未来は、きっと……-2-

 雲ひとつない青空のもと、今日も私は駆け抜ける。

 雨の日だって、風の日だって、風邪で声がガラガラの日だって。


 たとえ火の中水の中、そこに彼がいるのなら。


 桐生先輩がいるならば。

 私は必ずそこに行く。どこに居たって飛んでいく。


 そんなつもりでいたのだけれど、あぁどうしようどうしよう。


 昨日の朝、耳元であんなことを囁かれた私は一体どうすれば良いのだろうか。


 今日も明日も明後日も、毎日毎日桐生先輩に会いたいけれど。もしあの言いつけを守ったならば、夏休みは毎日毎日、桐生先輩と一緒に居ることが出来るのだろうか。


 あと一週間もすれば夏休み。


 1ヶ月以上もある自由気ままなサマーバケーションがやってくる。


 一週間だけ桐生先輩に会うのを我慢すれば、その後1ヶ月以上もの間、毎日ずうっと一緒に居られるというのなら。


 我慢しないわけにはいかないよね。


 でもでも、赤点さえ取らなければ良いのかな。勉強もちゃんと頑張ったなら、夏休みになるまでも毎日桐生先輩に会いに行って、夏休みも一緒に居てくれたりするのかな。


 うぅ、どうなんだろう。


 なーんて考えながら歩いていたら、学校の正門をくぐったときにはすでに8時を迎えていた。


 へぇ、8時か。そっか8時か、ふーん。


 変だなぁ。家を出たのはいつもと同じ時間だったはずなのに。


 こんな時間じゃ、桐生先輩に会いに行けないじゃないか。


 なんてこった。


 考えることに時間を費やしすぎてしまったせいで桐生先輩に会えないなんて。


 考えて考えて、結論を出す前に選択肢を減らしてしまうなんて。


 今日は桐生先輩に会えないんだということを理解した瞬間に、一気に寂しさが襲ってきた。


 ダメだなぁ。これじゃあ絶対に一週間も耐えられないよ。


 だからといってこの一週間会うことが出来ても、その後1ヶ月間も会えないんじゃ、結局私はダメになる。


 私は本当にどうすればいいんだろう。


 桐生先輩はどういうつもりであんなことを言ったんだろうか。


 それに、問題はそれだけじゃない。


 だって、明日なんだ。


 桐生先輩と出会って99日目。あの最悪な出来事があったあの日は明日なんだ。桐生先輩が私の前から永遠に消えてしまったあの悪夢の日は、明日なんだ。


 あんな未来は絶対に嫌だ。桐生先輩のいない未来なんて嫌だ。そんな未来,私には到底耐えられない。


 だから最悪な事態が起こるのを未然に防いで、幸せな未来にしたい。そう思うのに、どうしたら未来を変えられるのかがわからない。


 あの頃の私には何も出来なかったけれど、今の私なら桐生先輩に少しくらいは良い影響を与えられるんじゃないかって思ってた。


 にも拘らず、結局前日になってもなんにも良い案が思い付かない私は、いっそ悪夢だったらいいのにと思う出来事が再び起こるのを、指をくわえて黙って見ていなければならないのだろうか。


 嫌なこと、けれど何より大切な桐生先輩との未来のことを考えながら1・2年生用の校舎の階段を上って3階の廊下を突き進んで行くと、誰かが1年D組の教室から出てくるのが見えた。


 色艶のある黒髪のおかっぱ頭の後ろ姿。


 あ、あれは。


「桜ちゃん、おはよう!」


 声を掛けた私の方にゆっくりっと振り向いたのは、あぁ、やっぱり桜ちゃんだ。


「あら、日菜子ちゃん。おはようございます」


 そう言って日本人形のように可愛らしい笑顔を向けてくれた桜ちゃんのおかげで、暗くどんよりとしていた心に小さな明かりが灯った気がした。


「桜ちゃん……」


 桜ちゃんの優しい微笑みに、思わず相談したくなる。


 だけど、ダメだよね。


 こんなこと相談したって桜ちゃんに迷惑を掛けるだけだ。


 私は実は未来を変えるために過去に戻って来たんだけどその未来の変え方がわからないから困ってる、なんて。


 すそんなこといきなり言われたら、きっと桜ちゃん卒倒しちゃうよね。


 だから、私がそんなことで悩んでいるということは、優しい桜ちゃんには気付かれないようにしないとね。


「日菜子ちゃん、何か悩み事でもおありですか」

「な、悩み事なんてないよ」


 悟られないようにしなくちゃって思うのに。


「そうですか。それならいいのですが、もしも私に出来ることがあるのでしたら、どんなことでも言ってください」


 そう、思っていたのに。


「もし言いにくい話でしたら、搔い摘んででも構いません。私に少しでも日菜子ちゃんの気持ちを軽くさせてはいただけませんか」


 気付いた時には、いつもと違わぬ最大級の優しさをくれる桜ちゃんに未来のことを相談していた。


「もしも、さ。もしもだよ。大好きな人の身に災いが降りかかるっていうことを自分はだけは予め知ってて、それを阻止したいって思うんだけど、どうすれば防げるのかがわからなかったら、どうすればいいんだと思う」


 あぁ、私は。もっと他に質問の仕方はなかったのだろうか。もっとわかりやすく、そして簡潔に尋ねることは出来なかったのだろうか。こういう時、自分の国語力の無さが嫌になる。


「へ、変な事訊いちゃってごめんね、やっぱり忘れて」


 やっぱり桜ちゃん困るよね、いきなりこんな途方もないことを訊かれたら。


「何を言ってるんですか」


 だよね、自分でもわからないよ。ほんと、申し訳なかったな。


「変なことなんかではありませんわ。日菜子ちゃんが真剣に悩んでいるその内容のどこが変なんですの。私は嬉しいですわ。日菜子ちゃんの悩みを相談していただけて」


 もう、どうして桜ちゃんはそんなにも底なしに優しいんだ。心地好いその優しさに、甘えてしまうじゃないか。


「大好きな人に災いが降りかかるというのなら、災いの原因を取り除けばいいんですわ。もしもそれが出来ないというのであれば、その大好きな人に警告しておくというのも一つの手ではありませんか」


 事故の原因そのものを無くすことは私には出来ないけれど、桐生先輩にあの場所に行かないでもらうことは出来るかもしれない。


 だけど、どうやって。


“西町の交差点に行ったら事故に遭うので行かないでください”なんて言って、信じてもらえるのだろうか。


 桐生先輩は“わかった”と返事をしてくれるのだろうか。それとも、“なんでそうなる”と私に尋ねるのだろうか。


 それなら良い。私の言葉を疑問に思っても思わなくてもあの場所に行かないでくれるのならばそれで良い。


 だけどもし、“嫌だ”と言われてしまったら。桐生先輩があの場所にどうしても行かなければならないのだとしたら。


 その時こそ本当に、私はどうすればいいのだろうか。


「警告しても、止められなかったら。その人の都合上、どうしてもその災いを避けられないとしたら。そうしたら、」

「どうしてそんなことを想像するんですか」

「え」


 いつになく真剣な表情をした桜ちゃんの黒曜石のような瞳にじっと見つめられると、私は言葉に詰まってしまった。


「大好きな人…すなわち桐生様のご都合を優先させる日菜子ちゃんは、まるで忠犬のように可愛らしくて私は大好きです。ですが……」


 そこで歯切れ悪く言葉を切った桜ちゃんは、スーッと大きく息を吸って続けた。


「ですが、真の忠犬は主の事を考えて時には異を唱えるものですわ」


 そう熱く語る桜ちゃんに、確かにそうだよなと思った。


 言われたことだけをそのままするのではなくて、相手のことを考えて自ら行動するのが、どれだけ素晴らしくてそしてどれだけ難しいことか。


 そう考えたらなんとなく分かった。私が今どうすれば良いのか、自然と分かったような気がした。


 なんともわんこ好きな桜ちゃんらしい例え方だ。


「日菜子ちゃんも桐生様の全てを優先させるのではなく、日菜子ちゃん自身が思う最善の道に桐生様を導いて差し上げるのがよろしいのではございませんか」

「そうだよね。うん、そうだよ。ありがとう、桜ちゃん」


 私が心から感謝の意を示すと“もちろん、日菜子ちゃんにはワンちゃんにはない日菜子ちゃんだけの魅力がございますが。”なんて言って笑った桜ちゃん。


 そんな桜ちゃんのお陰で、頭の中すべてを占めていた悩みは幾分小さくなり、心もとても穏やかになった。

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