羽田有希は今日も掃き溜めで

第1話 羽田は今日も掃き溜めで

 会社をクビになった。

 夜道をとぼとぼと一人歩いていく。確かにここしばらくの業績悪化もあり、大量リストラの噂も囁かれてはいたけれど、まさか本当に自分がクビになるとは。

 私はマンションの家の扉を開けると、ふうと大きなため息をつきながら靴を脱いだ。玄関には、ここしばらくの忙しさできちんと整理する暇のなかった靴が、明後日の方向を向きながら散らばっている。

 明日から、どうしよう。

 失業保険はもらえるはずだけれど、それもいつまでも続くわけではない。なんとか求職活動をしなければ。

 明日への不安に苛まれながら、私は冷蔵庫から缶チューハイを取り出した。こんな時は、飲んでなきゃやってられない。

 私は一息に缶チューハイを飲み干すと、資源ごみのゴミ箱にそれを投げ入れようとした。しかし、うまく狙いが定まらずにゴミ箱には入らない。

「はーあぁ」

 フローリングの上をコロコロと転がっていく空き缶を拾い、改めてゴミ箱に入れようとして、私はギョッとした。なぜかゴミ箱が光っている。

「何、これ?」

 謎の怪奇現象を前に慄いていると、目の前の視界がぐにゃりと歪んだ。

「な、なに?」

 視界の歪みはどんどんと酷くなってゆく。やばい、救急車を呼ばなきゃいけないかも——。そんな風に思うのに、体は思い通りに動かない。

 ぐるぐると回る視界に気持ち悪くなりながら、私の意識はいつの間にか飛んでいた。


 ふと目が覚めると、あたりはゴミだらけだった。古いチラシなどが床に散らばり、ボロボロの家具や凹んだ車、ブラウン管のテレビが組み合わさった奇妙なオブジェなどが立っている。

「ここ、どこ……」

 訳のわからない状況に、頭が混乱する。失職したショックで何かおかしな幻覚でも見ているのだろうか。だが、あまりにも意識ははっきりとしていて、夢だとすら思えないほどの現実感があった。

「お、新入りか。らっしゃい」

 突然、背後から声をかけられ、びくりとなって振り向く。そこには、台車にガラクタを山ほどのせたおじさんが佇んでいた。

「だ、だれ?」

 初対面の相手にかける声じゃなかったかもしれない。けれど私は、礼儀だなんてものが頭からすっぱ抜けるくらい、この状況に怯えていた。

「ここは捨てられたものが流れ着く異世界だよ。夢だと思うかもしれねぇが現実だ。あんた、なにに捨てられたんだい?」

 おじさんは台車にもたれかかりながら、私を見下ろしている。その瞳には憐憫の色があって、思わずムッとした。

「訳わからないこと言わないでください! ここは一体なんなんですか!? 私、千代田区から来たんですけど、帰りたいんです」

「千代田区には帰れねぇよ。まあ、着いて来な。こんなところに居てもしゃあねぇしよ」

 わけもわからず、けれど一人でこの変な空間に取り残されるのも恐ろしくて、おじさんに着いていく。


 歩けども歩けども、ゴミの世界は変わらなかった。千代田区の千の字もない。

 おじさんの後をついていくと、たどり着いたのは廃材とトタン板でできた奇妙な喫茶店だった。ドアの前に『喫茶トラッシュ』と張り紙がしてある。

「俺の店へようこそ。新入りさん、名前は?」

「あ、えっと、羽田有希です。それで、ここは……」

「さっきも言った通り、捨てられたものがたどり着く異世界さ。あんた、何かに捨てられた心当たりはないか?」

 おじさんの言葉に、私はどきりとする。

「会社、クビになりました……」

「じゃあそれだな」

 そんなことで、こんな世界に流されなきゃならないのか。そこまでの目に遭わなきゃならないほど、悪いことを何かしたのだろうか。確かにリストラにはあったし、ということは仕事で役に立たなかったのかもしれない。でも、だからと言ってこれはあまりに理不尽だ。

「元の世界に戻る方法はないんですか?」

「『捨てられた夢のカケラ』ってやつを集めれば帰れるかもしれねぇぜ。前にそれ集めて光って消えたやつがいたからよ」

 光って消えたから帰れたかもしれない、とは随分と曖昧だ。でも確かに、この世界からでは消えた人がいても元の世界に帰れたかどうかまでは確かめられないのだろう。

「それにしても、『捨てられた夢のカケラ』ってなんなんですか」

「そんなん知らねぇよ。人によって違うものらしいしな。あんたにはあんたの、捨てちまった夢のカケラがあるんだろうさ」


 おじさんの説明を受けて、以前ここにいた人が作ったという空き家に案内してもらう。と言ってもそこは、廃材の壁にトタン板が被せられただけの、家とも言えないような場所だった。


「こ、ここに住むの?」

「ここが嫌なら、俺んちでよければソファは貸すけどよ。あんまり良くねぇだろ、そういうの」

「はぁ」


 おじさんはまあ、いい人らしく、そこら辺の配慮はしっかりしていた。

 空き家の中には屋久杉のテーブルと毛布がいくつか丸まっていて、まあ暮らせないこともなさそうな感じだ。古びた水洗トイレも家の横に壁とドアがついた状態で備え付けられている。


 溢れる生活感が、この奇妙な世界の中で浮いていて、不思議な気分になる。


「今日はここで寝ればいい。後のことはゆっくり考えな」


 おじさんはそう言って去っていった。

 

 毛布の上に横になると、毛布がもそもそと動いて私の上に乗っかってきた。

 この世界のゴミたちは自我があるらしく、ちょっと気持ち悪いけど凍えて眠るわけにはいかないから我慢する。




 

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