2人は、そっと。
2人は、そっと。
「おはようございます、きりゅー星様!」
3年C組の扉を大きく開いてそう叫ぶと、きりゅー星様が麗しのお顔を大きく歪めて私を睨みつけてきた。
あらあらあら。
「きりゅー星様ったら、照れないで下さいよ。なんてったって私たち、結婚を誓い合った仲ではありませんか。むふふふふ」
そんなにげっそりしちゃって。きりゅー星様ったら素直じゃないんだから。うふふ。
「お前、アホなこと言ってないで今すぐその口を閉じろ」
「美しすぎるきりゅー星様の唇でこの口を封じてください」
「……」
どうしようどうしよう。
こういう時って、目閉じた方がいいのかな。どうなんだろう。
私、キスってしたことないんだよね。
つまりはこれが、ファーストキッス。
きりゅー星様とキスできるなんて、幸せだな。
だけど、あれれ。
唇に何かが触れる感覚が全然しないんだけど。
キスって、こういうものなの?
キスしてる時のきりゅー星様、見てみたいな。
でも目閉じたまんまじゃ見えないよ。
……ちょっとくらい、目を開けてもいいよね。
そーっとそーっと目を開くと、麗しのお顔が眼前5メートル先に見えた。
そう、5ミリメートル先でも5センチメートル先でもなくて、5メートル先の教室の一番奥、私から一番遠い場所にきりゅー星様は立っていた。
「なんで逃げるんですか、きりゅー星様」
「いきなり唇突き出されたら逃げるに決まってるだろ。それになんだその変な呼び方は。普通に呼べ」
そんな。
きりゅー星様はきりゅー星様なのに。
でもでも嫌われるのは嫌だしな。
よし、大人しく桐生先輩と呼ぼう!
それにしても、桐生先輩はあの話を知らないのかな。
「その呼び方を使ってもらえて俺は嬉しいよ、ひなこ姫」
「あ、聡先輩。おはようございます」
「ノンノン、国王様と呼びたまえ」
そうだったそうだった。
「あのような素敵な物語を作ってくださりありがとうございました、国王様」
「礼には及ばぬよ、ひなこ姫」
「元凶はお前か」
あ、やっぱり知らないんだ。
それなら話は簡単だ。折角だから桐生先輩にも聞いてもらわないとね。
昨日桜ちゃんから七夕放送を録音したデータ、スマホに送ってもらっといて良かった。
スマホスマホ、よし、発見。
「桐生先輩も聞いてください。一昨日の七夕放送、友達が録音してくれたんです」
「七夕放送って、確か織姫と彦星の七夕伝説を聡が語るって言ってたよな?おい、ちょっと待て。聡、お前なに逃げてんだ」
あら。桐生先輩ったらさっきと比じゃないくらいに鋭すぎる視線で国王様を睨み付けてる。
それなのに笑顔を保つなんて国王様さすがだな。
「あはは。ひなこ姫よ、私を助けると思ってそのスマホを片付けてはくれまいか」
「え。こんなに素敵なお話なのに」
「いいかい、ひなこ姫。もし今桐生大魔王にその物語の詳細を知られてしまったら、国王が息絶えてしまい、きりゅー星とひなこ姫のその後がハッピーエンドではなくなってしまうんだよ」
そ、そんな。
きりゅー星がやっと素直になって、ひなこ姫と結婚してこれから幸せになれるっていう時に国王が亡くなって世が荒れてしまったら。
私の思い描いていた新婚ライフなんて夢のまた夢。
世の混乱に二人の仲を引き裂かれ、離ればなれになってしまったらきりゅー星もひなこ姫も生きていけない。
「ダメです!それは絶対にダメです」
「そうだよね。そうだよね、ひなこ姫。だから君はそのスマホを桐生大魔王に渡してはいけないよ。わかったね」
「はい、国王様」
そんな未来は阻止しなくては。
「おいこら、茶番はそこまでだ。こいつと取引するなんて汚いぞ、聡」
「なんとでも言ってくれ。ひなこ姫のハートはこの国の王である聡様がもらったぞ、きりゅー星よ。はっはっは」
「いい加減その設定辞めろよ。はぁ。もういい、こいつに聞く」
え。桐生先輩、いきなり路線変更なんてしないでくださいよ。
聡様に向けて放っていた殺気をそのまま私に向けるなんて。私は聡様と違って耐性ないんですからね。
ちょっとは手加減してくださいよ。
「おい」
「はいいいい」
なーんて、本人には言えない小心者な自分が憎い。
でもでもでも、きりゅー星とひなこ姫の未来は私が守る!
ひ、ひるまないんだから。
ゆっくりゆっくりにじり寄ってくる桐生先輩なんて、全然怖くないんだから。
何か面白いことでも思い付いたかのようにちょこっとだけ口の端を上げて笑っているお顔がどんなに美しくても、絶対絶対負けないんだから!
「そのスマホ、俺に貸してくれ」
「わ、渡しません」
いくら桐生先輩の頼みでも、私には守りたいものがあるんです。
「どうしてもダメか」
「どうしてもダメです」
「頼む。お前の願い事何でも聞いてやるから、そのスマホ俺にくれないか」
なーんて、心地好いテノールで耳元で囁かれても、絶対に絶対にぜーっ対に……─────
「はい、どうぞ。桐生先輩がお望みならば、煮るなり焼くなり好きにしてください」
負けるに決まってるでしょう!
きりゅー星もひなこ姫も許してね。二人のことは大好きだけど、私にとって桐生先輩以上に大好きなものなんてないんだから。
「ふっ」
私のスマホを右手に掲げた桐生先輩の笑顔の眩しいこと。
桐生先輩ったら、そんなにも私のスマホがほしかったのかしら。
「桐生の方がよっぽど汚いじゃないか」
「なんとでも言え」
あぁ、今日も本当に格好いいなあ桐生先輩。
「どうすればいいんだ」
スマホを片手に笑顔で私に尋ねる桐生先輩。
相も変わらずダダ漏れのキラキラオーラに絶えられなくなった私は、目の前の王子様にそっと右手を伸ばして彼の制服を掴んだ。
「おい、そんなに引っ張るな。手を離せ」
胸に響く声。
こんなにも素敵な王子様にお願いを何でも聞いてもらえるなんて、本当かな。
実は空耳でした、なーんてことはないよね。
幻聴でもないよね。
大丈夫だよね、うん。目の前の桐生先輩が私のスマホを持ってるのが何よりの証拠だもん。
だけど、うーん。何をお願いしようかな。
桐生先輩にして欲しいこと、いっぱいあるんだよな。
付き合ってほしいし、好きって言って欲しいし、さっきはしてもらえなかったキスもしてもらいたいし、なーんて。
そんなこと言ったら桐生先輩、怒るかな。
怒るよね。
怒らなかったとしても、嫌がるよね。
でもでもでも、言い出しっぺは桐生先輩なんだし。
頼んじゃおうっかな。
ふふふ。
だけど、違うな。やっぱり辞めよう。
そういうことは、お願いするものじゃないと思う。
付き合うとか、好きって言ってもらうとか、キスしてもらうとか。
桐生先輩が嫌がるってわかってて頼むのはダメだ。それじゃ何の意味もない。
きっと、余計に悲しくなるだけだと思う。
そういうことは、桐生先輩に好きになってもらって初めて意味を持つんだと思う。
まずは、桐生先輩に好きになってもらえる努力をしなくちゃ。
よし、頑張るぞ!
とはいっても、何をどう頑張れば良いのかな。
結局ここが問題だ。最近こればっかり考えている気がする。
過去に戻って早4日目。私は一体何をしていたのだろうか。未だに根本的なことはなんにも変えられずにいる。
桐生先輩と一緒にいられる時間はただでさえ限られているというのに。来週は学校中がテスト一色だし、明日と明後日は学校が休みで先輩に会えないというのに。
ん?
学校が休み……
「桐生先輩!明日私とデートしてください」
「嫌だ」
「どうしてですか。さっき願い事何でも聞いてくれるって言ったじゃないですか」
「言ったけどお前、デートはないだろ」
デートも嫌だなんて。それなら仕方ない。
「私とデートするか付き合うか、好きって言うかキスするか、どれがいいですか」
「……選択肢おかしくないか」
もういいもん。好きになってもらえなくてもいいもん。
好きになってもらう努力をするための時間もくれない桐生先輩なんて知らないもん。
「デートしてくれないならスマホは返してください」
ふーんだ。
あ、桐生先輩びっくりしてる。
目をまん丸にさせた桐生先輩なんて珍しい。
こんな可愛らしい表情の桐生先輩、パシャりと撮れたら永久保存版だよ。
ふっふっふー。
私だってたまには桐生先輩に反抗するもんね。
「桐生先輩、どうしますか」
返事をしない桐生先輩に、ちょっぴり強く言ってみる。
もっともっと驚いて、珍しい表情を見せてください、桐生先輩。
うふ。
「よし、わかった」
「デートしてくれますか!」
やったー!
だけど、あれれ。
私の手に寂しそうなピンクのスマホを握らせた桐生先輩。
なんでスマホを返すんですか。
「七夕放送はどうでもいい。お前はさっさと教室帰れ」
いつも以上に真剣な表情でそう言ってチラリと時計を見やる桐生先輩の視線の先の時計は、長針が12、短針が8を指していた。
うぅ。そうきたか。
「教室、帰ります」
だけどだけど。
私だって、負けてばかりはいられない。
コトン、と小さな音を立てて桐生先輩の机の上にスマホをおいて。
「明日の10時、駅前で待ってますから」
「おい」
桐生先輩が呼び止める声に気付かないふりをして、自分の場所へと去ることにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます