心が欲しいなら、胃袋を掴め!
心が欲しいなら、胃袋を掴め!
「はぁ」
「溜め息をつくと幸せが逃げてしまいますわ」
いつの間にか午前中の授業がすべて終わり、お昼休みになっていた。
机の上にお弁当を広げ、いつもなら桐生先輩のことを思い浮かべながら美味しくいただくのだけれど、今日はどうもそんな気分にはなれなさそうだ。
確かにさ。溜め息を吐いたら幸せが逃げるって言うけれど、私の場合はとっくに逃げてる。
いや、逃げてるも何も、幸せなんて元から一欠片も掴んでいなかったんだ。
「明日から期末テストだなんて、最悪だよ」
まだまだ先だと思っていたのに、明日からだったなんて。
「勉強はお嫌いでしたっけ?」
そう言って首をかしげる桜ちゃんに、私は大きく首を振る。
午前中、授業の度にどの先生も「明日から頑張るように」と口を揃えていたけれど。
「勉強も嫌だけど、そうじゃないの」
テストなんてなければ良いって思うけれども。勉強なんてしたくないって思うけれども。問題なのはそこじゃない。
「桐生先輩に会える時間が減っちゃうんだよー」
一番の問題点はテスト期間は時間割りがいつもとは違うのルールの上で成り立っているという所だ。
普段の授業の時は8時30分から始まる朝礼までに自分のクラスにいればいいのだけれど、テスト期間はそうは行かない。8時30分には最初のテストが開始されるため、8時20分には必ず自分のクラスの自分の席に着席していなくてはならないのだ。
それはつまり、桐生先輩と会える時間が10分も短くなってしまうということである。
ただでさえ少ない時間しか会えないというのに、さらに短くなるなんて、最悪だ。最早神様に見放されたとしか思えない仕打ちだ。
「日菜子ちゃんは本当に桐生様が好きなのですね。」
可愛らしくクスリと笑う桜ちゃんに、心が温かくなる。
けれど。それでもやっぱり耐えられない。
「桜ちゃんどうしよう。桐生先輩がどんどん離れていっちゃうよ。会える時間もお話しできる時間もどんどん減っていって、私の存在すら忘れられたらどうしよう」
嫌だな。
廊下ですれ違っても気づいてもらえなくて、声をかけても「誰?」なんて尋ねられたら。
そんなことになってしまったら私はどうすればいいのだろうか。
「日菜子ちゃん、大丈夫。桐生様が日菜子ちゃんを忘れるなんてこと、絶対にあり得ませんわ」
「桜ちゃん……」
そうだよね。桐生先輩、記憶力よさそうだし。期末テストなんてたった数日で終わるんだから、その間に桐生先輩に忘れられてしまうなんてこと、ないよね。
頭ではわかっているのに、なんでだろう。こんなにも胸騒ぎがするのは。
なぜだか不安なんだ。このたった数日の間に、桐生先輩がどこか遠くに行ってしまうんじゃないかって。
「そうですわね……。気にする必要はないと思うのですが。不安な気持ちのままでは日菜子ちゃんが苦しいですものね」
「うん」
桜ちゃんの心遣いが、身に染みる。
うん、苦しい。
苦しいよ、桜ちゃん。
苦しいよ、桐生先輩……
こんな気持ちではいられない。このまま何もせずにいるなんて、考えられない。
「でしたら、テスト勉強のお供に、なにか手作りのお菓子をお渡しするというのははいかがかしら」
「お菓子?」
「ほら、昔から言うではありませんか。殿方のお心を掴むには、まずは胃袋を掴め、と」
お菓子、か。チョコレートにクッキー、ビスケット、それからそれから、えーっと。あとは何があるかな。なにが作れるかな。
先輩がお菓子を食べてる姿って、なんだか想像つかないな。
甘いもの好きかな。
桐生先輩に喜んでもらえるものを作りたいな。
桐生先輩の喜んでる顔、見たいな。常にキラキラオーラ全開の王子様の、無邪気な笑顔。見たい、見たい。ものすっごく見たい。
桐生先輩の笑顔を想像していたら、なんだか幸せな気分になってきた。
でもいきなり勝手に作って持って行ったら迷惑がられちゃうかもしれないからな。明日の朝、一度桐生先輩に聞いてみよう。「先輩、好きな食べ物は何ですか。」って。
桐生先輩、ちゃんと教えてくれるかな。「教えない。」とか言われちゃうかな。
桐生先輩の好きな物、知りたいな。先輩の好きな物でも、嫌いなものでも、苦手な物でも、なんでも。先輩のこと、もっともっと知りたい。
まずは頑張って、先輩の笑顔を見れる最高に美味しいものをプレゼントしたい。
よーっし。頑張るぞっ。
「桐生先輩ー!!」
翌朝、いつものように3年C組の扉をガラッと開いて大きな声で叫ぶと、愛しの桐生先輩があきれ返ったような目を私に向けた。
だけどだけど、そんなことでは私はめげないんだから!
「桐生先輩、おはようございます」
「お前、今日からテストだぞ。なに考えてるんだ。」
何考えてるって、それは勿論……
「桐生先輩のこと考えてます」
「……」
桐生先輩の方から質問を投げかけて来るなんて珍しい。なんだか嬉しいな。思わず頬が緩んでしまう。へ、変な顔になってないかな、大丈夫かな。
「そうだ、桐生先輩!先輩の好きな食べ物教えてください」
「そんなこと聞いてどうするつもりだ」
あれれれれ?
いつもならば即決即答、イエスかノーの二択の桐生先輩からの、本日二度目の質問返し。
これは一体どういうことだ。
先輩どこか悪いのかな。いや、でも顔色は問題なさそうだし。うーん。私、心配しすぎかな。
「で、なんなんだ」
おーっといけない。桐生先輩の気が変わらないうちに言わないと。
「しばらくテスト期間で桐生先輩に会える時間が減ってしまうので、その分差し入れで愛情表現をしようかと」
うっ……長ーい沈黙。
やっぱり、そんなのいらないかな。迷惑だったかな。私からの愛情なんて、桐生先輩には不要だもんね。
それがわかっていながら、桐生先輩に会いに来る私をどうか許してください。だって無理だから。桐生先輩に会えない世界なんて、私には耐えられない。そんな世界では、1秒だって生きられないから。
「カップケーキ」
桐生先輩が重たい口を開いたのは、私が尋ねてからしばらく経った頃だった。
「そうですよね、やっぱり……。」
やっぱり"かっぷけーき"ですよね。
あれ?
かっぷけーきって、どういう意味だっけ。
"迷惑"じゃないし、"いらない"でもない。あ、"帰れ"か。いや、違うか。
かっぷけーき、かっぷのケーキ、カップルケーキ……
「カップケーキですか!」
「カップケーキだ。バナナ味が良い」
え、嘘。なにこれ。
「作ってきていいんですか。迷惑じゃないですか」
「あぁ。じゃなきゃ教えない」
「本当ですか?私、カップケーキつくるの得意なんですよ。特にバナナ味のカップケーキが。私、全力で美味しいカップケーキ作りますね!」
私、夢でも見てるんだろうか。
「お前、明日絶対カップケーキ持って来いよ」
「はい。絶対絶対、ぜーったいに持ってきます。楽しみにしててください」
カップケーキを作ってきていいなんて。それになによりも、明日も会いに来て良いなんて。昨日なんて「もう来るな」とか言ってたのに。
どうしよう、幸せすぎる。
もう、訳が分からない。
嬉しすぎて幸せすぎて、なにがなんだかわからないこの私の気持ちを表現できる言葉は、ただ一つだけ。
「桐生先輩、大好きです。」
「お前さっさと帰れ。」
ありゃ、これはダメか。
だけど、明日のことを想像するだけで思わずにやけちゃう私は、今なら何を言われても笑い飛ばせる自信がある。
「ふふふふふっ明日には絶対にそんなこと言わせませんから!」
「……期待してる」
あれ?
あれれ、あれれれれ。
今、桐生先輩なんて言った。
き、ききき期待してるって、言った?
言ったよね。
え、もしかして空耳……いやいや、そんなことはないよ。絶対言ったよ。
「桐生先輩」
「なんだ」
「抱き着いてもいいですか」
「……ダメだ」
うぅ、桐生先輩の意地悪。こんなときくらい許可してくれてもいいじゃないですか。心地良いテノールでそんなこと言わないで下さいよ。
私に抱き着かれることを警戒しているのか、私をじっと睨みながら少しづつ、そーっと後ずさりしていく桐生先輩。
そ、そんな。なにも逃げなくてもいいじゃないですか。桐生先輩が嫌がるって分ってることは絶対にしないのに。
だけど、後ずさる姿まで格好良いなんて桐生先輩さすがです。
そんな真剣な瞳でじっと見つめられて、ドキドキせずにいられましょうか。
今日も麗しの王子様オーラ全開の桐生先輩。やっぱり好きだな。ほんと、好きだな。
桐生先輩と出会って99日目にしてさらに深まるこの想い。
この気持ちは、この気持ちだけは、絶対に譲れない。
「あれ、日菜子ちゃんおはよう。こっちの校舎に来ててテスト大丈夫なの」
「聡先輩、おはようございます。桐生先輩への愛で満ち溢れているのでテストなんてちょちょいのちょいです」
桐生先輩大好きだな、と心の中で再確認していると聡先輩がやってきた。
「おー。今日はまた一段と熱いね」
「はい!聡先輩聞いてください。桐生先輩が、明日私の作るバナナ味のカップケーキをもらってくれるんです」
「あれ、桐生バナナ食べれるの。果物全般ダメじゃなかったっけ」
え、何それ。桐生先輩が果物だめだなんて、そんなの初耳なんですけど。
「そ、それはつまり、バナナ味のカップケーキは食べれないってことですか」
「食べれないもの頼むわけないだろ」
恐る恐る桐生先輩に尋ねると、さっきまでと同じ、じと目でこちらを睨んできた。
「本当ですか」
「本当だ。期待してるって言っただろうが」
「はい、桐生先輩」
うわーどうしよう。期待してるって2回も言ってもらえるなんて、嬉しすぎてどうしよう。あー、もうどうしよう。
「桐生先輩に喜んでもらえるように、最っ高においしいもの作ってきます。先輩、楽しみにしててくださいね」
そう言って3年C組の教室を出た私は知らなかった。
去っていく私を見つめながら、私が見たい見たいと思い描いていた最上級の笑顔を浮かべた桐生先輩がすぐそばにいたということも。
そして、桐生先輩の笑顔を見るという夢は、もう叶わないのだということも。
なにも、知らなかった。
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