第6話 狂信者の誕生〜捧げられる魂〜

 夜の森は静かだった。

 満天の星が木々の合間から覗く。

 小さな焚き火の前に、ヴィオラは膝を抱えて座っていた。


 アルは近くの岩に腰かけ、無言で空を見上げていた。

 いつもそうだ。余計なことは言わない。感情も、笑顔も、ほとんど見せない。


 それでもヴィオラは、彼の隣にいるだけで満たされていた。

 それだけで、心が落ち着いた。


「……あの、アル様」


 焚き火の揺らめきが、ヴィオラの頬を赤く照らす。

 声は小さかった。

 だが、それでも震えていた。


 彼は顔を動かさず、言った。


「……何だ」


「わたし……わたし……アル様の配下に、してください」


 その言葉は、呟きではなかった。

 願いでもなかった。


 宣誓だった。

 魂の奥底から絞り出した、全存在を賭けた“告白”。


 アルはすぐには答えなかった。

 その沈黙が、ヴィオラの心を軋ませる。


 彼の声が、やがて静かに落ちた。


「なぜだ?」


「……救っていただいたから、ではありません」


 ヴィオラは焚き火の光を睨むように見つめながら、言葉を続けた。


「あなたを見て……“意味”を知ったんです。生きる理由、在ることの理由、すべて……あなたに出会った瞬間に、意味を持った」


「……」


「わたしは、使ってください。剣でも、盾でも、毒でも、鎖でも。あなたのためなら、わたしは……どうなっても、かまいません」


 ヴィオラは立ち上がり、アルの前に跪いた。

 草をかき分け、両手を前に突き出す。


「この命、今ここで差し出します。どうか……あなたの“もの”にしてください」


 手のひらには、自らの短剣が握られていた。

 刃先は、自らの胸に向けられている。


「ここで死ねと仰るなら、喜んで――」


「……」


 アルはその刃を、無言で受け取った。

 鋭い音がして、剣は彼の手に渡った。


 刹那、ヴィオラは一瞬だけ瞳を閉じた。

 安堵のような笑みが浮かぶ。


 その瞬間――


 ざり、と。アルの手が彼女の頭に触れた。


 撫でるのではない。押し付けるのでもない。

 ただ、そこに“重さ”だけがあった。


「俺の名を、何度も呼べ。心の奥で、何千、何万と刻め」


「はい……!」


「誰が否定しようとも、俺が“絶対”だと信じ込め。それができるなら……お前は俺の配下にふさわしい」


「……できます……っ!」


 目から涙がこぼれた。

 その感情は、悲しみでも喜びでもない。

 ただただ、“絶対に応えられた”という歓喜。


「じゃあ、誓え。俺だけを信じ、俺だけに従うと。裏切れば、死すら許さぬと」


「――誓います。この命、魂のすべてを、アル様に」


 そのとき、空気が変わった。

 契約――“魂の結び目”が結成された音が、風に乗って響いた。


 アルの眼が赤く輝く。

 ヴィオラの心臓が痛むほど脈打つ。

 それは“主従契約”と呼ばれる、古代魔法における最も原始的な絆の儀式。


 従属ではない。隷属ではない。

 “狂信”――それは、自発的に魂を明け渡す行為。


 ヴィオラの体に、契約の紋が浮かび上がった。

 胸元、心臓のすぐ上。赤い花弁のような紋章が光を放つ。


「……ありがとう、アル様……わたし、わたし、いま、生まれ直せました……」


 その言葉に、アルは微かに笑った――かもしれない。

 だが、彼は何も言わず、そっと短剣を彼女の足元に置いた。


「もう必要ない。お前は、俺の刃になる」


「はい……っ、はい……アル様……!」


 その声は震え、狂気を帯びていた。

 だが、同時に確かな忠誠と、満ち足りた幸福に満ちていた。


 こうして、最初の狂信者が生まれた。

 世界を震撼させる“六人の神殺し”の最初の一人――

 それが、かつて名もなき少女、ヴィオラだった。

 

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