういう状態になるのは。
「(どこかで相当消耗したか、何かの理由でここまで力を出さなきゃいかなくなった時か)」
鷹揚に周囲を見渡す瞳に、知性は感じられない。飢えか、怪我か、昨日の人狼のような理性は、その姿には感じられなかった。
もしつみきが、昨日戦った長屋の、その顛末を見届けていたのなら、目の前の人狼に、食い殺された祖父江の面影を発見できたかもしれない。彼が、澄香の匂いにつられてここまでやって来たのが想像できたのかもしれない。
もちろん、それらは全て些末な事なのだが。
今この場で、大切な事実はただ一つ。
今ここで、目の前の人狼は排除しなくてはいけない。
さもなくば、ここは凄惨な餌場と化すだろう。
「第七の魔女、志水つみきが、ここに申し奉る」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。姿が変わる瞬間を、目の前の多くの人が目にするが、問題はない。よく見れば分かるが、群衆でもパニックに陥っているのは、人狼を直接見ている人間だけで、その後ろにまでパニック波及していくことはない。
魔力がこもった人間や人狼、そして、それらが起こした事象は、魔力を持たない人間にとって非常に希薄で、幻のように曖昧に感じる。だから、多くの人間は魔女や人狼を見ていてもそれと知覚できない。それの起こした殺人を、事故を、破壊を、この世のものとして理解できない。澄香が昨日の出来事を覚えていたのは、ま彼女の中に溜まっている魔力のおかげで、例えばその横にいる昴も、明日には、この怪物が起こした出来事を忘れているだろう。
ただ、それは人狼や、つみきの魔法が起こした爪痕がそうなると言うだけだ。あくまで魔法が使える人間でしかないつみきは、その限りではない。だから、身を隠す。身をくらます。魔力で、自身を覆う。
「汝の姿は鎌
その役割は拘束と引導
我が願い、我が魔力に基づいて、その力をここに編み込め」
つみきの体を、黒いコートが覆う。どこからともなく出た鎖が、その周りで音を立てる。髪が、足元につくほど伸びて、その顔を隠す。
「汝の名は、第七魔法、デスサイズ」
そうして、つみきは改めて自信の魔法の名を告げる。名を呼ばれた魔法は、鎖と同じように何もない空間から、その姿、中心となるものの姿を現した。黄昏をとうに過ぎた夜の空よりも暗く、それが反射する海よりもなお黒い。彼女が両手で握った鎌は、その黒が何よりも周りに存在を示しているものだった。
つみきはそれを、デスサイズと呼んでいる。
「汝、死を司る者なり」
ふわりと、浮いているように着地して、つみきはちらりと後ろを見る。そこには呆然と自分を見る昴と、両手を握りしめて自分を見る澄香がいる。それに安心するように小さく頷いて、つみきは視線を前に戻した。
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