知りたくなくても、受け止めろ!

知りたくなくても、受け止めろ!-1-

 つーっと、頬を何かが流れていくのが分かった。

 あれれ。これは一体なんだろう。透明の、液体……。


 あぁ、涙か。

 私、泣いているんだ。


「桐生は、日菜子ちゃんがここに来るほんの少し前に息をひき取ったよ。さっきまでかなり痛そうだった。西町の交差点で青信号を渡ろうとしたところを赤いスポーツカーにはねられたんだって。その車、かなりスピードだしてたみたいで、運転してた人も今重態らしい」


 自分の涙はそのままに、取り出したハンカチで私の涙を拭い、静かに語りだした聡先輩。


 桐生先輩が息を引き取ったなんて、そんなの嘘だって思いたい。なんの冗談ですかって訊きたい。今朝はあんなにも元気だったのに。車にはねられたなんて、嘘だよね。桐生先輩がそんな目に合うはずがないって思う。


 だけど、目の前に広がる現実が、変えられないものだってこともわかっている。


 分かっているから、涙が出る。

 涙があふれて止まらない。


 先輩、痛かったかな。痛かったよね。車にひかれて、痛くないはずがないよね。

 今は痛くないですか、先輩。桐生先輩、どこも痛いところないですか。

 せっかく拭ってもらっても、すぐに再び涙でいっぱいになる私の頬に、聡先輩はとても困った顔をした。


「桐生が、うわごとのように日菜子ちゃんを呼んでたんだ。ずっと、さ。だから、日菜子ちゃんに電話したんだけど。もっと早くに呼ばなかったせいで、ごめんね」


 しっとりとした口調で続ける聡先輩。


「そんな、優しい嘘をつかないでください。桐生先輩が私を呼ぶわけないってわかってますよ。事故のことと病院の場所を教えて頂いただけで十分すぎるくらい感謝してます。・・・・・・それに、会えなかったのは、先輩のせいじゃないです。私が、私がもっと早く来れたら良かったんです。もっともっと速く走れたら良かったんです」


 後悔しても、しきれない。


 無意識の内に走っていたけれど、もっともっと、早く病院に着く方法っも、あったんじゃないだろうか。


 今さら考えても、なんの意味もないけれど。


「本当に、あいつは日菜子ちゃんを呼んでたよ。それに日菜子ちゃん、君は、桐生にとって自分がどれだけ大きな存在だったのかをわかってない」

「そんなことないです。毎日毎日押し掛けて、迷惑を掛けてたって、ちゃんとわかってます。そんな私のことを桐生先輩が呼ぶなんて、絶対に信じられないです」


 聡先輩はやっぱり聡先輩だ。こんな時にも私の気持ちを考えて、優しい嘘をついてくれるんだから。


「本当にわかってないみたいだね」


 寂しそうにポツリと呟くと、制服の胸ポケットから何か小さなものを丁寧に取り出した聡先輩。


「日菜子ちゃん、これ。さっき桐生から預かったんだ。あいつがずっと胸ポケットに大事に入れて持ち歩いてたみたいだから、俺もここに入れておいたんだけど」

「なんですか。え、ルーズリーフ?」


 先輩から手渡されたのは、1枚のルーズリーフを、何度も折って、小さくされたものだった。


「開いてみなよ。それを読んだらきっとわかるんじゃないかな、あいつの気持ち」

「桐生先輩の、気持ち?」

「"明日渡したかった。これが俺の気持ちだ"っていうのが、あいつからの伝言。桐生の、最後の言葉。それじゃ、俺はここを出るよ。それを読むなら、きっとあいつと二人っきりの方がいいと思うから」


 そう言って真っ白な布を被った桐生先輩を見つめてから部屋を去っていく聡先輩に、待ってくださいと言おうかどうしようか、ほんの一瞬迷って辞めた。


 開きたい、けれど見たくない。


 読みたい、けれど知りたくない。


 相反する思いが溢れ、迷い戸惑い、その1枚のルーズリーフを開くまでにかなりの時間を費やした。


 10分、いや30分はとうに過ぎた頃、漸く開く決心がついた私。


 少しづつ、少しづつ丁寧に開いていくと、そこには、桐生先輩らしい芯のあるしっかりとした力強い文字が、ぎっしりと書き詰められていた。


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 日菜子へ


 今日は、お前と俺が出会ってからちょうど100日目だ。やっとこの日を迎えられる。


 知ってるか。俺がこの日をどれだけ心待ちにしていたか。お前と初めて出会った日から今日この日を迎えるまで、毎日毎日指折り数えていたって言ったらお前はどうする。


 初めて出会った時のことも、初めて俺の教室にお前が来た時のことも、俺の誕生日を誕生日の次の日に知って、お前が拗ねたことも。


 嬉しかったことも、楽しかったことも、どうでもいいことも、全部全部覚えてる。


 初めてお前に好きだと言われたとき、俺はどうすればいいのかわからなかった。


 俺と一緒に居たら、お前が不幸になるってわかっていたから。だから、100日目を迎えるまでは、出来る限りお前には近づかないようにしようと思っていた。


 毎日毎日、毎朝毎朝お前が俺の教室に来てくれたことも、そして好きだと言ってくれたことも、俺は物凄く嬉しかった。


 近づかないようにしようとは思うものの、少しでも長くお前といたくて、毎朝学校の門が開く7時には来て、お前を待っていた。


 お前と一緒にいる時間も、お前を待つ時間も、全部が全部大切で、とても幸せな時間だった。


 遅くなってごめん。


 いざお前を前にしたら、思っていることを伝えられる自信がなかったから、手紙で伝えることにした。


 許してくれ、日菜子。

 日菜子、俺はお前のことが、一之瀬日菜子のことが好きだ。

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