想いは、不変。-3-


「なんの話だ」

「せ、先輩には秘密の話ですよーだ」


 おーっと、いけないいけない。


 桐生先輩には未来の記憶なんてないのに、変な事言っちゃダメじゃないか私。


 桐生先輩の鞄の隣りに仲良く並んだ私のそれを手に取ろうとベッドから降りようとすると、


「うわっ」

「馬鹿が」


 不意に立ちくらみがして、ものの見事に転がり落ちてしまった。


「おい、大丈夫か」

「ご、ごめんなさい」


 うわーん。転がり落ちただけでなく、そんな私をとっさに支えようとしてくれた桐生先輩まで一緒に押し倒してしまうなんて。一生の不覚だ。


「お前、いきなり起き上がったら危ないだろ。朝からずっとここで寝てたんだから」

「え、朝から」


 そっと起き上がらせてくれた桐生先輩の肩越しに見える窓の外の世界は、すっかり夕焼け色に染まっていた。


「そうだぞ、全く。朝道路のど真ん中でいきなり倒れたと思ったらそのまま目覚まさない上、顔色も悪いからどうしたのかと思って救急車呼んだら、39度8分って。お前は馬鹿か。どうしてこんな状態で学校行こうとした」

「ごめんなさい」


 桐生先輩のお手を患わせてしまったなんて、申し訳ない。


 それに、朝からってことはもしかして。


「先輩、学校は」

「学校なんてどうでもいい」


 ぴしゃりと言い切る桐生先輩。


 その口調はいつにも増して厳しいのに、言っていることが優しすぎるところがやっぱり桐生先輩だ。


「それに、謝れとは言ってない」


 ゆっくりと紡がれる優しい一言一言が響いて胸が締め付けられる。


「でも」

「俺に謝る余裕があるならさっさと治せ、このアホが」


 私を再びベッドの上に横たわらせて、白い布団をかぶせようとしてくれる桐生先輩。


「桐生先輩、なんだかお母さんみたい」

「誰が誰の母親だ。」


 そ、そんな。真剣な顔して「こんな出来の悪い奴は断じて俺の娘じゃねぇ」って呟かないでくださいよ。さすがの私も傷つきますよ。


 桐生先輩は先輩であって決して私のお母さんじゃないってちゃんとわかってますから。


 え、なになに。「無駄口叩いてないで寝てろ」とか言いながら睨まないでくださいよ。そんなに鋭い視線で睨まれたら眠れるはずないじゃないですか。


 というか、そうだよ。また忘れるところだった。


 よいしょよいしょ。私の鞄さん、こっちへおいでーっと手を伸ばしたら、すかさずパシッと叩かれた。


「か、鞄」

「なんだ」

「わ、私の鞄、取ってくれますか」


 うん、これだ。桐生先輩に取ってもらうなんて気が引けるけれど、自分で動こうとすると怖いもん。これなら、桐生先輩怒らない……よね?


 私の鞄を床から持ち上げてくれた桐生先輩。


 よかった、よかった。やっぱりこれなら怒られなかった。


「先輩、ありがとうございま…」

「お前、この鞄を持って一人で帰るつもりか」


 え、なんでそんなことになるんですか。


 いや、うん。確かに前からわかってはいましたよ。桐生先輩にとっての私の信頼度は限りなく0に近いどころか、マイナス1億ぐらいだろうだって。


 だけど。

 だけどどうしてそんな発想になるんですか。


「帰らないので、その鞄貸してください」

「本当か」

「本当です!」


 もう、桐生先輩の馬鹿。

 ほんのちょこーっとくらい、私のこと信じてくれてもいいじゃないですか。


「はい、お前の鞄」

「ありがとうございます」


 いかにも渋々といった顔で私に渡す桐生先輩。


 もう、信じてくれなくてもいいですよーだ。


 目下問題は鞄の中身が無事かどうかだ。


 この暑い日に、冷蔵庫にいれることなくほとんど丸一日放置しちゃったけど、大丈夫かな。


 そーっとそーっと鞄のチャックを開き、その中から覗く小さな袋を取り出した。


 よかった。半透明な袋の外から見る感じでは、なんの問題もなさそうだ。


 変形はしてないし、変色したようなところも特にはなさそうだ。


 ふぅー。これなら大丈夫、かな。


「桐生先輩、バースデープレゼントです。バナナ味のカップケーキ、よかったら食べてください」


 小さな袋を両手で包んで差し出すと、桐生先輩の肩が微かに動いたのがわかった。


「お前、どうしてこれ」


 そう口にしたっきり黙り込んでしまった桐生先輩。


 どうしてって、桐生先輩こそどうして固まってるんですか。


 ついさっきまではいつも通りの、いや、いつも以上に優しい桐生先輩だったのに。


 私が差し出したそれを「いらない」と一蹴することもなく、だからといって受け取ることもしないなんて。


 即答即決の桐生先輩らしくない。


 もしかして、味が心配なのかな。


 いくらバナナ味のカップケーキが好きだとはいえ、私が作ったものを食べて害がないか、心配してるかな。


「私、カップケーキ作るの得意なんです。特に、バナナ味のカップケーキが。だから、味も品質もちゃーんと保証できますよ」


 これを食べたことによって先輩が腹痛になるなんてことは絶対にないから安心してくださいよ、桐生先輩。


 もう、どうして反応してくれないんですか。


 無反応って何気に一番傷つくんですよ、桐生先輩。


 桐生先輩?


「お前はほんと、変わらないな」


 どこか遠くに思いを馳せた様子の桐生先輩がどうしてそう哀しそうに呟いたのかはわからない。


 わからないけれど、これだけは言える。


「私の桐生先輩への想いは、過去も未来もずっとずっと変わりませんよ!」


 唯一つ、これだけは胸を張って言える。


 だってこれが、この想いが。桐生先輩を中心とする私の世界の全てなんだから。


「だから、これ食べてください!」

「サンキュ」


 私がやや強引にカップケーキを手渡すと、桐生先輩は切れ長な目を切なげに細めた。

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