3rd×Time

この想いは。

この想いは。






 どうして俺は、こんな所に居るのだろうか。







 目の前に広がるのは、いつかも来た覚えがあるこの空間。


 天井も、壁も、外の空間からこの場所を区切っているカーテンも全てが全てあの日と全く同じもの。


 あれは、俺の誕生日。高熱を出しているくせに学校に向かい、路上で会った俺に“お誕生日、おめでとうございます”と言ってきたかと思えば、次の瞬間には倒れ込んだ馬鹿な奴を連れて来たときと全く同じ病室だ。


 何事に対しても一生懸命なところは嫌いじゃないが、自分に出来そうにないことまでこなそうとするのは辞めて欲しい。


 無理はするなと言ったはずなのに。あの日と同じく無茶をしたらしいこいつは、今俺の目の前で静かに眠っていやがる。


 そんなところまであの日と同じだけれど、あの幸せな記憶とは決定的な違いがある。


 あの日、朝からずっと眠っていたこいつは夕方には目を覚ましたけれど、今のこいつはそうではない。


 今俺の前で眠っているこいつは。車に突っ込まれそうになっていた俺に正面から飛びついて、俺を庇って車に轢かれたこの馬鹿は。明日になっても明後日になっても、もう決してその目を開くことはないのだから。


 お前は本当に馬鹿だ。


 目の前で憎たらしいくらいにぐっすりと深い眠りに落ちているこいつを心の中で罵倒する俺は、そうとう参っているのだと思う。


 だけど、だけど本当に馬鹿じゃないのか。


 俺は昨日言ったはずだぞ。これからは毎晩電話をして、夏休みになったら昼間も一緒に過ごそうと。


 それなのに。


 それなのに、俺を庇って自分が犠牲になるなんて。そんなことしてどうするんだよ。そんなことしたら、夏休みになっても一緒に居られないじゃねぇか。


 電話だって出来やしない。毎日電話したいって初めに言い出したのはお前だろうが。


 なのに、なのにどうして。


 どうしてこんなことになったんだよ。俺を庇うなんて、お前は一体何を考えているんだ。何を考えていたんだ。


 俺がそう問いかけても“桐生先輩のこと考えてます”なんて言って楽しそうに笑うお前の顔はもう見えないのだと思うと、どうしようもなく哀しくなる。


 お前をこんな目に遭わせたくなかった。


 お前を失うのはもう嫌だった。


 こんな思いをするのは、もう絶対に嫌だったのに。


 どうして俺は、なんにも出来なかったのだろうか。


 どっかの馬鹿はこんな俺のことを“麗しの王子様”だとか思っていたようだけれど、俺は決して王子様なんて柄じゃない。


 その馬鹿が時々何を思ってか“あぁ、愛しの王子様。目覚めのキスをしてくださいな”とかなんとかぶつぶつと呟きながら迫ってきた来た時にはこの馬鹿なに言ってんだって思ったけど。


 今になって思う。もしも俺が、本当にこいつの王子様だったら良かったのに、と。


 もしそうだったのならば、この大馬鹿者のお姫様を深すぎる眠りから覚ますのなんて、きっと屁でもないはずだ。


 だけど、どんなに足掻いてもこいつの王子様なんてものには決してなることのできない俺には、全く何にも出来ないんだ。


 あぁ、どうして。


 どうしてどうしてどうして、どうして。


 どうして俺は、こんなにも無力なんだ。


「まーたアンタか、桐生耀一」


 自分の無力さを嘆いていると、不意に足元から声が聞こえたような気がした。


 だけど……そんなはずない。


「おいアンタ、まさかこのオレを無視するつもりか」


 再び何かが聞こえたが、まぁ空耳だろう。


「空耳でも幻聴でもなくオレの声だってこと、アンタならよーくわかってんだろ」


 もう一度、聞こえた。今度は足元ではなく、俺の目の前で小さな羽を超高速で上下させている黒い小鳥の口から聞こえて来た。


 だけど、おい。嘘だろう。


「もう会えないと思ってたぞ、ピエール」


 俺がそう口にした瞬間、目の前の黒い小鳥が物凄く嬉しそうに笑った気がした。


「そうだよな、アンタはオレのことちゃーんと名前で呼んでくれるんだったよな。ぴよちゃんなんてふざけた呼び方するようなバカとは違うんだったよな」


 あぁ、何か言っている。ぴよちゃん……か。なんだかあの馬鹿もこいつを見たらそんな名前を付けそうな気がした。


 だけど今は、そんなことより。


「久しぶりだな、ピエール」

「久しぶり、か。そうだな。確かにアンタにとっては99日前のことだもんな。だけどオレにとってはまだ数十秒前の話だぞ」


 そう言って笑うピエールに、俺は思わず手を差し出した。


「お前、羽を動かすの辞めてちょっと休憩しろ」

「アンタってほんと良い奴だよな」


 いや決してそんなことはない。ただ俺はピエールの動きがあまりにも速すぎるから疲れそうだと思っただけだ。


 それにしてもなんだろうか、この違和感は。


「どうした、何が気になってるんだ。なんでもこのピエールが答えてやるぞ」


 俺の思考に対するピエールの言葉にあぁ、納得。


「お前いつから自分に“様”を付けなくなったんだ」


 そう、そこだ。


 前に会った時には始終“オレ様”だの“ピエール様”だのと鼻高々に口にしていたのに。それが知らない間に変化したものだから違和感をおぼえたというわけだ。


「いや、その……それは、な。ほんの数秒前に会ったバカに“オレ様っていうのやめた方がいいと思うよ”って思われたから……ちちち違うからな。別にそいつのことが好きだとかそういうんじゃないからな」


 へぇ、好きなんだ。


「違う、そんなんじゃない」


 そう言ってやけにしんみりとした表情を浮かべたピエールを見て、なんだか少し悪いことをしたような気分になった。


「ピエール、悪かった。俺、何かお前の気に障るようなこと言ったか」


 気になってそう尋ねると、ピエールはびゅんびゅんと首を振って否定した。


「違う。アンタは何にも悪くない。ただ」

「“ただ”、なんだ?」


 歯切れの悪いピエールに、そっと先を促してみる。


「ただ、オレにはどうしようもなくて。アイツのために何にも出来なくて。だけどもしかしたら、アンタになら何か出来るんじゃないかと思って」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるピエールを見て、何だかいたたまれない気持ちになった。


 ピエールの悩みをどうにかしてやりたい―――――……


「悪いが、俺に出来ることは何もない」


 ……――――――そう思うけれど、俺に一体何が出来る。


 あの馬鹿ひとり救うことの出来ないこの俺に、むしろ俺のせいであんな目に合わせてしまったこんな俺に。


 出来ることなんて何一つ無い。なぁ、そうだろう?


「アンタはこの99日間、一体何をしてたんだ」


 心の中で自問自答していると、今まで聞いたことないくらいにどす黒い地を這うような声で怒鳴られた。


 そうだよな。怒鳴りたくもなるよな。


 本当、俺は一体何をしていたのだろう。どうして俺はこうも不甲斐無いのだろう。


 せっかくあの時、ピエールに99日前のあの瞬間に戻してもらったというのに。


 それがどうしてこのザマなんだ。


 あの日、誓ったはずだったのに。


 あいつがこの世からいなくなるくらいなら、この想いに蓋をしてでもあいつを必ず守る、と。


 溢れて止まないこの想いはあいつに届けず心の奥底にしまうから、だからあいつは。あいつだけは。あいつの笑顔だけはもう二度と失うまい、と。


 そう決意したはずだったのに。


 それなのにどうして。どうして俺はまたもやここに居る。


 一度ならず二度、二度ならず三度も。何度も何度も何度も。


 あいつを、あの馬鹿を。失ってしっまったのは一体どうしてなのだろうか。

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